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徽宗皇帝のブログ

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なぜISISに欧米人が参加するのか
「阿修羅」記事のコメント欄に面白い記事があったので転載しておく。
欧米人でありながら「イスラム過激派」と呼ばれるテロリスト集団に入る人間の数は非常に多いのだが、それを私はユダ金による単なる「傭兵」だと見ている。もともとイスラム教とは何の関係もない連中だ、と見ているわけだ。したがって、彼らを「イスラム過激派」と呼ぶこと自体が、ユダ金の掌の上で踊らされることだと思っている。
しかし、そのテロリスト集団の構成員の大半はイスラム教(あるいはその指導者)を純粋に信じている層なのかもしれない。つまり、テロリスト上層部はユダ金配下の偽教徒で、下層部は純粋な信者集団だ、という構成ではないか。つまり、多くの新興宗教と同じことで、その宗教のトップ集団は、実はその宗教が詐欺であることを熟知しているが、無邪気な信仰者たちを騙して献金させ、奉仕させるわけだ。
ISISの特徴である「自分たち以外のもの」への攻撃性と残酷な振る舞いは、イスラム教よりも、むしろ旧約聖書におけるユダヤ教の行動と非常に似ている。もっとも、私はイスラム教に詳しくないので、これはただの印象だ。
下記記事は「英エコノミスト誌」の記事だからユダ金の検閲済み、あるいはそもそもユダ金の意図が入った記事だからすべてを鵜呑みにはできないが、多くの情報が入っているかと思う。



(以下引用)


中東の聖戦に向かう西側の若者たち(上)
2014年09月03日(Wed) The Economist
(英エコノミスト誌 2014年8月30日号)

西側諸国の人間はなぜ、そして、どのようにシリアやイラクへ戦いに行くのか。

過激派組織「イスラム国」戦闘員、シリアに推計5万人
イラクやシリアに向かい「イスラム国(IS)」に合流する西側の若者が増えている(写真はシリア北部ラッカの通りを行進するISの戦闘員たち)〔AFPBB News〕

 トルコ南東部の都市アンタキヤからシリア国境近くのレイハンルへと向かうバスに乗っていた2人の若い男は、これ見よがしに長い髭を生やし、膝下までのズボンをはいて、最小限の所持品を詰めた口紐付きの小さな袋を持っていた。

 バスの運転手には片言のアラビア語で話しかけるが(このあたりのトルコ人は大抵、多少はアラビア語を話せる)、2人の間ではイギリス英語の方言で話した。彼らは、戦闘に加わるためにシリアへと向かった欧州出身の何百人かのイスラム教徒の中の2人だった。それは2年前のことだ。

 それ以降、数千人もの人が戦闘に加わったものと思われる。入隊者の増加ペースは上昇しているかもしれない。彼らはシリアに着いたら何をするのか? そして、帰国したら何をするのだろうか?

退廃的な生活を捨て、殉教者として「五つ星聖戦」へ

 外部からの戦闘員の流入が増加した効果は、シリアとイラクで活動し、外国人戦闘員の大半を集めている残忍な過激派組織「イスラム国(IS)」が、ヨルダンと同じくらいの大きさの土地を領土と宣言し、約600万人というヨルダンとほぼ同じ人口を擁していることを見れば明らかだ。

 また、こうした流入の結果、誇らしげな戦闘員が、外国の同胞を呼び込もうと、インターネットによく練られた動画を投稿し、西側の退廃的生活を捨てて「殉教者」になろうとする者に楽園を約束している。ツイッターには、戦闘員に支給されるエナジードリンクの「レッドブル」のような贅沢品の写真を掲載した後に、切断した敵の首を持った「自撮り」写真を載せる。

 そして、西側諸国に脅しをかける際にも、顔文字――例えば、記号を使って表現した笑顔――や「LOL」(大笑い)のようなネットスラングを使う。

 ISは、シリア東部の町ラッカの支配を強めた。昨年3月にこの町を占拠したほかの反政府勢力から奪い取ったのだ。ラッカは、シリアとイラクの聖戦(ジハード)戦士の拠点となった。アフガニスタンやスウェーデンなど遠くからやって来た戦闘員が妻や子をラッカに呼び寄せ、逃げ出した住民の家に住んでいる。

 ある欧州出身の戦闘員はシリアの北部で、母国が恋しくなる物は何かと尋ねられた時、こう答えた。「牛乳さ。ここでは直接牛から絞らなくてはいけないからね」。確かにスーパマーケットのテスコで買うよりも手間がかかる。

