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デモの効用

「阿修羅」から転載。
引用の前半は「ハイヒール女の痛快日記」から、後半はそれに対するコメントである。
私は総理官邸前デモの支持者であり、一般庶民がこうして政治に参加する機会が出来てきたのは非常に素晴らしいことだと思っている。しかし、それがすぐに政治に反映されるとは思っていない。と言うのは、デモによる民衆の声は、為政者が「大きな音だね(笑)」と無視してしまえばそれで済むからだ。
デモは、国民の政治意識を高めはするが、実際に政治を変えるのは選挙による国民意思の表明なのである。これまで政治に無関心だった人々、マスコミに騙され洗脳されてきた政治音痴の人々が、デモに普通の人々が参加しているのを見て、今の政治に疑問を持ち、自分の頭で考えるようになるというのが、現在のデモの一番の効果だろう。そういう意味ではデモは大事だ。しかし、デモに即効性を求めると、人々は効果がすぐに現れないことに失望し、参加者はどんどん減少して、ただの一過性のお祭りになるだろう。
さて、引用したのは現在の(総理官邸前)デモと60年安保デモとの比較の部分である。ハイヒール女史は産経新聞の記事を批判しながら、実はその記事に乗せられている。その点ではコメント09氏(おそらく60年安保デモ参加者か)のハイヒール女史批判の方が正しい。
しかし、コメント09氏もまた(自分のアイデンティティを守るためか)現在のデモを否定するような言葉でコメントを結んでいるのは、好ましくない発言だと私は思う。
そのコメント09氏に対するコメント11氏の言葉は私の考えに近いが、その言葉は著しく攻撃的であり、批判された相手を意固地にさせるだけだろう。
日本人は議論がすぐに自分と相手の優劣決定戦になる傾向がある。議論とは、自分の論の不足部分を議論の中から見出し、より良い解決を得るために行うものである。
コメント09氏の現代史認識・現実認識は非常に素晴らしいものであると思う。しかし、自分の発言が与える影響を考えるならば、コメントの最後の部分は無いほうがよかった。というのは、これだけ頭脳明晰でしっかりした現実認識をしている人の発言だから、ということで、その発言全体を受け入れる人間も必ず出てくるだろうからだ。



(以下引用)


更に産経新聞では、脱原発デモを取り上げ、数十年前の安保闘争と比較しているのだが、極めて表層的分析で幼稚そのもの。署名入りで掲載する代物でない!産経新聞の頭脳程度が極めて低いことを証明する記事になっていて、超笑えるの。

「脱原発」を訴え、原発再稼働に抗議するデモが毎週のように、東京の首相官邸や国会の周辺で行われている。20日は鳩山由紀夫元首相まで参加した。といっても主催者が道路使用許可などを申請したデモではない。多くはインターネットの「ツイッター」の呼びかけなどで集まっており、その参加者数も正確には把握できないほどだ。それだけに「脱原発」を支持するマスコミや識者からは「これだけの国民が自発的に抗議行動しているのは昭和35年の安保闘争以来だ」と、その盛り上がりを強調する声が聞かれる。「だから政府はその声に耳を傾け、原発再稼働をやめるべきだ」と言いたいようである。だが、どうしても安保闘争に例えて評価したいのなら、あのときのデモや抗議行動がどんな意味を持ち、何をもたらしたのかをまず検証すべきだろう。
時の岸首相が強行採決後の記者会見で「声なき声に耳を傾けなければならない」と述べ、デモには屈しないことを強調した。さらに、全学連主流派が国会内に突入後にも「都内の野球場や映画館は満員で、銀座通りもいつもと変わりがない」と強気の構えを崩さなかった。結局、岸の不退転の決意が安定した日米同盟関係を築いたのである。逆に反対のデモは政治的には何も得ることなく終わった。それどころか大きな弊害を残した。この後何十年も続く自民党政権が、まるで「羹にこりた」ように、安保改定の後取り組むべきだった憲法改正をはじめ、「国の守り」に関する議論を先送りし続けたことである。

