長い記事なので、こちらのブログに載せるが、本当は「酔生夢人ブログ」で考察テーマにしたい問題である。一言で言えば、途中までの考察は見事だが、結論はダメダメ、というのが私の直感的判断だ。
企業の内部留保を国有化するとは、政府による「私有財産の略奪」であり、悪い意味での共産主義だろう。私の考える「社会主義」とも別で、その「社会主義」は、広く、「社会全体の福祉の向上のために個人的欲望の行為に制限をかける」ものである。つまり、マルクス以前の、マルクスに「空想的社会主義」と悪口を言われた「社会改良主義」である。これこそが本来の社会主義だと私は思っている。そして、どのような政治であれ、「社会改良」の意志を持たない近代政権は(現在の日本とアメリカ以外)ほとんど存在しなかったと思っている。
非常に単純な定義をすれば「社会福祉=社会主義」なのだ。社会の最大構成要件が民衆であるのだから「社会主義=民主主義」でもある。つまり「平民主義」であり、特権階級の存在やその利己的行動に反発する。どの国家のどの政府も「社会福祉」という社会主義的部分がある。その「社会主義性」を極小化する上級国民の策謀が「新自由主義」である。
なお、現在の「悪性円安」は安倍・黒田コンビの無軌道な、放埓な国債発行(日銀引き受け)による円のインフレ化(価値低下)によるもので、それがウクライナ戦争を発端とする「原料高、燃料高」によって明示化されたものだと思っている。(円に価値が無いから「物」を高値で買うしかない。)もちろん、円(日銀政策)の低金利自体も「円の価値低下」の原因だ。誰も円を有利な金融商品とは思わないから円安になる。つまり安倍・黒田は無自覚的なMMT実行者だったわけだ。そして、今、MMTの破綻(限界)が見えてきたわけだ。
(以下「世に倦む日々」から転載)
逆風のMMT - 国債発行の財源策はもう無理、内部留保の国有化しかない
アメリカでは、今回のインフレの原因をめぐって活発な論争が行われていて、特にその主役になっているのがサマーズだ。サマーズは、昨年2月の時点でバイデンの1.9兆ドルの大型財政出動を批判、「われわれがこの30年で目にしなかったようなインフレ圧力を形成しかねない」と反対していた。これに対して、クルーグマンとイエレンが反論、クルーグマンはサマーズの懸念を大袈裟すぎると一蹴し、イエレンは例によって雇用第一主義の立場から財政支出の意義を主張した。イエレンはいつも雇用第一。アメリカ人の雇用を何より優先して政策を決定する。
雇用の女王。こういう財務長官を持ってアメリカ国民は幸せだと思う。だが、豈図らんや、1年経ってアメリカは40年ぶりの悪性インフレとなり、サマーズの予言が的中した結果となった。今、サマーズは鼻高々でクルーグマンは顔色ない。財政責任者のイエレンは自己批判の顛末となった。傍から眺めながら、こんな具合に生き生きと経済政策の論争が行われるアメリカの環境が羨ましい。日本では、誰も説得的なエコノミクスで政府批判を論じない。揶揄や罵倒だけだったり、野党による政局用・選挙用の与党批判の言説に止まっている。岸田インフレとか、アベノミクス批判の一般論とか。誰も科学的な予測や仮説を立てない。
現在、アメリカの論壇で批判の矢面に立っているのが、MMTの主導者であるケルトンである。ニューヨークタイムズが4月にケルトンを直撃インタビューした記事が、さわりの部分だけクーリエに載っている。ケルトンは抗弁しているようだが、今はいかにも逆風の立場だろう。ケルトンが脚光を浴びて時代の寵児に躍り出た2019年3月、サマーズはMMTを正面から批判し、「MMTのアプローチには『一定の地点を超えれば』超インフレにつながる可能性があり、通貨崩壊のリスクがある」と警告している。MMTのバラ色の理論を「ばかげた主張」と痛罵していた。サマーズの説得力が勝利した状況になり、MMTの影響力は急速に衰えた状況にある。