 しかし、ジャンクフードはたっぷり支給されると、スウェーデン出身の戦闘員はうれしそうにツイッターに書いている。それに、時には何日も続けて、「落ち着いた」時間をたっぷり取れると、その戦闘員はスマートフォン向けのインスタントメッセンジャー「Kik」で知らせてきた。そういう時に、彼は「日常生活」を送る。「洗濯をしたり、家を掃除したり、訓練をしたり、買い物をしたり」するのだ。

 衛星インターネット通信、継続的な物資の流入、中東の他国に比べるとかなりましな経済的発展のおかげで、シリアはアフガニスタンの山岳部のような困窮とは無縁だ。昨年には、仲間を集めようと、聖戦戦士が「FiveStarJihad(5つ星聖戦)」というハッシュタグをつけて写真をツイッターに投稿していた。

 だが、だからと言って、西側の戦闘員が戦闘に尻込みしているわけではない。カーフィル(不信心者)の烙印を押された者の虐殺に加わった者もいる。カーフィルには、全員が背教者と見なされるシーア派だけでなく、スンニ派でも穏健すぎると判断された者も含まれる。

 西側出身の戦闘員は、ダムや軍事基地、油田を巡る戦いを支援する。自爆攻撃も行う。2月にシリア第2の都市アレッポであった自爆攻撃は、英国人アブドゥル・ワヒード・マジードによるものだった。

 西側の人間が役に立つ理由はほかにもある。ISによる拘束から解放された人質は、英語を話す3人の人物に監視されていたと話す。外国人の聖戦士は、人質の家族に母国語で身代金を求める電子メールを送ることもできる。

西側諸国から3000人が戦闘に参加

 西側出身の戦闘員の多くは、戦いに加わったり、新しいイスラム国家の建国に力を寄せたりする機会に自ら飛びついた者たちだと思われる。ニューヨークを拠点とする安全保障情報企業ソウファンの推計によると、5月末までに81カ国から1万2000人が戦闘に加わり、そのうち約3000人は西側出身だという(図参照)。


 現在では、その数ははるかに多くなっているだろう。ISが6月29日にカリフ制を宣言して以降、新兵は急増した。シリア地域での戦闘員の増加ペースは、1980年代のアフガン戦争や2003年の米国侵攻後のイラクなど、過去のどの紛争よりも速い。

 8月19日前後に米国人ジャーナリストのジェームズ・フォーリー氏が、ロンドンなまりで話す覆面戦闘員によって斬首されたことで、注目は英国に集まった。1990年代、ロンドンは、多くの過激派が逃げ込む避難所だった。その中にはイスラム教過激派も多数含まれていた。

 ロンドンでは、過激な説教師が自由に憎悪をぶち上げることができた。英国は今でも多くの点で、欧州の聖戦戦士ネットワークの一大中心地であり続けていると、ノルウェー国防研究機構のトーマス・ヘッグハマー氏は言う。「英国の過激派のコミュニティーは今でも、思想や手法を輸出している」

 シリアで活動する外国人戦闘員の大多数はアラブ人だが、西側出身の戦闘員の中では、英国人が大きな比率を占める。しかし、国の人口に対する割合で言えば、ベルギー人、デンマーク人などの方が高い(上掲の図の左参照)。過激派に対してより厳しい法律を制定しているフランスも、英国より多くの市民が聖戦遂行のために出国している。

 英国が目立つ理由の1つは、英語が幅広く通用するからだ。ISは、英語が理解される国々の政府に特に影響力を及ぼしたいと考えている。フォーリー氏の殺害動画のタイトルは「A Message to America(米国へのメッセージ)」だった。ISは、シリア北部の地域名にちなむ「ダビク」という英語グラビア誌を、これまでに2号発行している。

機会均等の雇い主

 西側出身の戦闘員はほとんどが40歳未満の男性だが、今回の戦いでは過去に比べて女性が多く集まっている。一部の西側諸国では、シリアへの出国者の約10~15%を女性が占めていると、ロンドンに拠点を置くシンクタンク、国際急進主義研究センター(ICSR)のピーター・ノイマン氏は推定する。スウェーデンからは、30人もの女性がシリアに出国した模様だ。

 結婚を望んでいる者もいるし、ISの支配地域の女性たちに、顔を布で隠すなどのイスラム教で最も厳しい戒律を遵守させるための女性だけの部隊に入る者もいる。少数だが戦闘に参加する女性もいる。