この前説からしてアホでしょ。以下、延々と安保闘争と比較して、最終的には安保闘争デモが悪弊を招いたとしているのだ。っていうか全く次元の違う話だわ。
識者が「昭和35年の安保闘争以来だ」と言っているとあるが、一体どこの識者なのか教えて欲しいわ?
安保闘争時とは暮らし、経済、政治と全く時代背景が違うのである。これを一元的に比較することが不思議である。しかも、実際は安保闘争が純粋に市民の声から発生した訳でもない。
この記事にもあるように「全学連主流派」が国会突入とあるが、既成政党や共産主義者同盟ブントなどの急進的組織などに煽られた結果であり、起因は組織だったデモだったのだ。記事を書いた人間は温故知新のつもりなのだろうが、
今回の脱原発デモと比較すること自体が既に論理破綻してるじゃん!

原発をめぐっても、日本の経済のため推進すべきだという意見も多い。本紙世論調査では大飯原発の再稼働を4割近くが評価している。だが「脱原発」「反原発」という「大きな声」の前に、そうした声はかき消されがちだ。こうした「声なき声」が無視されるようなら、安保闘争同様にエネルギー政策や原発の安全性に関する正面からの議論ができなくなってしまう。ましてや、政府が「大きな声」だけに耳を傾けるなら、将来に禍根を残すだけになるだろう。(論説委員・皿木喜久)

声なき声と言いながら、「再稼働を4割近くが評価」と巧みなレトリックを使い「評価=賛成」と勘違いさせ、再稼働賛成者が多い表現にしているが、これこそ世論誘導でしょ。何度も言うが、産経新聞の三流分析は要らない!
真の言葉で表現すると「再稼働を7割近くが大反対!」になるのよ!


