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徽宗皇帝のブログ

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「現世内因果応報論」という悪の論法
「認知バイアス」などという気取った言い方は気に入らないが、世間の多くの人の頭脳に巣食っている偏見がこれであるのは確かである。
「因果応報論」も「自己責任論」も、その意味では非常に厄介な性質を持っている。
横断歩道を青信号で歩いていて車に跳ねられても、車の接近に注意していなかった歩行者が悪いと言えないこともないし、駅のプラットホームで後ろから押されて線路に落ちて轢殺されても、後ろに注意していなかった被害者が悪いと言えないこともない。まして、いじめ事件で被害者にも責任がある、という論法が俗耳に入りやすいのは当然だろう。いじめ事件で自殺するような弱い子供のほうが悪い、レイプ事件の被害者は、夜中にひとりで歩いていたのが悪い、などなど。
これは、「公平であろう、客観的であろう」とすると当然に出てくる思考法でもある。客観性の罠とでも言おうか。中立性の罠と言おうか。だが、それが悪を為す側やその支持者によってうまく使われている、ということを世間に広く周知させることが大事だろう。

今回の記事タイトルは、もちろん、通常の仏教的な「因果応報」は生き代わり死に代わりする輪廻の世界で、一つの生での善因や悪因が次の生での善果や悪果になる、という思想であるのに対し、下の記事で言われている「認知バイアス」(「バイアス」とは「偏り」のこと。念のため。)は、現実社会内の事象について使われる論法だからだ。


(以下引用)

カマヤン1192(昔漫画家だった人) Retweeted

【誤謬のカタログ】公正世界仮説 善行には良い結果が、悪行には悪い結果が生じると考える信念/認知バイアス。 これにより、不幸に見舞われる人は不幸を受けるに値するのだ、と見なすことになる。 犯罪被害者や病人に対する非難の原因であり、民衆を苦しめる政体を民衆が支持する理由の一つ。


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