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徽宗皇帝のブログ

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中古住宅の「資産価値」と「使用価値」
「株式日記と経済展望」から転載。
我々の思考は、マスコミ洗脳でかなり歪んでいるので、自分がいかに異常な考え方をしているかになかなか気づかない。
家の資産価値という思考もそのひとつで、家の価値をまず「資産」としてしか考えないことの異常性を誰も疑問に思わないのである。だから、

銀行の評価では20年も経てば資産価値はゼロにされてしまう。

ことを国民の大半はそのまま受け入れている。そのために、中古住宅市場は不活発であり、全国に空き家が膨大に存在しながら、多くの人が住宅難に苦しむことになる。
住宅を資産価値(担保価値と言ってもいい。)でしか考えないようになったのは、まさに「誰もがそう考える」ように仕向けてきた銀行とマスコミの「教育」あるいは洗脳の結果である。
家の価値は「資産価値」以前に、まず「利用価値」にあると考えるのが当然の思考法であるはずだ。そして、「利用価値」で考えれば、中古住宅の価格は、個々の住宅の内容次第で大きく変わるはずで、その価値が「資産価値」としても反映されなければおかしいはずだ。一律に年数だけで資産価値(担保価値)が低減していく、ということになぜ誰も異を唱えないのか。

家の価値は何よりもまず「利用価値」にある。
そう考えた場合、中古住宅の価値がどの程度か仮に計算してみると、次のようになるだろう。
まず、「屋根と壁のある空間で寝られる」ということ自体の価値。
これは、たとえば4部屋に台所付きの一軒家の場合は、4部屋のアパートの家賃に該当するから、一部屋6万円とすれば、一月あたり24万円に相当する。
次に、風呂と台所が使える利便性。これは毎月3万円くらいか。(銭湯料金が250円くらいとして、4人家族で1日約1000円、毎日風呂に入る家庭なら風呂だけで3万円になる。台所使用料はノーカウントとしておく。) 
次に、洗濯が自宅でできる利便性。これも大きいが、個人差が大きい(年中着たきりの不潔な人間は洗濯不要だしwww)のでノーカウント。
その他の利便性(たとえば、自分の好みで家に手を加えることができることなど)は考慮しないとして、以上でだいたい月27万円に相当する使用価値を一軒家の中古住宅は持っていると考えることができる。そこから、固定資産税などのマイナスを引いても、最低でも月に25万円くらいの価値はあるだろう。
とすれば、年間では300万円になり、たとえば土地付き一戸建ての中古住宅(築20年で資産価値はゼロとされていてもいい。)の値段が900万円なら、3年で元が取れるということになるわけである。さらに、その上に後何十年そこに住もうが、家賃はゼロ、ということになる。
はたして、これは「資産価値」の無い商品だろうか、と私は問いたいのである。
なお、我が家の次女が大学に進学した時、その大学の近くに安い中古住宅を買って家族全員で移り住んだのだが、その時に買った住宅に使った金の分は、娘が大学を終える以前に元が取れた、と考えている。まあ、娘は「大学進学で一人暮らしができる」という期待が当て外れになって内心大いに不満だったようだが、これは「家庭経済の問題」なので、子供の期待にだけ沿うわけにはいかないのである。なお、仕事など、贅沢を言わなければどこの土地に行こうが見つかるものなので、人生プランの中では二義的三義的なものでしかない。この点でも「仕事第一主義」の日本人はマスコミに洗脳されていると思う。


(以下引用)


「家の寿命は20年~消えた500兆円のワケ」 日本の消費の低迷は多額の住宅投資に費やされた

2016年02月25日 | 経済

「家の寿命は20年~消えた500兆円のワケ」 日本の消費の低迷は
多額の住宅投資に費やされて資産価値が20年でゼロになるからだ。

2016年2月25日 木曜日

Why! なぜ日本人は住宅ローンに大金を払う? ドイツから見えた日本の家の異常さ 2月22日 林英樹


「どう考えても異常な状況だよ。どうして日本人は誰もおかしいと思わないの!?」


 日本の住宅制度について説明すると、ドイツ人のアストリット・マイヤーさんとアンドレアス・デレスケさんは目を大きく見開き、記者に対し次々と疑問点をぶつけてきた。そして最後には到底理解できないという様子で、両手を広げたまま固まってしまった。そのさまは、さながらお笑いタレント・厚切りジェイソンのネタのようだ。


 “Why Japanese people!”多くの日本人は当たり前のこととして受け入れているが、海外から見れば「異常な状況」として映る。それが日本の住宅政策の実態だ。


 2月22日号特集「家の寿命は20年~消えた500兆円のワケ」では、日本の住宅制度に内在する根源的な問題を取り上げた。多くの国民にとって「一生の買い物」と形容される高額取引であるが故に、「買い手と売り手との間の圧倒的な情報格差」「建物の完成前に購入する青田売り」などの不条理を、こういうものなのだと渋々受け入れるしかない。消費者が複数回の買い物を通じて“賢くなる”機会を得られないからだ。不動産を巡る数々の不条理が長年の間、問題視されることがなかったのもこの点にある。


 特集では、新築戸建ての購入から売却までの流れを描き、そこに潜むいくつもの不条理を指摘した。このうち最も深刻な問題の一つが「木造住宅の場合、20年で建物の価値がゼロになる」という慣例だ。


「家なのだから住み続けるうちに価値が下がるのは当然だ」と、この慣例を受け入れている日本人は多い。だが、待ってほしい。「住宅は資産」と言うが、メンテナンス状況が正当に評価されず、価値が維持されないような商品を本当に「資産」と呼べるのだろうか。それは単なる「消費財」に過ぎないのではないか――。