09. 2012年7月29日 08:12:40 : esmsVHFkrM

安保デモをはじめとする戦後の反政府大衆運動について、官僚利権政府とその走狗である保守言論人は一貫して左翼に先導された動員でもであるとのデマを言い続け、少なからぬ若い日本人がそれを信じ込まされているのはまことに嘆かわしいことだ。
私はこの「ハイヒール女」女史の言論に日ごろから共感するものだが、安保デモについてその官僚利権政府と保守言論人のデマをそのまま信じた上で、今の首相官邸前デモと違うと論じていることには異論を呈したい。
まず、安保デモは政治的党派や労働組合の扇動や動員だというのは嘘だ。あれだけの日本人が集まって国会を取り囲み、日米安全保障条約の批准を強行しようとする岸自民党政府を止めようとした。そこには学生や労働者ばかりでなく多くの普通の市民がいた。だからあの膨大な数の人間が集まったのだ。
さらに、その学生や労働者だって強制されて来ていたわけではまったくない。当時学生運動党派が多くの学生の支持を受けていたからといってその支持学生を強制してデモに来させられるわけがない。労働組合だってその構成員を強制することはできない。会社の業務命令とまったく異なるのだから給与待遇上の制裁や雇用を武器に何かを組合員に強制する権力があるわけではまったくない。それができるぐらいだったら今の連合が野田内閣支持デモを首相官邸前でやっているはずだ。
だから、動員だって組合員に参加する意思があって初めて成り立つものだ。今労働組合の野田支持デモへの動員がまったくありえないが当時は安保条約反対でもへの動員が成り立ったのは、労働組合員に安保条約反対の強い意思があったからだ。今連合が逆に反原発デモへの動員をかければ多くの組合員が喜んで参加するはずだ。だから労働組合の動員は単にデモのオーガナイゼーションに過ぎない。
それに扇動ではまったくない。あの東条内閣商工大臣だった岸信介による日米安保条約が日本の対米従属を制度化し決定的なものとしたことを考えると、安保デモに結集したあの多くの国の行方を憂うる日本人が正しかったことは明白だ。当時の日本人は国家のあり方を決める決定的な瞬間において正しく政治を見つめ正しく判断できたということだ。そもそも左翼の扇動というのなら、官僚利権政府や右翼保守の扇動だってあった。その両者の扇動の中で片方を選ぶのは自由意志であってそれは扇動に乗せられているわけではまったくない。それは個人の自由意志による政治的判断だ。あの当時、日本人は今と同じく正しい政治的判断ができたということだ。
このような個人の自由意志によるデモの実態を「動員」や「扇動」のレッテルで貶めようとするのは、官僚利権政府や右翼保守が日本人の大衆運動をいかに恐怖しているかということだ。彼らは今の反原発デモについてだって「左翼による扇動」と誹謗しているではないか。彼らのやり口はいつも同じだ。日本人の自発的な大衆運動があるとき、官僚利権政府とその走狗である右翼保守は必ずレッテルを貼ってその実態を隠して日本人を分断しようとする。「左翼だ」、「アカだ」、「プロ市民だ」、「過激派だ」、「労働組合の動員だ」、「興味半分で集まっているだけだ」、「一種のお祭りだ」、「サイレントマジョリティはそこにいない、後楽園を見ろ、渋谷の賑わいを見ろ」等々だ。これは今も昔も同じだ。
また、いわゆる「全学連主流派の国会突入」だってその有効性について議論があるとしてもあの状況においてはやむにやまれぬものだ。当時国会内においては強力な野党が存在した。野党はみんな安保条約に反対でありそれは安保デモのような国会の外でののあのような広範な国民運動に支持されていた。それでもそれは無力だった。あの岸自民党政権は国会内で野党が一致して反対し国会外で国民が反対する安保条約批准を衆議院で議事手続きを無視した強行採決を行い参議院での採決を行わないまま自然成立させようとしたのだ。このような強行を受けて正義感に駆られた学生が国会に突入して安保条約の成立そのものを物理的に阻止しようとしたということだ。
この広範な国民運動を無視して政権党が(自民党ばかりでなく今や民主党Bや公明党も同じだが)国民の利益に反する法案を強行採決することをどう阻止できるのかという問題は極めて今日的な問題だ。反原発では国会内ではそれに反対する強力な野党すら存在しない。野合三党は国会手続きを無視した強行採決を行う必要すらない。
安保デモの時には正義感に富んだ学生がそれでも安保条約自動批准を物理的に阻止しようとした。今はどうか。金曜日のデモはなるほど人は集まっているが、そんなものは三党によってまったく無視されている。デモは極めて平和的で警察も今や毎週金曜日のお祭り警備扱いしている。これでは原発再稼動が阻止できないことは明白だ。ガス抜きが着々と進んでいる。いつまでこのお祭りが維持できるのか。夏を過ぎたら自然消滅ではないのか。ではどうするのか。このままみすみす原発再稼動が行われてしまうのか。
あの安保デモも安保条約批准が成立することを阻止できずみすみす日米安保体制(米国従属体制)が成立することを許す結果となった。しかし、それでも当時の全学連による国会突入がありその中で東大女子学生樺美智子は警察によって殺されている。
今の平和的な反原発でもはどうか。ただただみすみす原発再稼動を許すことで終わるのか。たとえ絶望的でも何の実質的な抵抗も妨害も行わず、秋になったらみんなの「楽しい思い出」となるのか。なるほど、それなら安保デモとは大違いだといえる。
今後、反原発デモに参加するものは、あの安保デモの偉大さを思い知らされることになるだろう。官僚利権政府と右翼保守言論人の「動員」、「扇動」との誹謗が何のためだったか気づかされるだろう。当時の日本人の止むに止まれぬ心情とその勇気を思い知らされることになるだろう。
1960年の日本人と2012年の日本人。1960年の反安保条約デモと2012年の反原発デモ。
その優劣の審判は歴史によって下されよう。



11. 2012年7月29日 08:59:12 : 4xUjxu4po2
>>09氏
>今の平和的な反原発でもはどうか。
だったらあなたはデモに何を求めるのか?
ゲバ棒持って、機動隊に体当たりしろってでも言いたいのか?
私は、今の平和的なデモのほうが数段優れていると思う。まだまだ認知度は少ないが、平和的に参加しやすい形でだんだんデモの規模が大きくなれば、必ずや国民がその意図を知ることになる。
そうなったときに、果たして役人や政治家が無視することが出来るであろうか?
そういう政治家を国民が連続して当選させるほど、愚かだとお思いか?
人間は急激な変化には身を強張らせるが、緩やかな変化にはその身をまかせてしまう。
ユダ金が何10年スパンで、人々を洗脳させてきた実績を見ても明らかである。
緩やかに真実が浸透していけば、必ず状況も変化するだろう。

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