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徽宗皇帝のブログ

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「after安倍」の日本の可能性を考察する(2)
2:教育について

私の体験では、日本の中学生のおよそ6割は中学校の授業内容を4割程度しか理解しておらず、その「理解」も教科書や参考書の説明を意味も分からずに「だいたいこういう意味だろう」と漠然と覚えているだけである。高校生に至っては、高校の授業や教科書の内容の2割程度しか理解していないのが大半だと思う。ただし、覚えたことをテストに利用する程度の理解ができている生徒は大学まで進める。それが、全体の3割程度で、「名前さえ書ければ入れる」程度の大学に進む生徒がほかに3割から5割ほどいるのではないか。それでも大卒の資格は得られる。この前頓死した某総理など、学力ではなくコネとカネで大学に入ったと推測する。
要するに、現在の高校教育は「大学入試の準備のための3年間」にすぎないのであり、あるいは「若い男女が出会う場」でしかない。私は、後者としての意義をむしろ評価する。しかし、真面目に大学入試を考えるなら、後者は断念する必要がある。
大学は何のために存在するかと考えた時、今の大学が理想的なものだと思う人はいないだろう。とすれば、その大学に入るために犠牲にされる高校の3年間はあまりに空しすぎないか。はたして、大学で充実した学びをしたという人間が1割でもいるだろうか。4年間のレジャーランド生活のために、父兄は高額の進学金を出すのだろうか。しかし、大卒でないと大企業には入れない、というなら、今の大企業はそれほどの好待遇と長期的に安定した生活保証を約束できるだろうか。今や、40歳定年制すら真面目に検討される時代であり、労働者の4割は非正規社員なのである。

そこで、私の提言は「高専システム」をこれからの教育の中心に置くことである。言い換えれば、3年間の高校生活と2年間の実務研修期間による5年間の高大一貫システムだ。その高校生期間も、現代のように「受験教育」をする必要はまったく無い。なぜなら、高校の後、大学に行く必要性は無いから、「本当に必要な知識と教養」を学ぶのが高校の授業内容になるからだ。もちろん、そこから他大学に進んでもいい。
高校で育んだ友情や人間関係を大学入試で断絶する必要はないし、それまでの高校生活に不満足なら別大学に行って新しい人間関係を求めてもいい。
しかし、この「高専」は、世界的レベルの研究所がすべてに付属するというのが私の構想なので、実務研修期間を終えて、尊敬する教授の研究室へ入ることもできる。
ちなみに、この高専(今の高専がベースだが、もちろん社会の核にするためにはいろいろ改良も必要だろう。)システムの高校入試偏差値は60程度がいいかと思う。それ以下の人間は学問向きではないだろうから、入学に適していない。基本的に将来の社会を担う人材を養成するのが存在意義なのである。まあ、「入試学力」は低くても何かの才能のある人物を抜擢するシステムは別に作ればいいだけだ。
たとえば「スポーツ・芸能専門学校」を高校段階で作ってもいいだろう。別に美男美女を集めるわけではない。ブ男の名優はたくさんいる。美男美女を集めても、その大半は将来のホストやキャバ嬢やセックスワーカーなら、屑養成所というか、養豚所になるwww 

ちなみに、私の「高専」には政治家専修コースがある。古今東西の政治史と現代の世界と社会の知識、政治技術、弁論術、演技術、基本的教養全般を学ぶ。今の政治家のレベルを知能指数100レベルとしたら、知能指数120レベルで、教養は今の政治家の数十倍ある人材を養成する。つまり、WEFに堂々と対立できる、プーチンレベルの政治家を生むのが目的である。






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