ケルトンのMMT理論の肝は、インフレを起こさない範囲でどこまでも無限に自国通貨建ての国債発行が可能という点だった。来日時の会見でもそう発言した。インフレが発生するまではセーフだが、インフレになったらアウトなのである。ケルトンの理論的根拠は、この30年間の日本の経済と財政の経験で、どれほど財政出動してもインフレは起きず、通貨は安定したままの日本を見て、彼女は法則発見の着想を得、セオリーの開発と構築に至った。財政赤字がどれだけ積み上がっても、国の通貨発行権があるかぎり国債を発行してよく、むしろデフレ退治のため、需給ギャップを埋めるまで国が財政出動するのが正しいという認識と主張である。
今、日本でこのセオリーを採用して前面に掲げている代表格がれいわ新選組で、3年ほど前から論壇と政界で旋風を起こして注目を集めた。現在は自民党の一部や右翼諸派にも同類項がいる。日銀と財務省は、公式にはMMTを否定して空想論だと排斥しているのだけれど、実際の財政と予算の内実はMMTに準拠したものだと言って差支えなく、何から何まで支出は(永遠に財政破綻しないと確信を持った)国債発行に頼っている。MMT誕生の元は日本の現実過程なのである。最近の防衛費2倍増についても、増分の財源は国債だと高市早苗と安倍晋三が明言している。コロナ対策は77兆円という莫大な規模だったが、予算は魔法の杖で捻り出せるはずがなく、国債発行で賄われている。
マスコミは、社会保障や教育の予算拡充を誰かが訴えたときは、そんな財源どこにあるんだ、将来世代にツケを回すのかと脊髄反射で拒絶するが、防衛費2倍増の歳出を国債で賄うという右派の議論には、何もチェックを入れず唯々諾々と受け入れる。財務省や日銀は口ではMMTを否定しているけれど、現実には野放図に躊躇なく国の借金を膨らませているのであり、その支出が景気刺激の波及効果になろうがなるまいがお構いなしに、国債を増発して財政バランスを悪化させ、その尻拭いを消費増税で国民に押し付けるのである。30年以上その政策を機械的に続け、しかしデフレ圧力の方が強くインフレは起きなかった。
今回、日本も数十年ぶりのインフレの事態となる。長く続いて日本人に定着したデフレ常態の観念が覆る。若い世代にとっては初めての経済体験だ。モノは時間経過と共にどんどん安くなるのではなく、逆に毎月高く上がっていく。100円ショップが倒産して消える。インフレによる通貨の危機は、当然ながらドルよりも円の方が蓋然性が高い。今の円安は単に金利差だけが要因ではない。世界でも突出した財政赤字がある。加えて、日本の貿易収支は昨年8月から10か月連続して赤字で、5月は過去2番目の赤字額(2兆3847億円)を記録した。われわれの世代には信じられない事実だが、これが日本経済の衰えきった姿なのである。
さて、問題の国家の通貨発行権についてである。MMTが登場する以前は、この問題が侃々諤々されることはなかった。現在、日本の流通通貨である日銀券を発行しているのは日本銀行だ。政府に通貨発行の権利があるのかないのか、あるとすればどのような法律や法解釈が根拠となるのか、その論議にはここでは立ち入らない。私の認識は、経済はあくまで経済独自の論理を持った生きもので、政治や法の世界の固有現象とは異なるという原理論だ。どれほど制度や機構の枠組みで管理制御されていても、ゲル状の液体物質のように自由自在に運動し、人の営みと共に下から表象と実体を形作るものだと思っている。
一言で言えば、経済は可変的な性格の問題系であり、法律や制度とは関係なしに、まさに大衆の価値観と共に変わるものだ。価値観とは、大勢の人が何に価値を認めるかという問題に他ならない。回りくどい説明になったけれど、要するに言いたい結論は、日本国の通貨発行権の所与性と確然性は、それを大勢の人が頷いて認めるかどうかに懸かっているという真理である。別の表現をすれば、スーダンやジンバブエやイエメンが国家の通貨発行権の一般論を主張しても、それは有意味で説得的な言説にはならない。人がその価値をよく信用しないからである。人はそれらの国の国債を買わない。それらの国の通貨を安全な金融資産とは判断しない。
