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徽宗皇帝のブログ

徽宗皇帝のブログ

戦う前にまず冷静な分析を
「No nukes原発ゼロ」というブログから転載。元記事は「長周新聞」。
もちろん、「長周新聞」のサイトも私の「お気に入り」に入っているが、下記記事は未読だったので、孫引き転載した。
現在の日本の状況を、批判すべき点を明確にしつつ、整然とまとめている。もっとも、結論部分については賛成しかねる。


人民に奉仕する思想に徹して、敵と正面からたたかっていく政治勢力として結集すれば戦争情勢に打ち勝っていくことができる。「原爆と峠三吉の詩」パネルの原爆展運動などは発展性がある。唯我独尊で自己主張するのではなく、大衆が世の中を発展させる原動力であるしそこに学んで高めて返していく。大衆のたたかう力を確信して束ね、援助していく。そうすれば戦前乗り越えられなかった課題を乗り越えることができる。


「原爆と峠三吉の詩」パネルの原爆展運動などは、まったく発展性の期待できないものとしか私には思えない。現在、日本が苦しんでいるのは原発事故のためであって、原爆のためではない。原発と原爆は明確に違うと大多数の人間は考えるだろう。しかも、その原発の是非についてすら、国民世論は二分されている状況だ。原発事故のもたらした放射能禍について無知な人間もたくさんいる。そんな中で時代錯誤的な「原爆と峠三吉の詩」パネル展などをあちこちで持ちまわっても、見る人は少ないだろう。むしろ「フクイチパネル展」「原発の真相展」のほうがはるかに興味を引くはずだ。
それに、「人民に奉仕する思想」が、はたして「持続可能性」を持つものかどうか。過度な自己犠牲を伴う活動は長続きしない、というのが私の考えだ。そして、「敵と正面からたたかっていく」行為も危険すぎるだろう。ここで言う「敵と正面からたたかっていく」というのがどういう手法による戦いをイメージしているのかよく分からないのだが、新聞紙上で「筆誅を加える」ことだろうか。もちろん、それも立派なことだが、相手が法に守られつつ、自らは法を無視できる立場にあることを考えれば、本当に「敵と正面から戦う」ということができるのかどうか、私には疑問なのである。
A記者のこれらの言葉が記事の結論とは限らないが、だいぶ「言葉が踊って」いて冷静さを欠いているように私には見える。
まあ、記事の批判ばかり並べたが、「長周新聞」という存在が実に素晴らしいものであることは確かである。今の大マスコミ、表マスコミに「長周新聞」の半分ほどでも、良識や、人民を守る姿勢や戦う姿勢があればいいのだが。

先に批判の前説を書いたために、下記記事を読む気が失せた、という人が出てくるとすれば申し訳ない。下記記事そのものは多くの有益な情報も含み、鋭利な分析に満ちた、読む価値のあるものなので、ぜひお読みいただきたい。



(以下引用)



国民収奪した挙げ句戦争へ

集団的自衛権行使を閣議決定 米国益のために憲法ねじ曲げ 
 安倍政府が1日、圧倒的な反対世論を押し切って、集団的自衛権が行使できるよう憲法9条の解釈を変えることを閣議決定した。かつての大戦によって320万人もの国民の生命が奪われ、その生活のうえにいいしれない痛ましい傷痕を残した。





戦後はその痛恨の経験から戦争を否定し、武力参戦しないことを国是としてきたが、69年たって「戦後レジュームからの脱却」を掲げた戦犯の孫によってねじ曲げられ、今度は米国の国益を守る為に日本の若者が世界の紛争地帯に駆り出され、死ななければならないという暴挙が実行されている。

戦争狂いの暴走に対して、大衆斗争の展望はどこにあるのか、記者座談会を持って論議した。

 

 全国的運動束ね戦争阻止へ


 A この間、政府与党の公明党がさも反発しているような素振りをしてお茶を濁してきたが、プログラム通りに与党合意して閣議決定した。安倍晋三は記者会見のなかで「今回の閣議決定は憲法の規範性を何ら変更するものではない。全ては必要最小限度の自衛の措置に限られる。現行憲法の下で国民の命と平和な暮らしを守るため、万全の備えをするためのものだ。全ては国民を守るため、目的はただ一つです」などといっている。


 しかし内容は九条の解釈変更で、具体的には「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」場合などに集団的自衛権を使えるようにするというものだ。


 B 自国防衛だけなら集団的自衛権など必要ない。「集団的」つまり日本以外の国の戦争、具体的には米国の戦争に加わって武力行使するための解釈変更にほかならない。3要件といっても抽象的な言葉ばかりが並び、国連が特定の国に対して制裁や武力制圧をおこなう集団安全保障についても、「自衛の措置」なら武力の使用を可能にするなど、適用範囲には制約がない。閣議決定を一つのステップにして、早速関連する法整備に取りかかろうとしている。