 西側の人が加わるのはISだけではないが、ISが最も人を引き付けている。その理由は、世界中にカリフ制を広めるなどの世界的視野を持つこと、厳格なシャリア(イスラム法)の施行を試みていること、そして軍事的に輝かしい成功を収めていることだ。

 ニュースサイト「VICE」がISのメンバーに同行してラッカで撮影した5部構成のドキュメンタリーの中で、ISの宗教警察がシリア人を教育し、法廷を運営し、子供を洗脳し、大衆向けの娯楽を催している場面が映し出されている。

 戦闘に赴く人々の動機は、パスポートの発行国と同様、実に様々だ。シリアでの戦闘の初期には、外国人は、食料や医薬品を運んだり一緒に戦ったりすることで、同朋のイスラム教徒を助けたいと思っていた。西側諸国の政府は軒並み、バシャル・アサド大統領とその残虐行為に歯止めをかけなければいけないと言っていた。

 英国人のアッバス・カーン氏などの医師たちが反体制派の支配するアレッポを訪ねたが、アサド軍に捕らえられた後、シリアで監禁中に殺害された。

 それ以来、戦闘はいっそう残忍で党派色の強いものになっている。市民の死者も数万人に上る。国連の発表では、少なくとも19万人のシリア人が殺害され、反体制派の犯罪的行為も増えた。その結果、シリアでの戦闘はより過激な人々を呼び込んでいる。

 シリア人を守ろうと話していた人々が今、シリアの土地が地元の人々のものであることを否定していると、ICSRのシラーズ・マハー氏は話す。「シャーム地方」、つまり大シリアがイスラム世界で特別な地位を占めるのは、終末の予言に登場するからだ。大シリアはアラーのものだと、戦闘員は宣言する。

 しかし、シリア人がイスラム法を望まないとしたらどうだろう? 「それを決めるのはシリア人ではない。なぜなら、イスラム法を施行するのはイスラム教徒だからだ」。十分にイスラム化されていないという理由で母国を離れた欧州出身の戦闘員はこう言う。その戦闘員は、「シリア人を、斬首するより教育したい」と話している。


 ISは、過去数世紀の歴史に対するイスラム教徒の反応が最も過激な形で表れたものだ。この間、繁栄する西欧を横目に、イスラム世界は衰退していた。

 1つの考え方として、この衰退はカリフ制とシャリア(イスラム法)の支配が行われなくなったせいだとするものがある。最後のカリフ制は、1924年にトルコの世俗的近代化主義者のムスタファ・ケマル・アタチュルクによって廃止された。

 大半のイスラム教徒は、ISの思想のほとんどと、その凄惨な手法のすべてを拒否し、ISを単純に犯罪者集団と見なしている。しかし、ISは実際にイスラム神学に依拠し、例えば、非イスラム教徒はジズヤと呼ばれる特別な税金を払うべきだと主張している。

貧困や宗教心では説明がつかない

 欧米など西側出身の戦闘員が聖戦に引きつけられた理由を、貧困で説明することはできない。戦闘員の多くはそこそこの中流階級だ。ISの動画に登場するウェールズ生まれで20歳のナーセル・ムサナ――アブ・ムサナ・アルイエメニと名乗っている――は、4つの大学から医学部入学の許可を得ていた。

 欧米人が聖戦に参加する理由として、周りの社会に溶け込めなかったからという説明も当たらない。最近死亡したと考えられている英国出身の別の戦闘員、ムハンマド・ハミドゥアー・ラーマンの写真を見ると、しゃれた髪型で粋なスーツを着こなしている若者だ。彼は、イングランドの沿岸都市ポーツマスで、低価格ファッションブランド「プライマーク」の店員として働いていた。父親はカレー料理店を営んでいた。

 さらには、敬虔な宗教心だけでも説明がつかない。7月にテロ行為に関して有罪を認めた2人の若者、ユースフ・サルワーとモハメド・アーメドは、シリアへ出発する前にアマゾンで『Islam for Dummies(サルでも分かるイスラム教)』と『The Koran for Dummies(サルでも分かるコーラン)』という本を注文していた。ICSRのマハー氏によると、戦闘員の中にはこれまで宗教に関心を持ってこなかった者もいるという。

明日の「中東の聖戦に向かう西側の若者たち(下)」に続く


http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/41633

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