マスコミに載らない海外記事さんのサイトより
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2025/05/post-e18ffa.html
<転載開始>
ソニア・ファン・デン・エンデ
2025年5月5日
Strategic Culture Foundation
欧州ではファシズムが再燃し、ネオナチは民族主義者を装っている。特に極右政権が統制を強めているウクライナで顕著だ。
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お問い合わせ:info@strategic-culture.su
5月9日が近づくにつれ、1933年から1945年までドイツと(1938年のオーストリア併合後)オーストリアを支配したナチスの打倒と彼らからの解放を記念する準備をロシアは進めている。この間に、ナチスは多くのヨーロッパ諸国に侵攻し、ソ連を征服しようと恐ろしいバルバロッサ作戦を開始した。
Lebensraum生存圏の追求を超えて、ナチスは占領地からユダヤ人、ロマ人、非アーリア人、共産主義者や政敵を「浄化」しようとした。これは民族浄化だったが、ナチスは残虐行為を行うために工業化手法を開発した。当初大量銃殺に頼っていたが、後にチクロンBを使用したガス室を導入した。これはより「効率的」に、兵士の精神的トラウマも軽減できると主張したのだ。だが依然大量射殺は、ウクライナ、ポーランド、ベラルーシ、バルト諸国で数十万人もの命を奪ったが、その多くはユダヤ人だった。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2025/05/post-e18ffa.html
<転載開始>
ソニア・ファン・デン・エンデ
2025年5月5日
Strategic Culture Foundation
欧州ではファシズムが再燃し、ネオナチは民族主義者を装っている。特に極右政権が統制を強めているウクライナで顕著だ。
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お問い合わせ:info@strategic-culture.su
5月9日が近づくにつれ、1933年から1945年までドイツと(1938年のオーストリア併合後)オーストリアを支配したナチスの打倒と彼らからの解放を記念する準備をロシアは進めている。この間に、ナチスは多くのヨーロッパ諸国に侵攻し、ソ連を征服しようと恐ろしいバルバロッサ作戦を開始した。
Lebensraum生存圏の追求を超えて、ナチスは占領地からユダヤ人、ロマ人、非アーリア人、共産主義者や政敵を「浄化」しようとした。これは民族浄化だったが、ナチスは残虐行為を行うために工業化手法を開発した。当初大量銃殺に頼っていたが、後にチクロンBを使用したガス室を導入した。これはより「効率的」に、兵士の精神的トラウマも軽減できると主張したのだ。だが依然大量射殺は、ウクライナ、ポーランド、ベラルーシ、バルト諸国で数十万人もの命を奪ったが、その多くはユダヤ人だった。
最も悪名高い場所の一つがキーウ近郊のバビ・ヤールだ。1941年9月29日から30日にかけて、ウクライナ人協力者が約34,000人のユダヤ人を殺害した場所だ。最近のドキュメンタリーが明らかにしている通り、ナチスだけでこのような虐殺を実行するには人員が足りなかったのだ。

終戦までに、SSガリツィン師団の8,500人(凶悪犯罪に関与したとされるウクライナ兵)がイギリスで難民認定を受け、その多くが後にカナダに移住した。最近カナダ議会で、ナチス退役軍人ヤロスラフ・フンカが表彰されたことは欧米諸国におけるナチズムの根強さを如実に示している。
リトアニアはユダヤ人死者数が世界的に最も多かった国の一つで、ナチス政権下でユダヤ人人口の最大90%が現地の協力を得て虐殺された。ポナリ虐殺は、Sicherheitsdienst(SD親衛隊保安部)と親衛隊(Schutzstaffel SS)の監督下、リトアニア暗殺部隊(Ypatingasis būrys )が実行し、1941年7月から1944年8月の間に約10万人(主にユダヤ人、ポーランド人、ロシア人)の命を奪った。
ベラルーシにおいて、ハティン村の虐殺は特に残虐な例として記憶されている。1943年3月22日、主にウクライナ人協力者で構成され、SS特別大隊将官ディルレヴァンガーの支援を受けた親衛隊第118大隊は、パルチザン攻撃への報復として、村のほぼ全員を虐殺した。ベラルーシのユダヤ人の90%以上(60万人以上)が大量射殺により殺害された。少なくとも5,000の村が焼き払われ、多くの場合、住民全員殺害された。パルチザンへの支援に対する罰として、1,500人にも及ぶ犠牲者が出た村もあった。ウクライナやバルト諸国と異なり、ベラルーシ人の多くはナチスに抵抗し、より広範なソビエト連邦に類似した共産主義と多民族社会を維持した。