 C 解釈変更といっているが、憲法はあってないに等しい。9条には「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と明記している。どこが解釈の変更なのかだ。


 D 安倍晋三の解釈こそがすべてで、「わたしが最高責任者だ!」といって憲法を超越している姿が以前から問題になっていた。改憲を断念し、その後は憲法96条(国会の3分の2以上の賛成と、国民投票で過半数以上の賛成がなければ憲法改正できないと定めた条文)の変更をいい出したが引っ込め、解釈変更という姑息な方法によって、国会や国民の審判を何ら受けない形で武力参戦を可能にしようとしている。手続きとして見てもデタラメ極まりない。


 B 憲法が飾り物になっている状況は今に始まったことではない。「陸海空軍その他の戦力は保持しない」というが、朝鮮戦争の最中に警察予備隊がつくられて自衛隊に昇格し、90年代のカンボジアへのPKO派遣を皮切りに海外派兵もずっとおこなってきた。イラク・アフガン戦争にも参戦して、米軍の輸送や給油部隊の活動を担い、ペルシャ湾では掃海艇が魚雷の処理をおこなった。
帰国した自衛隊員が多数自殺していることも問題になっている。


自衛隊は早くから米軍の傘下に入っているし、その装備にしても米軍を補完するもので、命令・指揮系統も米軍の傘下。軍事訓練も共同でやるなど、下請軍隊として早くから扱われている。「後方支援」に出向いたイラクでは米兵から「バナナ(黄色・イエローモンキーの略)」とバカにされていたことを原爆展を参観した自衛隊員が語っていた。集団的自衛権の行使を可能にすることによって、全面的に軍事衝突の矢面に引きずり出すものだ。


 A 集団的自衛権の行使は、2000年代のイラク戦争の最中にもアーミテージ元米国務副長官が来日して促していた事実をメディアが報じている。87年にもペルシャ湾に掃海艇の派遣が求められていたという。最近では四月にオバマが訪日した際も「アフリカ行ってこい」と自衛隊の派兵が求められていた事実が発覚した。


アメリカが繰り返し要求してきたことだ。米国は財政的にも破綻して戦費がないことと、国内ではイラクで米軍の死傷者が多数出て反発が吹き荒れ、兵隊が足りない。だからコストがかかる米兵にかわって自衛隊をタダで最前線に放り込もうとしている。米軍を守るために自衛隊が存在している関係だ。


 D 米軍が血を流したくない戦場の最前線に日本の若者が立たされ、米軍の指示によって戦争し、死ななければならない。なにが「全ては国民を守るため。目的はただ一つです」かだ。首相という立場にある者が息を吐くように嘘を付く。アメリカの戦争に駆けつけて参戦するというだけだ。


日本の為政者にとって米国の利益を離れて「他国」というものは存在しない。アメリカの国益の為に戦争に行くくせに、「限定的です」「邦人が狙われているのに、日本国憲法がその生命を守らないで良いといっているとは私には思えない」などと詭弁をやる。


 B イラクでもアフガンでも殺戮は基本的に米国本国から操縦した無人爆撃機が担うようになっている。そうした戦闘が終わった地域を「非戦闘地域」に認定して生身の自衛隊が放り込まれ、反抗を制圧したり治安維持にあたることが想定される。間違いなくテロの標的になる。


限定的というが、殺したら殺される。一発撃ったら仕返しが来る。そして仕返しに対して仕返しをして武力衝突が激化する。限定的で済むわけがない。盧溝橋事件を見ても一発の銃声から中国全面侵略に乗り出していった。現地の自衛隊員が狙われるだけでなく、日本列島は当然報復攻撃の対象になる。


 A 戦争に前のめりになっている。しかし具体的に想定してみて、日本列島は戦争できる状態か? 
原発が五四基もあって、核ミサイルをわざわざ撃ち込まなくても、いつでも原爆になり得る。送電線が爆破されただけで原子炉を冷却できなくなることは福島事故で証明された。


その他にもLPGや天然ガスのタンク、コンビナートが都市部にも山ほどあり、これが爆撃されただけでも社会は麻痺する。地震津波、豪雨などの天災すら対応できないのに、どうやって戦争するつもりなのか。


 あと、超高齢化社会で少子化だ。若くて生きのいい兵隊がいない。戦前は産めよ増やせよといって一人の女性に10人近く出産させて戦争に引っ張っていったが、今の日本社会は搾取しすぎて戦争に連れて行く頭数がいない。しかも学校統廃合や効率行政化をやりまくって、さらに少子化を促進している。子どもや若者が少数ということは、すぐに徴兵制が来るということでもある。それでも足りないといって、よその国の外国人移民まで戦争に引っ張っていきかねない。


