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徽宗皇帝のブログ

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「過去」の怨念ではなく、「未来」のヴィジョンで世代を繋ぐべきである
沖縄の政治に関して、宮台真司がいいことを言っている。
私自身、若い頃は沖縄の左翼的革新運動に対して、深い嫌悪感があった。それは、「記憶を共有しない」ことによる世代間断絶現象であり、別の言い方をするなら、年長者たちが「自分たちの正義」を、「過去」を共有しない若者にまで無理やり押し付けることへの反発だっただろうと思う。
そして、この反発は、いかなる政治運動においても世代間断絶を生むはずである。この点を考慮しない政治運動は、沖縄問題に限らず、世代を超えて社会全体を動かす力を持ち得ないと私は思う。であるから、下記の宮台真司の指摘は、非常に重要なものだと思われる。

この「未来」を接着剤として用いる、という点からの連想だが、官僚政治の強さは、官僚こそが、予算執行権によって国民の未来をその手に握っていることを国民全体が無意識のうちに理解しているからかもしれない。そして、自民党とは官僚政治と国民の(事実は、政商などとの)仲介者なのである。



(以下「リテラ」より抜粋引用)


気休めに過ぎないもの(徽宗注:ここでは過去の歴史への怨念、すなわち沖縄が日本から蒙った被害と、それで他者、すなわち日本政府や本土の人々を責め立てること、と私、徽宗は解する。)が押しつけられると、年長世代と記憶を共有しない若者が反発します。過去の悲劇を持ち出すことで、むしろ共同体が世代的に分断されるのです。内地でもそれが起こっています。「〈恨みベース〉から〈希望ベース〉へ」と僕が言うのはそれに関係する。1985年のヴァイツゼッカー西独大統領演説じゃないけど、〈過去〉の罪体験や被害体験は人それぞれで、皆を一つにしない。〈未来〉への価値を共有し、希望を実現する責任を共有することだけが、共同の未来を切り開く。どんな〈未来〉に価値を認めるかで一つになろうとせず、〈過去〉の怨念で一つになろうとしても社会構想につながりません。

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