ポーランドはナチス・ドイツと枢軸協力者により計り知れない苦しみを味わった。占領下で組織的大量虐殺が行われ、特にユダヤ系ポーランド人が標的となった。ナチスはスラブ人とユダヤ人を人種的に劣った「劣等人間」とみなし、根絶やしにしようとした。ドイツ国外の強制収容所のほとんどはポーランドにあり、中でもアウシュビッツは最も悪名が高かった。ナチスによるポーランド征服後の1940年に設立されたアウシュビッツでは、5年足らずで推定110万人が死亡した。内訳はユダヤ人100万人、ポーランド人7万人、ロマ人とシンティ人2万1000人、ソ連軍捕虜1万5000人、その他(チェコ人、ベラルーシ人、ユーゴスラビア人、フランス人、ドイツ人、オーストリア人)1万2000人だった。1945年1月27日にソ連赤軍がアウシュビッツを解放した。
今日、ナチズムはヨーロッパで依然根強く残っている。ウクライナで復活したナチズムと戦っているロシアはホロコースト記念行事への参加を禁じられている。これは、ヨーロッパに根強く残るファシズム傾向を象徴する拒否だ。
バルバロッサ作戦で最大の被害を受けたのは東欧とロシアだったが、これほどの規模の残虐行為は、特にウクライナとバルト諸国における地域協力なしには不可能だった。今日に至るまで、リトアニアはユダヤ人や共産主義者や他の反対派の殺害を含むホロコーストへの加担に関し議論することを禁止している。
西ヨーロッパでもナチスの残虐行為が目撃された。フランスでは、1944年6月10日にオラドゥール=シュル=グラヌで起きた虐殺で、SS(親衛隊)が村を破壊し、教会で643人の民間人を生きたまま焼き殺した。オランダでは、1944年10月1日に起きたプッテン虐殺で、村の男性人口全員にあたる602人がドイツの強制収容所に移送され、生き残ったのはわずか48人だった。
労働者階級の都市で、社会主義と共産主義への強い共感を抱くロッテルダムは、甚大な被害を受けた。1940年5月14日、ドイツ軍の爆撃により歴史的中心部は壊滅した。その後、 1944年から1945年にかけての飢餓の冬には、レニングラード(サンクトペテルブルグ)同様、ロッテルダムも包囲され、食糧は占領下のドイツ人のために確保された。2万人以上が飢餓と寒さで亡くなった。ロッテルダムは処刑や国外追放にも耐え、オランダ最後の解放都市となった。

1944年の飢えた少年 – © M. Meijboom、コレクター オランダ写真美術館、ロッテルダム
セルビアとギリシャでは、対パルチザン作戦中に村全体が破壊された。ギリシャでは、カンダノス虐殺とヴィアノス虐殺が顕著だ。セルビアでは、ドイツ国防軍がクラグイェヴァツ虐殺(1941年10月)で2,700人以上、クラリェヴォ虐殺で2,000人以上の民間人を殺害した。1941年12月までに、ドイツ軍の報復により2万人から3万人のセルビア人が命を落とした。ユダヤ人ではなく、ナチス占領に抵抗した地元住民だ。
セルビア、クラリエボの虐殺 - ©クラリエボのナチス (ドイツ) の虐殺 - セルビア 1941 - www.zlocininadsrbima.com
80年を経て、西欧諸国はこの歴史の多くを消し去り、ドイツとロシアを等しく戦争の責任を負わせる物語に書き換えた。記念行事は強制収容所(ロシアは排除されている)とノルマンディー上陸作戦(D-Day)に焦点を絞り、ソ連の決定的役割を軽視している。ヨーロッパではファシズムが再燃し、ネオナチが民族主義者を装っている。特に極右政権が権力を強めるウクライナで顕著だ。ヨーロッパは再び目を背けて、自らの共謀に向き合う代わりに、ロシアをスケープゴートにしている。
記事原文のurl:https://strategic-culture.su/news/2025/05/05/europe-erasing-wwiis-truth-but-nazi-crimes-must-never-be-forgotten/
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写真 © ヤド・ヴァシェム・バビ・ヤール
終戦までに、SSガリツィン師団の8,500人(凶悪犯罪に関与したとされるウクライナ兵)がイギリスで難民認定を受け、その多くが後にカナダに移住した。最近カナダ議会で、ナチス退役軍人ヤロスラフ・フンカが表彰されたことは欧米諸国におけるナチズムの根強さを如実に示している。
リトアニアはユダヤ人死者数が世界的に最も多かった国の一つで、ナチス政権下でユダヤ人人口の最大90%が現地の協力を得て虐殺された。ポナリ虐殺は、Sicherheitsdienst(SD親衛隊保安部)と親衛隊(Schutzstaffel SS)の監督下、リトアニア暗殺部隊(Ypatingasis būrys )が実行し、1941年7月から1944年8月の間に約10万人(主にユダヤ人、ポーランド人、ロシア人)の命を奪った。
ポナールの森の渓谷で処刑するため、リトアニア民兵に集められたユダヤ人たち。ドイツ占領下のリトアニア、1941年。© YIVOユダヤ研究所提供。