戦後賠償は大変なことになりそうだ。食料自給率はTPPによって10%台まで落ちるといわれている。輸入を断られたら餓死しなければならない。戦争できる国なのかどうか、具体的に考えれば考えるほどバカげていることがわかる。


 権力者が頭のなかの願望をクルクル回転させて飛び跳ねている。しかし日本社会にとっては「為政者が賢くないから仕方がない」では済まない。


 C 集団的自衛権の行使は防衛省よりも外務省が熱心に推進している。国際間の紛争を武力で解決しないというのが戦争の教訓だったのに、なぜ外務省が武力衝突を推進しているのかだ。外交で解決するのが外務省であるし、外交官であるはずだ。これも崩壊している。


 D 日米「安保」条約に縛られて半世紀以上が経過した。米軍基地がある岩国や沖縄の戦後一貫した実感は、日本を守る為ではなくアメリカを守る為に米軍基地があり、日本が利用されていることだ。第2次大戦で原爆投下や空襲によってあれだけの人間を殺して日本列島を奪いとった。そして単独占領して、朝鮮戦争やベトナム戦争では日本国内の基地から出撃していった。


戦後は対ソ連、対中国をにらんだアジアの軍事拠点にしてきた。9・11後には基地を警備する米軍が市街地・住民側に銃口を向け、米軍幹部は本土に逃げ帰る訓練ばかり繰り返していた。「日本を守る」気など微塵もない。


 A 安倍晋三を筆頭にして政治家は突っ走っている。しかし、日本の若者に「死んでこい」という度胸などこの連中にはない。へっぴり腰のくせに勇ましい言葉ばかり並べて、米国のご機嫌取りをしている。かつての大戦で天皇と岸信介は無罪放免されたものの、戦争指導者だったA級戦犯たちはみな死刑になった。そうでもして人柱を立てなければ、おさまりはつかなかった。


他人の子どもを戦場に送って殺すのだから、大切な家族を奪われた親兄弟の恨みはすごいものがある。のうのうと生きていけるのか考えないといけない。しかし、今戦争指導者気取りをしている連中に、そのような覚悟などまるでないのも特徴だ。願望にかられて浮薄に飛び跳ねている。


 D 自衛隊が送られる戦地はアフリカやイラク、ウクライナのような米軍が行きたがらない地域になることが想定される。しかし、なぜ自衛隊が顔を突っ込んで、ISIS(イスラム教スンニ派の武装集団)やアフリカ大陸のボコ・ハラム(イスラム系武装集団)と戦闘しなければならないのか、自衛隊員たちはいったい誰のために死ななければならないのかは説明がつかない。


 B 今回の国会の茶番劇では、インチキ宗教団体の正体も暴露された。公明党は「平和の党」を標榜してきたが、人騙しも大概にしなければならない。自民党の選挙マシーンというだけで、与党利権で飯を食っている宗教団体だ。まるで反対しているような素振りで批判世論をガス抜きして、最後は困ったような顔をして容認していく。


下関の学会婦人部メンバーのなかに「本部はあのような結論を出したが、それでも私たちは反対だ」などと周囲に吹聴しているのがいるがそういう振る舞い自体がインチキじみている。世論扇動とかの陰謀を平気でやる。


 C 米軍再編問題が争われた岩国市長選の際、自民党が推していた福田を応援するために学会員をフル動員して陰謀行動をしたことがあった。井原陣営の誹謗中傷をスーパーやバスの車内、食堂などで周囲に聞こえるように学会員同士が会話形式で同じ事をやって回り、口コミ効果を伴うネガティブキャンペーンを組織的に展開した。あのような陰謀じみた行動は創価学会ならではのものだ。


 D 何が「平和の党」かだ。下関市議会議員の生態を見ても歴然としている。安倍派以上に安倍派の中心的な役割を担い、市議会の実質議長といわれているのも公明党議員だ。監査委員などのポストにしがみついて行政運営に睨みを効かせつつ、生活保護や市営住宅利権をあさり、箱物事業でも業者を引っ張ってきて安倍代理市政にねじ込んでいく。潰れかかった安倍派企業に公共工事をあてがったり、特権を振るう位置にいる。それが本質だ。


 C 「与党利権が欲しいから集団的自衛権に賛成するのだ」と正正堂堂いえばいいのだ。初めから打ち合わせして、どうやって騙して治めるか出口戦略についても考えていたはずだ。この猿芝居にも批判が高まっている。政教分離などあってないようなもので、これも憲法を超越した振る舞いになっている。


 A 他国への武力参戦は閣議決定や解釈変更くらいで決められるような代物ではない。改憲や九六条変更を引っ込めてごり押ししたが、民主主義の合法性がまるでない。安倍晋三がそう考えるからOKなのだといっても、国民は誰も納得していない。


