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徽宗皇帝のブログ

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「農業年金」という南堂氏のアイデアに賛成する
「泉の波立ち」から転載。
管理人の南堂氏は、TPPが成立するという前提で書いているが、TPPの成立云々とは無関係に、日本の農業は根本的な変革が必要だろう。ただし、今の政府が言う「大規模農家への土地集約」や「6次産業化」という方針は、間違いとまでは言わなくても、見当違いの方向だと私は思う。それは南堂氏も同じのようだ。
下に書かれた中で、

1)米や小麦など大土地を必要とする農業は大規模農家に集約し、小規模農家は「生鮮野菜作り」中心で存続させる。
2)農家の「国への土地返還(上納)」と引き換えに「農民年金(農業年金)」を与える。

の2点は、非常にいい提案だと思う。
特に「農業年金」というのは画期的なアイデアではないか。今のように、毎年膨大な所得補償をするより、「年金」を与えるほうがずっといい。所得補償のような、代償の無い死に金、無駄金ではなく、土地という貴重資源が国の手に入る。
もともと誰のものでもない土地を先祖(その土地を開墾したという功績があった先祖もいたかもしれないが)から受け継いで「自分の土地」だ、と主張すること自体がおかしいのだが、生存している人間の生存基盤を奪うこともできない。そこで土地を年金に換えて貰うことで、当人の死ぬまでの生活不安を無くすとともに、土地の再活用ができる。まあ、一種の「公地公民制」への古代帰りである。(だから、「土地返還」と書いたのだ。)
これを機に、「土地は本来誰のものでもない」という意識が国民の間に広がるといい。私も、司馬遼太郎と同じく、「土地私有制が諸悪の根源ではないか」という気持ちをいつも持っていたのである。(司馬遼太郎は最近評判が悪いが、明治維新を賛美していたのは彼だけではない。彼をまるで田布施勢力の公報係のように言うのは気の毒だろう。)



(以下引用)

2015年10月10日

◆ TPP後の農業政策 2

 前項 の続き。TPP 後の農業政策として、「大規模集約化」は、好ましいか?

 ──

 前項でも述べたように、政府は「大規模集約化」を推進する方針を打ち出している。このことは、読売新聞・朝刊 2015-10-10 の記事にもある。その要旨は、ネットにもある。転載しよう。
 《 農地集約を促進…TPP対策本部、年内にも大綱 》
 政府は9日、環太平洋経済連携協定(TPP)総合対策本部の初会合を開き、安価な輸入品との競争にさらされる農業の活性化策作りに着手した。
 農家の規模拡大に向けて、零細農家が「農地集積バンク」を通じて大規模農家に農地を貸し出す際の賃料について、引き上げを検討する。
 同本部はTPP発効を見据え、農家への支援策や企業の海外進出を支援するための取り組みを盛り込んだ「総合政策大綱」を年内にも策定し、2015年度補正予算や16年度予算で政策を具体化する。
 政府は昨年、農地の集約を進めるため全都道府県に農地集積バンクを設立した。生産性の向上には農家の規模拡大が欠かせないからだ。しかし、利用実績が低迷していることから、これを機会にてこ入れを図る。
( → 読売新聞 2015-10-10

 ここでは、「大規模集約化」を推進する立場を取っている。これは、好ましいことか? 「好ましい」と政府は考えているようだ。しかし私は「好ましくない」と考える。
 以下では詳しく説明しよう。

 ──
 
 政府が「大規模集約化」を推進するのは、それによって「生産性の向上」が見込めるからだ。生産性が向上すれば、コストが低減して、外国の農産物との競争力が付く、という立場だ。そして、そのために、若手の就農者を招こうとしたりする。
  → 新規就農者に7年間150万円支給へ 45歳未満対象で“若返り”

 しかしここでは、重大な勘違いがある。何か? 「生産性の向上」というのは、「必要な労働力を減らす」ということであるから、生産コストが低下すると同時に、生産する人員も減ってしまう。つまり、大量の失業者が発生するのだ。
 このことは、前にも論じたことがある。
 要するに、「生産性の向上」には、「就業者の減少」がともなう。「コストの低下」だけが起こるのではない。「就業者の減少」がともなうのだ。農業人口が大幅に減るのだ。
 なのに、政府の関係者は、そのことをまったく見失っている。
( → 農業再生と生産性向上

 より根源的な問題がある。「日本の農業はなぜ生産性が低いか?」という問題だ。これは、次の問題ともつながる。
 「日本の農業従事者の平均年齢はなぜ高いのか?」
 「日本の農業従事者の平均年齢はなぜ高まらないのか?」