ベラルーシにおいて、ハティン村の虐殺は特に残虐な例として記憶されている。1943年3月22日、主にウクライナ人協力者で構成され、SS特別大隊将官ディルレヴァンガーの支援を受けた親衛隊第118大隊は、パルチザン攻撃への報復として、村のほぼ全員を虐殺した。ベラルーシのユダヤ人の90%以上(60万人以上)が大量射殺により殺害された。少なくとも5,000の村が焼き払われ、多くの場合、住民全員殺害された。パルチザンへの支援に対する罰として、1,500人にも及ぶ犠牲者が出た村もあった。ウクライナやバルト諸国と異なり、ベラルーシ人の多くはナチスに抵抗し、より広範なソビエト連邦に類似した共産主義と多民族社会を維持した。
写真: © www.sb.by/en/memory-is-sacred.html
ポーランドはナチス・ドイツと枢軸協力者により計り知れない苦しみを味わった。占領下で組織的大量虐殺が行われ、特にユダヤ系ポーランド人が標的となった。ナチスはスラブ人とユダヤ人を人種的に劣った「劣等人間」とみなし、根絶やしにしようとした。ドイツ国外の強制収容所のほとんどはポーランドにあり、中でもアウシュビッツは最も悪名が高かった。ナチスによるポーランド征服後の1940年に設立されたアウシュビッツでは、5年足らずで推定110万人が死亡した。内訳はユダヤ人100万人、ポーランド人7万人、ロマ人とシンティ人2万1000人、ソ連軍捕虜1万5000人、その他(チェコ人、ベラルーシ人、ユーゴスラビア人、フランス人、ドイツ人、オーストリア人)1万2000人だった。1945年1月27日にソ連赤軍がアウシュビッツを解放した。
今日、ナチズムはヨーロッパで依然根強く残っている。ウクライナで復活したナチズムと戦っているロシアはホロコースト記念行事への参加を禁じられている。これは、ヨーロッパに根強く残るファシズム傾向を象徴する拒否だ。
バルバロッサ作戦で最大の被害を受けたのは東欧とロシアだったが、これほどの規模の残虐行為は、特にウクライナとバルト諸国における地域協力なしには不可能だった。今日に至るまで、リトアニアはユダヤ人や共産主義者や他の反対派の殺害を含むホロコーストへの加担に関し議論することを禁止している。
アウシュビッツを解放するソ連赤軍 – © Sovfoto/Universal Images Group/Getty Images
西ヨーロッパでもナチスの残虐行為が目撃された。フランスでは、1944年6月10日にオラドゥール=シュル=グラヌで起きた虐殺で、SS(親衛隊)が村を破壊し、教会で643人の民間人を生きたまま焼き殺した。オランダでは、1944年10月1日に起きたプッテン虐殺で、村の男性人口全員にあたる602人がドイツの強制収容所に移送され、生き残ったのはわずか48人だった。
労働者階級の都市で、社会主義と共産主義への強い共感を抱くロッテルダムは、甚大な被害を受けた。1940年5月14日、ドイツ軍の爆撃により歴史的中心部は壊滅した。その後、 1944年から1945年にかけての飢餓の冬には、レニングラード(サンクトペテルブルグ)同様、ロッテルダムも包囲され、食糧は占領下のドイツ人のために確保された。2万人以上が飢餓と寒さで亡くなった。ロッテルダムは処刑や国外追放にも耐え、オランダ最後の解放都市となった。

1944年の飢えた少年 – © M. Meijboom、コレクター オランダ写真美術館、ロッテルダム
セルビアとギリシャでは、対パルチザン作戦中に村全体が破壊された。ギリシャでは、カンダノス虐殺とヴィアノス虐殺が顕著だ。セルビアでは、ドイツ国防軍がクラグイェヴァツ虐殺(1941年10月)で2,700人以上、クラリェヴォ虐殺で2,000人以上の民間人を殺害した。1941年12月までに、ドイツ軍の報復により2万人から3万人のセルビア人が命を落とした。ユダヤ人ではなく、ナチス占領に抵抗した地元住民だ。
セルビア、クラリエボの虐殺 - ©クラリエボのナチス (ドイツ) の虐殺 - セルビア 1941 - www.zlocininadsrbima.com
80年を経て、西欧諸国はこの歴史の多くを消し去り、ドイツとロシアを等しく戦争の責任を負わせる物語に書き換えた。記念行事は強制収容所(ロシアは排除されている)とノルマンディー上陸作戦(D-Day)に焦点を絞り、ソ連の決定的役割を軽視している。ヨーロッパではファシズムが再燃し、ネオナチが民族主義者を装っている。特に極右政権が権力を強めるウクライナで顕著だ。ヨーロッパは再び目を背けて、自らの共謀に向き合う代わりに、ロシアをスケープゴートにしている。
記事原文のurl:https://strategic-culture.su/news/2025/05/05/europe-erasing-wwiis-truth-but-nazi-crimes-must-never-be-forgotten/
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