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徽宗皇帝のブログ

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ファシズムについての小考察
坂本多加雄という、「新しい歴史教科書を作る会」の理事などをしていた、保守派政治学者の「スクリーンの中の戦争」という新書の中の「ファシスト」についての記述を読んで、ファシストの概念が少し明確になった気がするので、その考察を少し書いてみる。
その記述は、映画「タクシードライバー」についてのもので、こういうものだ。赤字部分が引用。

仕事が決まってアパートに帰ったトラヴィスはさっそく日記をつけます。「雨は人間の屑どもを舗道から洗い流してくれる」「夜の街を歩き回る、売春婦、街娼、ヤクザ、ホモ、オカマ、麻薬売人、すべて悪だ。奴らを根こそぎ洗い流してくれる雨はいつ降るんだ」

ここで私は、この映画の重要な、隠れたテーマが露わになったと考えています。それは「ファシズム」です。


もう少し先の方で、坂本はここで自分が言う「ファシズム」とは政治用語としてのそれではなく、

もっと漠然とした、ある種の人間の潜在意識に潜むメンタリティ

のことだ、と言っている。
これは、ファシズムについての大事な指摘だと思う。しかも、それは「ある種の人間」というより、ほぼすべての人間の潜在意識の中に大なり小なり潜むメンタリティなのではないか、とすら私は思う。
ファシズムがなぜ容易に人々を引き寄せるのか、ということは、そう考えないと解決できないだろう。

そして、ここで私がそのメンタリティの特徴を挙げるなら

1)自分を含む、社会的に恵まれない人間は、他の誰かが「不正な利益を得ている」結果、不幸なのである。

2)そうした「悪(不正な存在)」は問答無用に排除すべきである。


の2点が最大の特徴ではないだろうか。特に、「問答無用に」というところがファシズムの行動原理としての大きな特徴である。なぜならば、ファシズムの本質は「自分の同類はみな、正義であり」「したがって、そこに属さない人間はすべて悪である」という、対立陣営との対話と理解を最初から排除する姿勢にあるからである。相手が悪に決まっているのに、なぜ対話や理解などする必要があるか、というわけだ。そこが単純な右翼や左翼とファシズムの違うところだろう。(言うまでもなく、「右翼ファシズム」も「左翼ファシズム」もあるわけだ。)

ファシズムはfastenと類縁の言葉だと思うのだが、その一番の特徴は「結束」である。自分と異類の存在を自分と同じ束に束ねるならば、その結束性が崩壊するわけで、したがって、ファシズムの最大の特徴は「異質な他者の絶対的排除」にある、とも言えるだろう。


そのように考えることで、なぜファシズムが人々を魅了し、巨大化していくのかが理解できるのではないか。
なぜ人々はファシズムに惹かれるのか。それはその運動が「自分が心底で毛嫌いしている連中を排除する運動だから」「そして、その排除運動は正義であると信じられるから」「その運動の結果、世の中は良くなり、自分やその仲間も幸福になれるだろうから」である。
なぜファシズムは巨大化していくのか。それは、その行動原理が「自分の理解できないものは徹底的に否定し、対話すら峻拒する」からである。対話しないのだから、自分たちの側が、「相手側の論理の正当性」によって弱体化する恐れがまったくない。相手側の言うことは「すべて嘘とねつ造された証拠によるものだ」とすればいいのだから、議論に負けない。「無学者、論に負けず」ということである。

まだまだファシズムについて考えるべきことはあるだろうが、とりあえず、ここまでとしておく。



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