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徽宗皇帝のブログ

徽宗皇帝のブログ

世界認識のパースペクティブ
孔徳秋水氏のブログから転載。
氏は常に「日本人は家畜である」と言う。それには同意する。だが、それに続けて「家畜に人権は要らない」と言う氏の言葉には当然反対である。なぜなら、言うまでもなく私も日本人であるから、というより、日本人であるか否かに関わらず、家畜的生き方をしていようがいまいが、人間である以上は人権を持つべきだと私は考えるからだ。私の敵だろうが味方だろうが、人権はある。残念ながら、安倍や橋下のような犯罪者的連中にも人権は認めざるを得ない。いわんや無力な庶民をや。むしろ人権思想は、そうした犯罪者的連中から庶民を守る盾である。無知や弱さのゆえに庶民が愚劣な行動を取ろうが、彼らを批判すべきではないと思う。その批判はそもそも彼らの(いや、もちろん私もその一部なのだが)耳には届かないし、届いても理解はされない。
あなたは、犬や猫を無知や無力さのゆえに非難し、いじめるだろうか。幼児をいじめるだろうか。逆に、憐み、可愛いと思うだろう。
自分は「目覚めた5%」のひとりである、と自負するのはいいが、ではその後に何をするのか。無知な99%を放っておいて、自分ひとり生き延び、99%を嘲弄するだけなのか。

それはともかく、下の記事に書かれた内容の大半は真実である。まあ、「目覚めた5%」でなくとも、ネットで政治ブログを読む程度の知性と真面目さを持つ人間なら誰でも知っていることだ。ネトウヨですら、実はそれが真実だと知っているのではないか。彼らは「自分の見たくない事実や真実」からは目を背けて見ないようにしているだけだろう。
しかし、そういう、ある意味「常識」に近いようなことは、実はネット普及以前には常識ではなかったのである。
北朝鮮がミサイルを飛ばしても、「狂言である」、という見方のできる人間は、日本の中でも非常に限られた人間だけだったはずだ。私は今でも覚えているが、私が最初にそうした考え(北朝鮮は実は日本の自民党とつながっている。自民党が困った事態になると北朝鮮に依頼してミサイルを発射させている。)を知ったのは、ネット初期によく読んでいた「がんばれゲイツくん」というブログだった。その考え(冗談風に書かれていたが)を知って、私は驚嘆したものである。世の中には、恐ろしく物事を見通せる人がいるものだ、と思った。当時の私はマスコミや学校教科書や俗な本の中で得た世界の知識しか無かったので、ネットによって真の世界の政治社会的パースペクティブ(遠近法・遠近感)を知ったと言っていい。それまでは無知な99%のひとりだったのである。そうした人間が、無知な人間を下に見ることなどできるはずはない。今でも、自分も無知な人間だが、世界認識の点では、昔よりは少しマシになったと思う。ネットに触れる以前の私は見かけは中年の大人でも精神面は子供に近く、まして10代20代の自分は赤ん坊同然だったのである。そして、庶民の大半はそういう存在(見かけは大人、中身は子供)ではないだろうか。


(以下引用)



マスコミが騒ぐときは、大抵”でっちあげ”の冤罪か、目線ハズシである。


 


プラトンがすでに、為政者が戦争を煽り、敵を掲げて人民を焚きつけて問題をうやむやにして政治をろくでもないものにするといったことを憤っていたというから戦争ネタは使い古された手口である。


 


 


トマホーク・ミサイルを59発も撃ちこんで実際に人も殺している連中が、だれも殺していない、他国の領土へも飛ばしていない飛翔体を「ミサイルが~」と騒いで問題視する愚かしい茶番劇。


 


”戦争やるやる詐欺”に踊らされて「北朝鮮が~」と言いだすバカ国民ども…


 


いまに始まったことではないが、呆れてものも言えない…


 


 


そのうち、「竹槍でB29と戦う」と、やりだすに違いない…ってか、もうそういう雰囲気ではないか?


 


いったい先の戦争で日本人は何を反省し、何を学んだのか?って感じではないか…


 


 


沖縄の件にしても、欧米列強が来るまでは、沖縄は独立国家だった。


 


中国の勢力下にあったが、貿易の特権を与えられて大いに繁栄していた。


 


 


それが中国はアヘン戦争以降、列強の切り取り自由の憂き目に遭い、列強が中国や東南アジアへの権益拡大に血眼になっているときに、新興国だったアメリカが沖縄や日本へやってきた。


 


アメリカは、勝手に地形や生物生態の調査などを始め、捕鯨基地として沖縄を勢力圏下においた。


 


沖縄は、その少し前、薩摩の侵攻も受けていたので、中国、日本、アメリカの三つの国とつきあっていくことになった。


 


そうした歴史を見れば、中国と日米、「侵略者はどっちだ?」と聞かれたときに即答はできないはずだ。


 


どのツラ下げて日米が、「中国の侵略」などと言えるのだろうか?


 


現に日米は、沖縄を喰いものにしている…


 


 


原発問題も沖縄の基地問題も同じである。


 


昔は、武士が侵略した相手側や奴隷にした者、さらには罪人をミシクソいっしょにして非人階級をこしらえて、徹底的にいじめ抜き、屈服させ、そこへ商売の特権を与えて貿易やら、芸能やら売春やらをやらせた。汚れ仕事を彼らにやらせて都合が悪くなれば罪を着せて切り捨てるわけである。


 


日本ではマスコミも含めて”下請けシステム”が出来上がっているが、江戸時代以前からの年季の入った多重搾取システム、いじめシステムなのである。


 


構造的に貧困階級が作られる仕組みができており、そこへ「救済」「振興」と称して”汚れ仕事”を与える。(「自由競争」「自由貿易」をやれば、自然にこの「貧困階層」ができあがる)


 


こうして地域やら沖縄やらに原発だの基地だの、「地域を助ける」などと称して作られていったのだ。


 


 


これらは日本人という家畜民族を飼い馴らし、支配するための一連の”作業”なのである。


 


 


しかし、”都合の良い事実(や歴史)”を与えられ、スポーツや芸能やその他の”感動ポルノ”とぞくぞくするような”怪談”や”ホラー”を与えられて、わくわくしながら生きる”家畜ライフ”も否定はしない。


 


感動していればよいのであって、苦しんで考え続ける必要などどこにもない。


 


 


それはそれで楽しいだろうし、劣等種である日本民族には似合っている。


 


但し、家畜として生きていく者に人権などは認められない。


 


 


人間として生きないかぎり、日本人の人権などはないのだ。


 


すでにもうだいぶなくなっているが、”家畜ライフ”が板についているので気づいてもいない…


 


 


そう…そのままでよいのだ…


 


日本人は日本人のままでいればいい…


 


家畜は家畜のままでいればいい…


 


 


だれかは”食われる側”にならねばならないのだから…


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