「ナショナリズム」とは「国民主義」である

――ところで、中野さんは、現代の世界において最も強固な制度は「国家」だと考えていらっしゃるわけですか? MMTは、貨幣の価値を下支えしているのは、国家による徴税権としていますし、契約や私有財産権も国家が制定した法律によって担保されているわけですから……。


中野 そうですね。国家主権とは、各国がその国の政治的な意思決定の最高権力を有していることを意味します。国内的には、貨幣が徴税権に裏付けられることによって流通するように、権力を背景に国民に一定の行動を強制することによって各種制度を担保しているわけです。


 一方、国際政治は、基本的に国家単位で行われています。世界政府は存在しないわけですから、国家主権を超える最高権力も存在しません。ですから、主権をもつ各国がパワーをバランスさせながら世界秩序を維持しているのが、現代の世界なわけです。


 前に説明した「覇権安定理論」によれば、アメリカがグローバル覇権国家であったころは、アメリカが世界の最高権力として機能していたのかもしれませんが、その時代は過ぎ去りました。つまり、いまは各国の国家主権の重要性が増している時代だということです。


――そのご指摘はよく理解できます。しかし、中野さんはナショナリストを自認されていますが、ナショナリズムには危険なイメージが付き纏います。


中野 たしかに、ナショナリズムが危険思想、過激思想に走ったことはあります。しかし、言葉本来の意味はそうではありません。ネイション(Nation)とは「国民」です。よく「国家」と訳されますが、「国家」はステイト(State)です。だから、ネイションは「国民」と訳すべきなんです。そして、ナショナリズムは「ネイション(国民)」の「イズム(主義)」ですから、「国民主義」という意味です。「国家主義」とはまったく異なるんです。


 私は「経済ナショナリズム」を専門に研究していますが、これは「国民経済」を研究しているという意味なんです。経済とは「経世済民」ですから、「世の中をよく治めて人々を苦しみから救うこと」です。つまり、「国家をよく治めて国民を苦しみから救う」ために、どうすればいいのかを研究しているわけです。


 そして、現代の日本は「民主主義国家」であり、憲法で「国民主権」が保証されています。民主国家における「国家主権」とは「国民主権」のことなんです。


――なるほど。


中野 そもそも、国家公務員はナショナリストであるはずだと思うんですけどね。


――たしかに……。


中野 むしろ、いま心配すべきなのは、「国家主権=国民主権」の制限なんです。


――どういうことですか?


中野 いまだにグローバリゼーションの名のもとに、TPPや日米FTAが進められていますが、あれは、要するに「国家主権=国民主権」を制限するということなんです。TPPや日米FTAなどの国際条約は、国内法より上位のものだからです。


 たとえば、あるとき国民の大多数が食糧自給率を高めるために農業を保護すべきだと考えるようになったとしても、国際条約によって農業関税率が決まっていれば、どうしようもありません。国際条約によって「国家主権」が制限されているために、民主主義が機能しなくなるんです。はっきり言って、グローバリゼーションとは、民主主義を制限することなんです。


――そうなりますね。


中野 その典型がEUであり、特に、ユーロという共通通貨制度です。EUは、その根拠法であるマーストリヒト条約によって、欧州中央銀行が単一通貨ユーロを発行して金融政策を実施することになりました。一方、加盟各国はその結果、金融政策や為替政策の主権を失ったわけです。ギリシャ国民がいくら自国通貨を発行したいと望んでも、それはもうできないわけです。つまり、「国家主権=国民主権」を放棄したために、ギリシャは財政破綻をして、国民は極度に高い失業率に苦しむことになったと言えるわけです。


――恐ろしいですね……。