 海外の多くの国では日本とまったく状況が異なっている。冒頭、2人のドイツ人が示した驚きはそうした彼我のギャップから派生しているのだ。


 ドイツ南西部の街フライブルク。中央駅から路面電車で20分ほど郊外へと走れば、赤や青、黄色など色鮮やかな家々が連なる住宅街が見えてくる。ここはマイヤーさんとデレスケさんが住むボーバン地区だ。街に足を踏み入れると、すぐに2つの「違和感」に気付いた。


 住宅街なのに通りを車がまったく走っていないのが一つ。街の入り口2カ所に大きな立体式の駐車場があり、多くの住民はそこに車を置き、歩いて家路につく。だから家の前には駐車場はなく、ベビーカーや自転車を置くスペースがあるだけだ。


もう一つの違和感は屋根にある。ほぼすべての住宅の屋根全面に太陽光パネルが敷かれているのだ。マイヤーさんは説明する。

「家は金融商品と一緒。投資するものでしょ」

 「駐車場のスペース確保を考えなければ、家の設計の自由度は断然大きくなる。もちろん家の近くで子供が遊んでいても危険が少ないという点も魅力よ。それに太陽光パネルを設置したおかげで、月々の光熱費よりも太陽光発電による売電収入の方が大きいのよ」


 カーポートフリーと太陽光パネル。どちらもエコロジカルな生活を追求するのが主目的のように映るが、マイヤーさんの狙いはそれだけではない。「家は資産。金融商品と一緒。住み心地という質の追求と同時に、将来の価値を考えて投資するのは当たり前のことでしょ」。実際のところ、マイヤーさんの家の単価は今、16年前の購入時の2.5~3倍に上昇している。(後略)


(私のコメント)

日本人の多くが豊かになった気分が無いのは、自分が住んでいる住宅の資産価値が減ってしまっている事であり、住宅は買えば上がると言った神話はバブル崩壊で消えてしまった。30年ものローンを組んで住宅を買っても20年も経てば銀行の住宅の評価額はゼロになってしまう。

戦後間もない頃建てられた木造住宅は品質が悪く、年数が経つと劣化が激しかった。大きな地震が来れば重たい瓦屋根のせいでぺシャンコに潰れてしまう。しかし最近の建材の進歩で耐久性能が高まり、耐震性能も東日本大震災でもびくともしなかった住宅が多かった。

100年住宅を売り物にする住宅メーカーも現れましたが、問題は建物が問題が無くても、住む人がいない空き家は増え続けて先日も書いたように800万戸の空き家が日本各地に点在している。多くが資産価値の無い老朽化した住宅か、資産価値があっても需要の無い所に建っている。

日本には都市計画と言った概念が無く、スプロール開発されて大都市郊外に果てしなく住宅が点在するようになってしまった。しかし最近になって都心回帰が始まると郊外住宅は住む人が居なくなり空き家になってしまった。ならば都心に最初から高層マンションを建てればよかったのですが、土地神話などで一戸建てに拘る人が多かった。

通勤に1時間以上もかければ肉体的時間的な負担は非常に大きく、不動産の値下がりと共に都心回帰は始まった。行政に都市計画と言った発想が無いからこのような無駄が生じますが、都心のマンションも80㎡以上ないと空室だらけのマンションになるのではないだろうか? それ以下だと家族が住めない。

「株式日記」でもコンパクトシティーについて何度も書きましたが、インフラや長期的視点に立っても都市計画は空き家問題を防ぐには必要だ。住宅地区を定めると農家の人たちは財産権の侵害だと騒ぎますが、農地を宅地化すればそれだけで億万長者になれた。だから市街化区域になっても農地がそのまま残されて、住宅は郊外へと広がってしまった。

郊外に行けば陸の孤島と化した住宅を見かけますが、売りに出しても買い手が居ない住宅になってしまっている。地方の空洞化は限界集落なども社会問題となっていますが、村や町の存続自体が危うくなってきている。ガソリンスタンドやコンビニが無くなれば住民たちの生活が成り立たなくなる。

それを防ぐには中核都市を定めてインフラを整備して生活が成り立つ都市計画が必要ですが、日本ではまだそれに成功した例が無い。800万戸の空き家が需要のあるところにあれば転売すれば問題は無いが、多くが放置されて朽ち果てるのを待っている。

交通の便利な優良住宅なら、十分なメンテナンスをしていれば資産価値が上がるはずですが、銀行の評価では20年も経てば資産価値はゼロにされてしまう。実際にはそれなりの価格で売買されますが、中古住宅には住宅ローンの担保価値がほとんど無いから使えない。だから中古住宅市場が大きくなれない。

林氏の記事にもあるように、ドイツでは都市計画がきちんとしていて勝手には住宅は建てられない。建てられた住宅は戦前からあるような住宅もリフォームされて売買されており高値で売買されている。ドイツは寒冷地だから壁の厚さも30センチもあるような建物であり、簡単には壊れない。

住宅も3階建てから5階建の低層な住宅が多く、中国などのような超高層マンションはめずらしい。低層住宅ならリフォームも簡単にできますが超高層マンションの外壁補修はどうするのだろうか? 戸建て住宅でも記事にあるように街に車が入れないようにすれば、間口が狭くても駐車場は必要ないから庭を広く取れるし家の前の道路も子供の遊び場になる。

子どもと老人に優しい街づくりが求められますが、日本にはそのような発想が無い。東京などの下町の横丁は道路に車が入れず植木などが置かれて子供の遊び場になっていた。それの現代版のような街づくりが東京で出来ないものだろうか。日本では地権者の権利意識が強すぎて都市計画がなかなかできない。






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