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徽宗皇帝のブログ

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戦争は作られるものである
宇佐美保という人のブログから抜粋転載。
途中に出てくる、平凡な一市民が戦場で「兵士」としてどう行動したか、という生々しい記述は、戦争というもののリアルな姿を教えてくれる。いや、それを見るまでもなく、我々の父や祖父の世代は、自らそれを体験した方が沢山いるのである。(自分は戦場に行かず、安全な場所で戦争を煽っていた連中の子や孫が今の政官界の中心の大半だが。)
我々は、「戦争は(不可避的に)起こるものだ」と考えがち(これが武装論者の考え方の基本である。)だが、「戦争は(それを必要とする人々に)作られるものだ」と考えるべきだろう。
それまで仲良く暮らしていた人々が、突然敵と味方に分断され、殺し合いをさせられる。それが戦争である。

敵味方ともに、最高の目標のため気高い戦争を行った、などということがありえたはずがない。

お互いがそれぞれ自らの「正義」と「愛国心」(内戦なら「民族の誇り」)の下に戦い、殺しあうという、この喜劇。
こんなブラックな喜劇は、「戦争を決める人間」を誰かが殺す勇気があれば、即座に終わりである。次の人間が立てば、それも殺す。それこそが本当の愛国的行動だろう。
だが、不思議なことに、「戦争を決めた人間」はまず殺されることはないのである。もちろん、自ら戦場に行くこともない。真の戦争責任者が処刑されることもない。だから戦争は無くなることもない。
地上から戦争が無くなるとすれば、すべての国が「憲法第9条」を持つことによってのみである。




(以下引用)




 このような民族のモザイク国家(別にユーゴだけに限らず今後アメリカを初め世界の国々は皆民族のモザイク国家となって行くでしょう)が、民族の独立を煽れば、とんでもない不条理が生じます。


 


 その一例を、千田氏の「ボスニア政府軍の捕虜になり、己の罪の重さを痛感して、裁判長に自ら「死刑にしてください」と答えたというセルビア側兵士ポリスラフ・ヘラク(22歳)」に関する次の記述に認められます。


(引用文中、名前、地名などは一部省略させえて頂きました)


 


 戦争がはじまるまで、小学校卒(義務教育は入年制で、日本の中学二年相当)のヘラクはサラエボ市内の繊維工場で台車を押す労働者だった。友人の中にはムスリム人も多く、民族(宗教)が違うという理由でトラブルがあったためしはない。断食明け(パイラム)などイスラム教のお祝いの時にはムスリム人の家に招かれたし、セルビア正教のクリスマス(新暦一月七日)には逆に彼らを自宅に呼んだものだった。


 他民族と仲が悪いどころか、姉(三〇歳)はムスリム人のタクシー運転手のところに嫁いでいる。父方の祖母はクロアチア人だ。民族が入り混じって共存するボスニアの多くの人間同様、ヘラクも「純粋のセルビア人」ではない。戦争がはじまった後もへラクは、サラエボからセルビア側陣地に向かう五月一六日まで、ムスリム人やクロアチア人と一緒に、サラエボ防衛のための自警団パトロールに参加していた。


 ヘラクがセルビア側兵士になろうと決心したのは、しつこく誘う伯父の「来なければ民族の裏切り者になる」というひとことだった。「セルビア軍に志願すれば、家もテレビも、それに給料ももらえる」というのも魅力だった。「裏切り者」になりたくはなかったのはもちろんだが、いつかテレビを買うのが夢だったからだ。それに伯父は「サラエボに残っていれば、ムスリム人に殺されることになる」とおどかした。


……


その数日後、はじめて人間を殺した。サラエボ近くのDB村で捕虜にした六人のボスニア軍兵士だ。ヘラクは命じられて、三人をカラシニコフ銃で撃ち、残り三人は後ろ手に縛ったままナイフで殺した。○○という名の男は「たのむ、殺さないでくれ。おれには女房とまだ小さい子どもが二人いるんだ」と何度も叫んだ。ヘラクはだまって○○の首にナイフを当てた。上官から忠誠心を試されている、やらなければ自分がやられるとヘラクは思った。


しばらくして○○は、ヘラクの夢の中にあらわれるようになった。ヘラクは同じ夢を何十回も見た。そのたびに汗びっしょりになって目覚める。タバコをふかし、眠りに落ちると、また○○があらわれるのだった。


サラエボの北西七キロほど、A村での略奪のことはよくおぼえている。六月後半の午前中で、よく晴れた日だった。


 この日、ヘラクら100人ほどの部隊はトラック三台でA地域に到着した。現場には、セルビア本国からの「××部隊」約八○人がすでに到着していた。ヘラクは、元溶接工のR(四七歳)とその息子のD(一九歳)という親子兵と三人組になった。


 上官の命令は「A地域はセルビア陣地の間にある戦略的な地域で、セルビアの村として浄化しなければならない。動くものはすべて殺せ。村はムスリム人とクロアチア人だけで、セルビア人はいない。家はすべて焼き払え。仮に生き残ったものがいても、戻れないようにするのだ」というものだった。実際には略奪も目的だ。月給一〇ドイツ・マルク(約七〇〇円)ほどの兵隊たちにとつては、割りのいい「副収入」になる。


