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徽宗皇帝のブログ

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恫喝と脅迫の政治
朝日com.より転載。橋下知事の危険性が明確に現れてきたようだ。石原慎太郎二代目とも言うべき超右翼政治家である。それをファッシズムならぬ「ハシズム」と呼ぶ向きもあるが、その程度のネーミングでは、彼の危険性は一般人には伝わらないだろう。
この「橋下手法」に対する内田樹の論評を「引用2」として転載しておく。

権力の本質が暴力であり、さらに脅迫である、ということを、ヤクザの弁護士であったとかいう橋下は熟知している。あの童顔の下にあるのは怪物である。
「俺が実権を握った後は、俺に反対した人間は皆殺しにする」と言う人間と、「私が実権を握っても、私に反対した人に危害は加えません」という人間のどちらが実権を得ることになるか、自ずと明らかだろう。橋下のやっていることは、市職員に対する脅迫である。
恐ろしいのは、こうした「橋下手法」をむしろ面白がり、「実行力のある政治家」だとして高く評価するB層が、彼を支持する可能性が非常に高いことである。
自らは無力な庶民の、それも最下層にいる人々が、思いのままに暴力をふるって世の常識や秩序を破壊する怪物に快哉を叫ぶわけである。だが、破壊されるのは自分たちの生活なのだ。ナチスに反対する人間がすべて粛清されるなら、全員がナチスを支持する社会以外にはなりえない。そんな社会を大阪府民や大阪市民は望んでいるのだろうか?

(以下「朝日コム」から引用)

橋下知事「都構想推進する大阪市幹部、リストアップを」
 大阪府の橋下徹知事は12日、代表を務める「大阪維新の会」の会議で、同会の大阪市議らに「大阪都構想を推進してくれる市幹部を10月初旬までにリストアップしてほしい」と述べた。大阪市長選を控え、平松邦夫市長や市幹部らを牽制(けんせい)する狙いがあるとみられる。
 橋下氏は、維新の会として都構想の具体像や工程表をまとめた「推進大綱」について、「市役所は真っ向から反対しているが、実現する組織にしないといけない」と指摘。「市長選を取ったら一気に政治で人事権を行使する。(維新市議の)皆さんが市職員を詳細に評価してほしい」と訴え、「政治に足を踏み込んできている市職員がいる。根こそぎ外しにかかってください」と力を込めた。
 橋下氏は会議後、報道陣に「(選挙前の)10月10日前後に人事会議をやる。そこで市役所の新しい態勢を決めていく」と述べた。

(引用2「内田樹の研究室」より)

橋下大阪府知事は、持論である大阪都構想に賛成の市職員を抜擢し、反対する市職員を降格するためのリスト作りを維新の会所属の大阪市議に指示した。
首長選の候補者が選挙に先立って公約への賛否を自治体職員の「踏み絵」にするというのは異例の事態である。
公務員が遵守義務を負うのは、憲法と法律・条例と就業規則だけのはずである。「大阪都」構想は、その当否は措いて、今のところ一政治家の私念に過ぎない。それへ賛否が公務員の将来的な考課事由になるということは法理的にありえまい。
まだ市長になっていない人物が市職員に要求している以上、これは彼に対する「私的な忠誠」と言う他ない。彼はそれを「処罰されるリスクへの恐怖」によって手に入れようとしている。
私はこの手法に反対である。
脅迫や利益誘導によって政治的意見を操作してはならない。私はそう信じている。それは強制された政治的意見は必ず間違っていると思うからではない。暴力的に強制されたのだが「内容的には正しい政策」というものは論理的には存在しうる。
私は政策の当否について論じているのではない。
「強いられた政治的意見」は「自発的な政治的意見」より歯止めを失って暴走する傾向が強いことを案じているのである。
歴史を振り返るとわかるが、「強制された政治的意見」を人々は状況が変わるといとも簡単に捨て去る。
後になって「ほんとうは反対だったのだが、あのときは反対できる空気ではなかった」という言い訳が通ると思えば、人はどれほど過激な政策にも同調する。私が恐れるのはそのことである。
あからさまな強制は、それに屈服した人たちに「説得力のある言い訳」を用意してくれる。その「安心」が人を蝕む。

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