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徽宗皇帝のブログ

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合理主義の罠
少し前に「合理主義+資本主義=少子高齢化」とかいう題名の記事を書いたが、それについて考えてみる。書きながら考えるので、結論など持っていない。逆に言えば、「最初から結論ありき」の文章にはならないと安心して読めるだろう。
まず、「合理主義とは不合理である」、とは混沌堂主人氏が私の記事を引用した文章にタイトルを付けたものだが、まさに、そこが実は合理主義の最大の問題で、合理主義とは「ある目的に関してのみ」合理的なのである。それ以外の場面では不合理となる。嘘だと思うなら、お店の前で、玩具やお菓子をほしがって泣きわめく幼児を「合理的な説明」で説得してみせるがいいwww 説得できないなら、それが合理主義の限界である。
では、大人が相手なら、合理主義は万能か。もちろん、万能ではない。なぜなら、合理性というのは、「抽象化と捨象」を本質とする思考法だからだ。「ある問題に関して、その問題と無関係な存在をすべて捨象し、(目的とする)結論を導き出すための思考」が、合理的思考と呼ばれるものである。(詐欺師、特に経済犯の口上は一見「合理的」に見えるものだ。)ここで、「(目的とする)結論」と書いたのは、数学はべつとして、世上の多くの「合理的な解答」が、実は最初から結論が先にあって、それを世人に納得させるために「合理的な顔」を見せているだけだからだ。つまり、その思考過程には、実は「捨象」された無数の存在があるわけだ。
いや、捨象された存在は、「その問題と無関係な」と先に書いたではないか、と言われるだろうが、それは、「問題を扱う人間の主観」で「無関係」とされただけである。
そこで、合理主義と資本主義が結びつくと、恐ろしい結果になる。つまり、資本主義とは金儲けを第一義とする思想である。そして、合理主義とは、合理的思考に邪魔な要素はすべて捨象する思考法である。とすれば、その資本主義と合理主義の結婚から生まれるのは、「カネ儲けには無駄な存在(弱者や貧困者)の膨大な切り捨て」になるのは自明だろう。それが日本の現在であり、西側諸国の現在であり、おそらくこのまま行くと、中国やロシアもいずれそうなるだろう。それを予感した世界の若者たちの多くが、社会主義を肯定するようになっているのも当たり前なのである。

長くなりそうなので、ここでいったん切っておく。

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