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徽宗皇帝のブログ

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固陋と豹変
今日二度目の投稿だが、下記の記事はなかなかいい内容なので、転載しておく。表ジャーナリズムの人間の文章だから新しい情報など何もないが、問題の捉え方がジャーナリストには珍しく誠実である。特に、彼が小沢嫌い、鳩山嫌いから小沢鳩山擁護に変わった理由は、私とまったく同じである。
「男子三日会わざれば刮目して待つべし」(ワードには「刮」という漢字すらまともに出てこない。無教養なソフトである)と言うが、小沢・鳩山は人間が変わったのである。「君子(は)豹変す」と言う言葉は、今では悪い方に変わる意味で使うことが多いが、本来は、君子というものは、自分の過ちを知れば、すぐに改めるという意味合いだ。まさしく、彼らの豹変は、彼らが君子であったことを示しているのである。

「過ちて改めざる、それを過ちと言う」



(以下引用。読みやすくするために改行を加えてある)



2011年02月10日

本澤二郎の「日本の風景」(688)

<小沢嫌いが小沢弁護>
 
筆者は小沢批判の本を数冊書いた。出版社の要望に応えたものだ。坊ちゃん政治家の鳩山由紀夫批判本も。それが昨今は、必死で弁護している。自民党幹事長時代の小沢は傲慢で鼻持ちならなかった。彼の改憲論にも懸念を抱いた。また小沢も鳩山も苦労知らずの世襲議員である。しかし、政権交代時の彼らの政権公約はまともで画期的だった。彼らの変化に当方も態度を変えた。是々非々がジャーナリストだからである。


 戦後の日本はワシントンに従属してきた。独立国といえない日本だった。権力の中枢を見聞したジャーナリストなら皆知っているはずである。無様すぎる日本を、彼らは軌道修正すると国民に約束した。鳩山の東アジア共同体構想もまともであるし、事実これの実現なくして日本の再生はありえないからでもある。

<理由は脱官僚> 

明治以降の日本政治は、霞が関の官僚が動かしてきた。政治家や政党は、彼らの手の中で蠢く権力抗争集団にすぎなかった。この国の形、地方の役所まで霞が関が采配を振ってきた。門外漢には、ここのところがわかっていない。机上の空論をもてあそぶ学者も、である。
 政権与党の幹部を長く経験した者であれば、それを理解しているだろう。小沢も鳩山も知っていた。戦後60年も経ているのに行政官でしかない霞が関が、政治の実権を掌握していていいわけがない。恐らく二人の思いは共通したのであろう。
 ここを未塾な菅も前原ら政経塾議員もわかっていない。多くの自民党議員のように、国民の代表ではない霞が関におんぶされることを恥と思っていない。現在の菅執行部は、自民党時代のように霞が関任せに安住してしまっている。小沢と鳩山らとの決定的な政治的落差なのである。ぜひこのことを国民は認識すべきなのだ。
 行政官が、司法まで含めて3権を掌握していいわけがない。近代民主政治の大原則に反するからでもある。脱官僚政治は当たり前の民主的ルール、民意を反映する政治であるわけだから、鳩山や小沢の政治路線を弁護することになる。好き嫌いの判断は通用しないし、間違いなのだ。霞が関に丸投げする政治システムは、正しい民主制度といえない。官僚中心の政治システム・価値観(役人天国)を是正することが、日本近代化・民主主義を約束するだろう。

