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徽宗皇帝のブログ

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ナチズムと、「適者生存=弱肉強食」という誤解
「春と修羅」の過去記事だが、私自身「適者生存」=「弱肉強食」だという誤解をしていた。このベストアンサーの回答者は素晴らしい知性と教養(こういうのが本当の教養というものだろう。東大の学生や教授にこのレベルの知性と教養の持ち主がどれほどいるだろうか。)の持ち主だと思う。
ナチズムや極右思想の信奉者は、なぜか社会的弱者を敵視し、場合によっては下記記事の質問者のように

「より理にかなった世界にするには、弱者を抹殺するべき。」

という意見を持つ者が少なくない。
まあ、弱者を抹殺したら、次は残りの中の弱者(劣等者)が抹殺され、どんどん殺されて、後は独裁者一人しか残らないか、あるいは「上流階級(支配階級)」と「奴隷」の二極分化した社会にしかならないと思うのだが、どうも「弱者を援助するのが死ぬほど嫌だ」という人間は一定の割合で存在するようだ。
下の「ベストアンサー」は生物学的立場からの回答であり、それだけで十分な回答だとは言えないと思うが、少なくとも社会全体で誤解されている「適者生存=弱肉強食」の迷信を打ち破るものだろうし、こうした誤解が解消されることは、社会をより良い方向に向けるものだと思う。


(以下引用)

*適者生存*★「弱者」たちが集まって、出来るだけ多くの「弱者」を生かすようにしたのが人間の生存戦略 ★

社会の不満は弱者へ向かう★「乗車時間をずらさないのが悪い」「被害者面してんじゃねぇぞ」
先ほどの記事の弱者への偏見に対する回答にもなりますね。
こちらの回答者素晴らしいです。

以下転載です。

「より理にかなった世界にするには、弱者を抹殺するべき。」 に対するある回答。

参加者同士で質問、回答するサービス“Yahoo!知恵袋”で、
質問者からの「弱者が生き残れない自然界に対して、弱者を税金などで保護する人間社会は
理にかなっていないのでは?」というインパクトのある質問に対して、
ある回答者の回答がとても興味深いとネットで話題になっていまいしたので紹介します。

※原文そのままを引用

質問
弱者を抹殺する。

不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂ければと思います。
自然界では弱肉強食という単語通り、弱い者が強い者に捕食される。


でも人間の社会では何故それが行われないのでしょうか?
文明が開かれた頃は、種族同士の争いが行われ、弱い者は殺されて行きました。

ですが、今日の社会では弱者を税金だのなんだので、生かしてます。
優れた遺伝子が生き残るのが自然の摂理ではないのですか。
今の人間社会は理に適ってないのではないでしょうか。


人権などの話を出すのは今回はお控え頂ければと思います。

ベストアンサーに選ばれた回答
え~っと、、、よくある勘違いなんですが、自然界は「弱肉強食」ではありません

弱いからといって喰われるとは限らないし、強いからといって食えるとも限りません

虎は兎より掛け値なしに強いですが、兎は世界中で繁栄し、虎は絶滅の危機に瀕しています

***

自然界の掟は、個体レベルでは「全肉全食」で、種レベルでは「適者生存」です

個体レベルでは、最終的に全ての個体が「喰われ」ます
全ての個体は、多少の寿命の差こそあれ、必ず死にます
個体間の寿命の違いは、自然界全体で観れば意味はありません
ある犬が2年生き、別の犬が10年生きたとしても、それはほとんど大した違いは無く、どっち
でもいいことです

種レベルでは「適者生存」です

この言葉は誤解されて広まってますが、決して「弱肉強食」の意味ではありません
「強い者」が残るのではなく、「適した者」が残るんです

(「残る」という意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代
に受け継がれる」の意味であることに注意)

そして自然というものの特徴は、「無限と言っていいほどの環境適応のやり方がある」ということです

必ずしも活発なものが残るとは限らず、ナマケモノや深海生物のように極端に代謝
を落とした生存戦略もあります
多産なもの少産なもの、速いもの遅いもの、強いもの弱いもの、大きいもの小さいもの、、、、
あらゆる形態の生物が存在することは御存じの通り

「適応」してさえいれば、強かろうが弱かろうが関係無いんです

そして「適者生存」の意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に
受け継がれる」の意味である以上、ある特定の個体が外敵に喰われようがどうしようが
関係ないんです

10年生き延びて子を1匹しか生まなかった個体と、1年しか生きられなかったが子を
10匹生んだ個体とでは、後者の方がより「適者」として「生存」したことになります


「生存」が「子孫を残すこと」であり、「適応」の仕方が無数に可能性のあるものである以上、
どのように「適応」するかはその生物の生存戦略次第ということになります



人間の生存戦略は、、、、「社会性」


高度に機能的な社会を作り、その互助作用でもって個体を保護する
個別的には長期の生存が不可能な個体(=つまり、質問主さんがおっしゃる”弱者”です)
も生き延びさせることで、子孫の繁栄の可能性を最大化する、、、、という戦略です

どれだけの個体が生き延びられるか、どの程度の”弱者”を生かすことが出来るかは、
その社会の持つ力に比例します
人類は文明を発展させることで、前時代では生かすことが出来なかった個体も
生かすことができるようになりました


生物の生存戦略としては大成功でしょう

(生物が子孫を増やすのは本源的なものであり、そのこと自体の価値を問うてもそれは
無意味です。
「こんなに数を増やす必要があるのか?」という疑問は、自然界に立脚して論ずる限り意味を
成しません)

「優秀な遺伝子」ってものは無いんですよ
あるのは「ある特定の環境において、有効であるかもしれない遺伝子」です


遺伝子によって発現されるどういう”形質”が、どういう環境で生存に有利に働くかは
計算不可能です
例えば、現代社会の人類にとって「障害」としかみなされない形質も、将来は「有効な形質」
になってるかもしれません

だから、可能であるならばできる限り多くのパターンの「障害(=つまるところ形質的イレギュラーですが)」
を抱えておく方が、生存戦略上の「保険」となるんです

(「生まれつき目が見えないことが、どういう状況で有利になるのか?」という質問
をしないでくださいね。
それこそ誰にも読めないことなんです。自然とは、無数の可能性の塊であって、全てを計算しきるの
は神ならぬ人間には不可能ですから)

アマゾンのジャングルに一人で放置されて生き延びられる現代人はいませんね
ということは、「社会」というものが無い生の自然状態に置かれるなら、人間は全員「弱者」
だということです

その「弱者」たちが集まって、出来るだけ多くの「弱者」を生かすようにしたのが人間の生存戦略
なんです


だから社会科学では、「闘争」も「協働」も人間社会の構成要素だが、どちらがより
「人間社会」の本質かといえば「協働」である、と答えるんです

「闘争」がどれほど活発化しようが、最後は「協働」しないと人間は生き延びられないからです

我々全員が「弱者」であり、「弱者」を生かすのがホモ・サピエンスの生存戦略だということです


この回答を見たユーザーからは、「とても勉強になった」「“適者生存”かなるほど・・・」
「分かりやすく納得がいきました!」など賞賛の声があがっていました。
この質問、回答自体は2011年のものですが、数年たっても話題になるとはスゴいですね。

<引用終了>
 

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