 最初の家には子どもを含む五人がいた。タンス預金のドイツ・マルクや金などの装飾品を出させた後、全員を撃ち殺す。電化製品など目ぼしいものを集めていると、外にトラクターが到着した。戦利品を荷台に乗せ、次の家に向かう。ここでは五〇〇マルク(約三万五〇〇〇円)を分捕った。主人夫婦が「セルビア人」と書かれた身分証明書を出したが、二人とも撃ち殺した。上官は村にセルビア人はいないといっていたし、テレビを持っているような金持ちは、たとえセルビア人でも殺してかまわない、とヘラクは思った。


 三軒日の家に入ると、……年取った方の頭をいきなりカラシニコフで吹き飛ばす。……中年の女も射殺した。


四番日の家では、子ども四人、女二人、男四人の一〇人が地下室に隠れていたのを見つけた。金目のものを出させた後、銃を突き付けながら、……だれかが「撃て」と叫んだ。……カラシニコフ自動小銃を腰だめにして引き金を三回引き絞ると、三〇発入りの弾倉が空になった。目ぼしいものを運ぶために、トラクターがもう一台必要だった。


 この「作戦」の後、ヘラクは近くのセルビア人の村で、念願のテレビを買った。テレビのほか、ビデオデッキと電気掃除機も買った。

 


 この様に悪行の限りを尽くしたセルビア兵士ヘラクが死刑になるのは当然ではありましょうが、戦争なんかが起こらなければ彼は民族への拘りもない一般市民だったのです。


ユーゴ紛争発生当時、日本に来られたユーゴの女性の方が、「昨日まで、お互い民族など意識せず無関係に仲良く暮らしていたのに、何故、急に憎しみ合い殺し合いを始めてしまったのか?とても悲しい」と嘆いておられる姿がテレビ画面に映っていました。


 


 何故斯くも、平和に暮らしていた市民が地獄に突き落とされるのでしょうか?


 


(中略)
 


 


千田氏の『ユーゴ紛争』の「はじめに」に於いて次のように記述されています。


 



「○○民族が悪い」という書き方はしていない。悪いのは民族ではなく、民族主義をあおり、戦争をすすめた指導者達である。強制的に動員され、戦場で人間を殺させられた兵士をふくめ、圧倒的多数は犠牲者だ。……

 


 この「指導者達」が「民族主義をあおる」手段は、「マスコミと情報操作」となります。


千田氏は、次のようにも記述しています。


 



マスコミと情報操作


 旧ユーゴではかなり前から各共和国の利害、主張が対立していたが、テレビやラジオの全国放送はなかった。全国紙は一紙だけ。各地の方言・言語で印刷され、内容もバラバラの六共和国二自治州の新聞全部を読まないと「本当のユーゴは分からない」といわれたが、わたしは四紙がやっとだった。


ユーゴ紛争は八○年代後半、民族主義をあおったこれらのマスコミが準備した。戦時下でも、軍隊並かそれ以上に戦局を大きく左右した。各当局にとって、マスコミは国民を戦争に動員し、国際世論に訴える重要な武器だった

 


 更には、ノーム・チョムスキー氏(マサチユーセッツ工科大学教授)は『911 アメリカに報復する資格はない』(山崎淳訳、文藝春秋発行)の中で次のように記しています。


 


……人々を不合理で殺人的で自殺的である行動に駆り立てる、巧みなプロパガンダ組織の力を軽視すべきではない。冷静に見ることができるよう遠い例を挙げよう。第一次大戦だ。敵味方ともに、最高の目標のため気高い戦争を行った、などということがありえたはずがない。しかし、両軍とも、兵隊たちは相互虐殺に向かって大いなる高揚をもって行進して行った。ドイツでは、知識層と、兵士を動員した者たちの歓呼の声に送られて、政治的立場を超え、左から右まで、世界で一番力のある左翼政治的軍団をも含む軍隊は進撃して行ったのである。例外は非常に少なかったので名前を挙げることができる。最も優れた人のなかには、この戦争の気高さを疑ったため刑務所に入れられた人もいた。ローザ・ルクセンブルク(ドイツのマルクス主義者・革命家)、パートランド・ラッセル(英国の数学者、思想家)、ユージン・デブス(アメリカの労働運動家)らである。ウイルソン(米国の大統領・国際連盟の創始者)のプロパガンダ機関と、進歩的知識人の熱心な支持の助けによって、平和主義国家が数カ月のうちに狂ったような反ドイツ・ヒステリーに陥り、野蛮な犯罪者に復讐をする態勢を整えた。野蛮な犯罪の多くは英国情報局が発明したものだった。これは決して不可避ではなかった。われわれは近年の民衆闘争の教化的効果を過小評価すべきではない。進軍命令が出たというだけの理由で、破滅に向かって断固として歩き出す必要などない。

 


 この「巧みなプロパガンダ組織の力を軽視すべきではない」とのノーム・チョムスキー氏の指摘を裏書きするように、アメリカ・ブッシュ親子政権は、巧みな情報操作の結果、湾岸戦争、イラク侵略と、イラクを徹底的に壊滅状態に陥れました。


更には、冷戦終了後、当然の流れとして軍事費の縮小が期待されたのに、今では逆に以前に増して、ブッシュ親子、又、ブッシュ政権の主要人物等が直接間接的に関連する軍事産業は大繁盛で大喜びでしょう。


(拙文《ブッシュ元大統領と国防関連企業への投資会社との関係》等を御参照下さい)

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