<脱米入亜> 

脱亜入欧というと、明治の福沢諭吉の主張である。そこにはアジア蔑視という悪しき価値観が官僚政治に潜んでいる。さしずめ侵略戦争の先導役を「啓蒙思想家」などとレッテルを貼られている福沢が果たしてきたことになるのである。戦後は入米に切り替えた。本質は変わっていない。アジアの仲間外れの日本そのものである。
 敗戦はアジアとの友好・アジア重視を必然化させているのに、だ。だが、ワシントンがそれを許さなかった。不甲斐ない対米従属外交こそが、霞が関の官僚が敷いてきている強固な路線でもある。
 官僚政治の根幹は天皇制と日米同盟である。鳩山内閣の日米対等論・アジア重視論こそが21世紀の日本の針路である、との認識は、全く正しい。霞が関政治から覚醒した鳩山をそこに見た筆者である。それを支援した小沢だからこそ、彼らを弁護している。善良な日本人であれば、こうあるべきだ。
 政治論としてのまともな対応ではないだろうか。国民の目指すべき方向なのだから。是非理解を深めてもらいたい。「政治と金」という短絡した問題に追い込む菅執行部と支援するマスコミは、間違っている。既に検察が十分に対応した問題を、依然と引きずろうとする点には、ワシントンにひれ伏す菅内閣を見てとれるだろう。小沢排除は政経塾・ワシントン・霞が関の共犯ではないだろうか。反対する理由なのだ。

<霞が関に潰された日本>

 大事なことは、このままの日本は沈没する。現に年々沈下している。ワシントンもそうである。孫たちに借金させて、その金で月収206万円と法外な官房機密費を駆使する菅内閣の大増税路線は誤りであろう。よしんば10%消費税にしても、財政破たんを解消などできない。
 国民ではなく、官僚主導の官僚のための制度全てを、国民のための制度に切り替える。そうでなければ、消費税負担でさらなる景気の悪化、雇用の悪化で終始することになる。悪政であろう。
 中曽根バブル政策も霞が関の判断ミスである。国債依存症も同じである。日本を破滅させている官僚政治を、今後とも継続することは許されない。
 民間企業であれば、全ての役人は倒産により路頭に迷うことになる。それが官僚政治のもとでは、議員も役人も中曽根バブル期の報酬を懐に入れて水膨れして恥じない。身を削ろうとしない。民衆の怒りはこの1点にある。
 思えば、戦前の神権天皇制や軍国主義の路線を編み出してきたのは、霞が関の官僚たちである。それでいて敗戦においても責任を回避した。戦後においても中曽根バブル崩壊と現在の財政破たんという2度の、人々を滅亡の淵に追い込んでしまっている。
 これは歴然たる事実なのである。官僚の、官僚による、官僚のための政治を卒業しないと、60年前のような円が紙切れになる事態が招来する。名古屋市民の革命は、そこから派生している。霞が関主導の財政破たんが許される地方自治からの離脱にこそ河村革命の本質がある。机上の空論に酔う学者にはわからない。既成政党も同じレベルといっていい。
 日本の今は、まさに滅亡の淵に追い込まれているのである。

<官僚におんぶされた菅内閣>

 鳩山退陣後の民主党代表選挙で菅直人は、松下政経塾・霞が関・財閥の支援を受けて脱官僚の小沢を、かろうじて破った。この菅体制は旧来の自民党政治と同じなのである。
 財閥と霞が関が実質支配する日本に戻ってしまった。ワシントンが霞が関を支配することになる。彼らは小沢排除で、日本を亡国へと引きずり込もうとしている、としか筆者の目には映らない。どうだろうか。杞憂では断じてない。
 河村のように市長報酬をとことんカットする。その上で議員にも1600万円報酬を半分にしてもらう。続くは役人報酬の半減である。双方の定員を半減すれば、市政コストは激減するわけだから減税も可能なのである。
 議員も役人も奉仕の観念を前提としている。日本の霞が関路線は違う。血税を吸血鬼のように奪い取って政府・地方を破綻させている。それを現在も、である。狂気の沙汰であろう。
 霞が関が心中しようとしているワシントンの衰退は、今後とも変わらない。戦争国家・産軍複合体制から離脱できない軍事国家の再生は不可能である。中東での失敗は明らかである。それでいて、こんどは東アジアの緊張に日本を巻きこむ構えだ。
 ワシントンと霞が関の狂気の路線を、今後とも許してなるものか。国民は本気になって立ち上がる時なのである。4月の統一地方選と次なる総選挙で霞が関政治に安住する既成政党と決別するしか、日本は生き残れないのだから。

2011年2月10日記



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