「福島は完全にコントロールされている」とIOC総会で発言したが、現実がどうかではなく、「僕がそう思っているからそうなのだ」という思考方法が特徴だ。国会はないのと同じで、東京都議会を笑えない。そして憲法もないに等しい。司法も否定して、何にも規制されずに政府というのが解釈を変えたり好き勝手をやり始めている。三権分立も否定されている。国家権力を私物化している姿だ。


 D 日本全土を核ミサイルの戦場にさらすことになる。あれだけ原発がありながら再稼働を迫っているのも米国だ。全般的に人民生活を切り捨て、日本社会の崩壊が各分野で深刻なものになっている。米国債を大量に買わされて日本からは富みが収奪され、郵政民営化では350兆円がもらえるといってウォール街が歓喜した。


今度は農協解体で200兆円ともいわれる共済が狙われている。年金資金(130兆円)も株式に突っ込んで、米国ヘッジファンドに献上しようとしている。日銀による異次元の量的緩和も海外機関投資家にマネーを提供しているだけで、みな食い物にされている。


 一方で「国家財政が厳しい」といって諸諸の税収奪が始まった。消費税は10%が目前に迫っている。法人税減税といいながら中小企業に対しては赤字であっても巻き上げるといっている。相続税も変化した。所得控除を廃止して「女も働け」といっている。


他にも相続税とは別に死亡税を導入するとか、携帯にも税金を課すといった案が、自民党内部で次から次に飛び出している。国民を年貢奴隷と見なした政治がやられている。終いには「奴隷なんだから戦場に行って死んでも構わない」というものだ。


 B 製造業を見ても国内に設備投資はせずに海外移転を繰り返し、今やどこの国の企業なのかわからない。株主も外国人、社員まで外国人だ。国内を徹底的に搾り上げたおかげで貧困層が拡大し、物は売れず景気は後退するばかり。さんざん貧乏にした挙げ句、狭隘化した市場に見切りをつけて海外市場を追い求め、同時に安い労働力を求めて海外に製造拠点まで移し、果てしもない利潤獲得競争にうつつを抜かしている。


「日本の大企業」というより多国籍企業化しており、税金負担など都合の良い部分や、人材育成だけを日本社会に依存する関係になっている。利益を上げたら、株主や経営者が法外な収入として懐に入れ、社会には貧乏人が大量生産される。


 そうして乗り出した海外の工場、設備、利権や企業資産を守り、現地労働者や住民の反発を鎮圧する最大の手段が軍事力だ。米国の国益を守るための集団的自衛権であると同時に、こうした多国籍企業の海外権益を守るために自衛隊が地球の裏側まで飛んでいき、鉄砲玉にならなければならない。


安倍晋三が単純な戦争狂いというだけでなく、資本主義世界が行き詰まっているもとで、大企業なり金融資本というのが凶暴に海外権益を求め、軍事衝突すら辞さない激しい市場争奪を繰り広げていることを最大の根拠にしている。労働者が食べられなくなること、失業と貧困が戦争に直結している。


 A 社会の生産を担い、富をつくり出しているのは労働者で、それ以外にはいない。その労働に寄生して太ってきた大企業の株主や重役ばかりが莫大な報酬を得て、日本社会を食い物にしている。同時に、アメリカに対しては奴隷根性を丸出しにして富を略奪されても卑屈な対応しかできない。


 労働者家庭の生活も未来も破壊して、生命の再生産すらできない極限の貧困状態をもたらした。これほどの少子高齢化社会は世界に例がない。絶対的な貧困状況がもたらした結果だ。強欲に搾取し過ぎたおかげで資本自身も富の源泉を失って世界をさ迷っている。その権益を守るための戦争に国民を駆り出すところまできた。第二次大戦に突入していった時期と情勢はそっくりだ。


 B 政治勢力を見渡すとほぼ戦時中と同じで、翼賛化してあてになる勢力がいない。社民党から「日共」集団にいたるまでみな親米勢力であることが見透かされて、相手にされない。左翼と称してきた勢力はみな自滅している。それなら悲観して済むのかだ。


 A 人民に奉仕する思想に徹して、敵と正面からたたかっていく政治勢力として結集すれば戦争情勢に打ち勝っていくことができる。「原爆と峠三吉の詩」パネルの原爆展運動などは発展性がある。唯我独尊で自己主張するのではなく、大衆が世の中を発展させる原動力であるしそこに学んで高めて返していく。大衆のたたかう力を確信して束ね、援助していく。そうすれば戦前乗り越えられなかった課題を乗り越えることができる。


自分に奉仕させるという戦後はびこったような団体ではなく、人民に奉仕する政治団体でなければだめだ。下から大衆的な運動を束ねて、戦争阻止のたたかいに大合流させていくこと、全国的な統一戦線の力を強力なものにして、戦争狂いを叩き潰す課題が迫られている。


長周新聞 2014年7月2日付


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