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出典

 日本の農業従事者の平均年齢は 60歳以上なのだが、15年たっても平均年齢は7歳ぐらいしか上がっていない。15年たてば、平均年齢が 15歳ぐらい上がってもよさそうだ。また、高齢者がどんどん死んでしまって、高齢の農業従事者がいなくなってしまってもよさそうだ。しかし、そうならない。高齢の農業従事者は、どんどん増えるばかりだ。まるで赤ん坊のかわりに高齢者が誕生するように。……では、それは、なぜか?
 それは、高齢者がどんどん農業に新規参入しているからだ。簡単に言えば、サラリーマンや自営業者が、定年退職したあとで、農業に参入しているのだ。
 これらの人々は、農業で自立しようとは思わない。年金を主体にして、自分の食事をまかなうのも兼ねて、「無職で遊んでいるよりはマシ」という感覚で参入してくる。もともと時間はありあまっているから、生産性が悪いのも構わずに、どんどん参入してくるわけだ。(農業をやらなければ、ただの失業状態だ。)
 以上のことは、前にも述べた。
 「農民の年齢構成は非常に高い。60歳以上の高齢者が大部分だ。このままでは、高齢者が死亡して、日本の農民はスッカラカンになる。……と従来からずっと思われてきた。だが、現実には、そうならない。高齢の農民は、ちっとも減っていない。なぜか? 死亡者はどんどん出ているが、新規の参入者もどんどん現れているからだ。というのは、定年退職した会社員などが、新規にどんどん農業に参入しているからだ。小さな農地を使って、週末などに気軽な労働をして、年に 30万円ぐらいの所得……というような形。そういう形で、定年退職者などが、趣味の農業をどんどんやり出している。だからいつまでたっても、高齢の農民は消えない」
( → 農業再生と生産性向上

 以上のことから、農業の大規模化は、正解だとは言えないとわかる。なぜなら、それは、高齢の就業者を大量に失業させるからだ。農業自体は強固になるとしても、その一方で大量の失業者が出たのでは、何にもならない。
 たとえば、高齢の生活保護者がいっぱい出たら、政府支出が莫大に増える。農業自体は強固になっても、国家は弱体化してしまう。これでは、「手術は成功しました、患者は死にました」というのと同然だ。愚の骨頂。

 ──

 では、どうすればいいか? 
 大規模集約化が駄目なのなら、逆に、小規模農家を増やせばいいか? なるほど、それはそれで一案である。米の生産は小規模農家に任せて、八郎潟のような大規模農家は、米以外の生産に転作してもらう。これなら、米余りもなくなるし、高齢者は就農できて、何も悪いことはないだろう。
 しかしやはり、これも駄目だ。なぜなら、非効率な農業が現状のまま改善されないからだ。そもそも、この方式は、次のことと等価である。
 「米の生産は、大規模農家に集約して、小規模農家には現金を給付する(遊んで暮らせるようにする)」
 これと等価だ。なぜなら、小規模農家を存続させるということは、非効率な農業を維持するために、莫大な補助金を出すことと等価だからだ。ただ、その補助金は、国庫からの補助金ではなくて、「市場価格の上昇」という「見えない補助金」となる。それでも、国民の負担という意味では、どちらも同じだ。
 つまり、次の二つは、いずれも国民の負担で小規模農家を存続させる。
  ・ 小規模農家だけで生産して、高値を維持する。
  ・ 大規模農家だけで生産して、小規模農家に現金給付

 この二つはどちらも等価であり、かつ、どちらも愚の骨頂だ。(多大な国民負担によって非効率な生産制度を維持するから。)

 ──

 では、どうすればいいか? それには、前項に立ち返ればいい。つまり、こうだ。
 「非効率な生産分野を縮小して、効率の高い生産分野を拡大する」


 具体的には、こうだ。
 「米の生産を縮小して、生鮮野菜の生産を増やす」


 もっと具体的には、こうだ。
 「米や小麦のように土地集約的な農業は、大規模農家に集約する。生鮮野菜のように労働集約的な農業は、小規模農家に委ねる」

 これが正解だ。

 とすれば、政府の方針(大規模集約化)というのが、どこが間違っているかもわかる。
 大規模集約化が大切なのは、米のような土地集約的な農業だけだ。非常に広大な農地がもともとあるのであれば、それをさらに統合することは有効だろう。
 一方、小規模や中規模の農地ならば、いくら集約したところで、たかが知れているから、国際的な競争力はまったくない。これらの農地は、米の生産からは撤退して、生鮮野菜の生産に転じるべきだ。ここで必要なのは、「農地の集約」ではなくて、「転作」なのである。生産する品目を変えることこそが、最も大切なのだ。(前項を参照。)

