忍者ブログ

徽宗皇帝のブログ

徽宗皇帝のブログ

「高橋洋一問題」に見る山本太郎の稀有さ
しばらくネットに触れることができなかったので、過去の記事を少し遡っていろいろ読んでいるが、「谷間の百合」の下の文章には目を開かされた。
なるほど、同じ考えの仲間だけが集まってグダグダ話しても、何も発展性は無いわけで、違う考えの人たちが議論をすることで新しい知見を得、あるいは仲間を増やす可能性もあるわけだ。
山本太郎はもともと左側の人間ではなく、それを超えた、「国民全体のために何が必要で、何をするべきか」を日本で一番考え、そしてその考えを現実に行動に移している、ほぼ唯一の人間かもしれない。特に、その行動のために命を狙われ、あるいは謀略的スキャンダルをマスコミやネットに書き立てられる可能性もあるわけで、日本で一番勇気のある政治家だろう。
私自身、山本太郎が高橋洋一を経済問題研究会の講師に選んだことにはかなり批判的だったので、「谷間の百合」さんの考えには目から鱗が落ちた。
人間を先入観や肩書で区別しない、というのが、前の選挙での候補者選定でも見られた、山本太郎の最大の美点なのかもしれない。自分は偏見の無い人間だ、と自負している人も、少し我が身を振り返ってみれば、実は偏見の塊であると気づくこともあるだろう。
私など、男でも女でも、だいたいは顔で最初から差別(区別)しているww と言っても、美醜ではなく、顔に現れた品性の問題だ。下種の顔は見ればだいたい分かると思っているが、まあ、それこそが私の偏見だろう。「自負と偏見」という小説があるが、まさに私は偏見そのものを自分の長所だと自負しているわけだwww 山本太郎の正反対だ。だからこそ彼の素晴らしさを賛嘆する。


(以下引用)


山本太郎さんが、高橋洋一さんを勉強会の講師に招いたことで違和感や拒否感を持つ人がいたようです。
高橋洋一さんは完全に総理側の人間です。
最初聞いたときはわたしもえっ!と思いましたが、すぐに理解できました。
どんな人からも話を聞くのが山本太郎の流儀だからです。
「N国」のようなならず者集団は別にして、有名、無名を問わずだれからでも話を聞くのが太郎さんです。
あの人はダメ、この人とは合わないと言っていたら、人々を幸せになんかできません。
高橋さんは大蔵省の官僚だった人で、そういう人から専門的な話を聞くのは有益であれこそ損になるものではありません。
考えてみてください。
そんなことは万に一つもありませんが、例えば、「日本会議」が小林節さんや金子勝さんを講師に招いたとしたらどう思いますか。
わたしなら「してやられた」と思うでしょう。
太郎さんはそれをしたのです。
同じ考えの人の話ばかり聞いて何が始まりますか。
わたしはそういう仲間意識が嫌いです。
南京大虐殺はなかった、慰安婦は嘘つきだと言い合って精神の安寧を維持しているような人たちです。
そういう共同幻想というか共同酩酊状態の人間がわたしは嫌いなのです。








拍手

PR

コメント

コメントを書く