日本国の通貨発行権も基本的に同様で、人がそれを信認すれば存在し、信用が薄れれは弱まり消えるものだ。現在、日本国の通貨発行権なる実体は、きわめてリスキーな状態に直面していて、山本太郎が啖呵を切ってその存在と能力を言い上げる程の楽観的な中身ではないと私は考える。国の通貨発行権の本質は、どこまでもアナログ的でグラデーション的な変動の中にあり、生きものであり、すなわち、デジタル的な、あるかないかという法的で固定的なものではない。そう理解したとき、MMTに依拠して予算を組む日本の財政手法がいつまで通用するのかと不安を覚えざるを得ない。嘗ては高く評価されて人気を博した日本企業の工業製品は、今は世界の市場から駆逐される一方だ。
今後、MMTは流行らなくなるだろう。アメリカで有効性を否定され、経済政策の世界で影が小さくなると予想する。アメリカが神でアメリカが全てである日本でも、その思想傾向がすぐさま支配的になり、MMTは過去の神話になり、一過性のムーブメントの地位に相対化されるだろう。そのことは、単にれいわ新選組の支柱が折れるというだけの意味に止まらず、日本の財政が本格的な危機を迎えるということを意味する。これまで自民党と財務省は、打ち出の小槌のように国債増発を繰り返し、日銀に引き受けさせ、交換で得た日銀券を撒いて政策を組んだ。今、金利上昇を受け、その惰性のルーティン構造が破綻する局面が到来している。もう簡単には国債発行はできない。
24日のプライムニュースに出演した山本太郎が、アメリカでは800兆円の財政支出を行ったと言い、日本の少なさと比較してもっと増やせと訴える場面があった。たしか、トランプが2兆ドルと2.2兆ドルのコロナ対策を続けて打ち、バイデンが1.9兆ドルの追加対策を行ったと記憶する。計6.1兆ドル。現在の為替で823兆円の計算になる。が、今、その6.1兆ドルが槍玉に上がり、インフレの主因として叩かれているのである。コロナ対策で大盤振る舞いした給付金が誤りだったとサマーズは指摘する。インフレ予言が的中したものだから、そのサマーズの指弾がアメリカでは説得力をもって響いている。その言論動向も間もなく日本に上陸し、れいわに逆風となるだろう。
無論、そうは言っても、日本経済再生のための財政出動はなお必要である。この10年、政府(麻生と安倍)は無駄な財政支出ばかり膨らまし、パソナや電通に中抜きでボロ儲けさせ、大企業の利益補填に国の予算を使い、官僚の天下り法人に垂れ流し、アメリカの軍産複合体に貢いできた。富裕層と資本家とアメリカのために無駄遣いに励み、徒に借金を積み上げてきた。本来の国民経済と国民生活の再建のために、まともな政策(社会保障・教育・地方インフラ・産業再生創生・需要たる労働者所得)を正しく打つ必要があり、そのための財源が要る。アバウトに数百兆円の規模の財源が要るだろう。だが、最早それは国債ではファイナンスできない。もう無理だ。違う財源を見つけないといけない。
そんな別の財源はあるのか。ある。突飛な空論のように思われるかもしれないが、社会科学的に真摯なアイディアとして具体案を言えば、それは内部留保である。20年度時点で484兆円計上されている内部留保だ。日本人が労働して稼いだ血と汗の結晶。日本の国民経済の財産である。逆に言うと、財源となる残された日本の富はこれしかない。その意味で、志位和夫が今度の選挙で出している経済政策は正論である。5年10兆円は控え目すぎるが、正鵠を射ている。私の提案はもっと極端で、内部留保とケイマン諸島マネーの全体を国有化せよという発想だ。国有化。社会主義政策である。暴論の誹りを覚悟の上で敢言するけれど、他に財源の当てはなく、それ(内部留保)を国庫の歳入にするしか方法がない。
ラディカルな極論だと私も思う。が、それしかない絶体絶命の窮地に日本経済は追い詰められている。もう破綻している。金利が上がり、奈落の底が目の前だ。生き延びて復活するための原資となる最後のストックは内部留保しかない。国債発行(将来世代が返済する借金)は不可能である。消費増税もできない。したがって、リアルな問題解決策は内部留保の国有化しかない。そのロジックとプロセスを憲法と私法と財政学の学者にぜひ検討し考案してもらいたい。国債への依存症をやめ、怠惰な経済財政態度を清算し、内部留保を財源として確保し活用することを真面目に提起したい。
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