 ただ、現状では、米の生産をしたがる農家が多い。それというのも、米の生産は、とても楽だからだ。昔は田植えも大変だったが、今では田植えは自動田植機で済むし、サラリーマンが毎朝と毎週の手入れをするだけでも、小規模の稲作が可能となっている。これほどにも米の生産は楽ちんなのだ。それゆえ、小規模農家は米の生産をしたがる。
 とはいえ、これは、「楽をして金を儲ける」という方針であり、その原資は、「消費者がやたらと高額の金を負担している」ということによる。一種の泥棒だ。とすれば、これは道義的に成立しない。
 ゆえに、「小規模の稲作」については、完全に撤退してもらうのが最善だ。そのあと、「小規模の生鮮野菜」か、「農業からの撤退」か、どちらかを選んでもらう。
 とにかく、「他人の金をもらって、楽して稲作をして金儲け」という方針は、もはや成立しない。そのことを基本とするのがいいだろう。

 ──

 結論。

 単なる大規模集約は、大量の高齢失業者を出すだけであり、弊害が多すぎる。
 大規模集約よりは、小規模農家に「転作」を促す方がいい。つまり、生鮮野菜の生産だ。
 小規模農家が稲作をするのは無理なので、やめてもらうべきだ。(かわりに転作。)


 では、以上の方針を推進するには、どうすればいいか? 私の提案は、こうだ。
 「米であれ、小麦であれ、何であれ、あらゆる農業品目については、一律の関税とする。たとえば、50%とする。そのうえで、後は市場原理に任せる。
 結果的に、競争力のない品目からは撤退し、部分的に競争力がある品目では大規模農家に任せ、十分に競争力がある品目では小規模農家に任せる」

 これで解決できるだろう。

 ※ なお、零細農家への所得補償は、 【 補説 】 で。



 [ 付記 ]
 十分に競争力のある農業としては、生鮮野菜がある。たとえば、レタスとか、トマトとか、パプリカとかは、1個 100円以上なので、小規模農家でも十分に生産できるだろう。(野菜が高すぎる感じだ。)
 ついでだが、(国産の)レモンやニンニクも、昔は馬鹿高値だったが、最近では価格がこなれてきた。農家の生産技術が進歩したのかもしれない。
 国内の生鮮野菜や果物は、まだまだ価格が高いのだから、ここに小規模農家が参入することは可能だ。稲作はやめて、生鮮野菜の生産に参入してもらいたいものだ。日本の生鮮野菜は、ちょっと高すぎる。
( ※ 以前、ネギの輸入が自由化されていたころは、ネギがとても安く買えた。今では当時の5倍ぐらいの価格になってしまっている。)
( ※ とにかく、生鮮野菜を生産する農家が増えてもらいたいものだ。)
 


 【 補説 】
 本項の方針では、零細農家が撤退した場合に、所得が減少する。そのために、何らかの所得補償が必要となりそうだ。そういう問題もある。
 これについては、次の名案がある。
 「農業年金制度を構築する。現在、農業をやっている人に対しては、農地の提供を条件として、農業年金を死ぬまで与える。与える金額は、それまでに払った税金に依拠する」


 今まで農業をやっていた人は、自分の農地の全部を国庫に提供することを条件に、終生にわたって農業年金をもらうことができる。
 その年金の金額は、それまでに払った税金に依拠する。たとえば、「年収 400万円分の税金を払った」というのであれば、それに応じた年金を受ける。「年収 40万円分の税金を払った」というのであれば、それに応じた年金を受ける。つまり、少額の税金しか払わなかった人が、多額の年金をもらう、というような不正は起こらない。(提供する土地の面積に依拠するのではなく、それまでに払った税金の額に依拠する。)
 なお、使用した土地の面積については、農協などの記録に依拠するといいだろう。

 さて。この方針に対しては、
 「先祖代々の土地を渡すのはイヤだ」
 と思う人もいるだろう。そういう人は、今のまま土地を保持していいが、そのかわり、農業年金はもらえない。それだけのことだ。(単に土地を持ち続けるだけにすればいい。何も出さず、何も受け取らない。)
 
 

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