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徽宗皇帝のブログ

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抵抗して国のために死ぬより、降伏して自分たちの命を守れ
「世に倦む日々」ツィッターから転載。ただし、内容に賛同しての転載ではない。

「この犠牲と辛苦と忍耐が、いつの日か必ず報われる日が来る。」

というのは、誰にとってだろう。少なくとも、虐殺された2100余人にとってではない。では、生き残った人々は、どのようにして報われるのか。またそれは彼らの忍耐の結果か。
いや、単にイスラエルが攻撃をやめたから、というだけだ。それを「イスラエルの根負け」と私は見ない。何かの口実さえあれば、またすぐイスラエルはパレスチナ弾圧と攻撃を始めるだろう。けっしてイスラエルが「根負け」したわけではない。なぜなら、ガザ(あるいはハマス)はイスラエルに対して何一つ効果的な反撃をしたわけでもないからだ。せいぜいが、世界の世論がイスラエル批判の高まりを見せているから、少し休止して様子見をしているだけだ。これを「根負け」とは言わない。猫が捕らえた獲物をいたぶって遊んでいるだけだ。
なぜ私は、「世に倦む日々」氏のこの言葉に対し、このような批判的なことを言うのか。それは、この種の意見がガザの人々やハマスの「抵抗」を賛美し、結果的にはその被害を無際限に拡大するのに資するだけの意見であるからだ。
たとえば、日本が太平洋戦争において、絶対的に降伏を拒否し、本土決戦まで至っていたら、それは日本にとって正しい決断だっただろうか。その場合、一般庶民の死者の数は膨大に膨れ上がっていたはずだが、その「抵抗」は、「いつの日か必ず報われる日が来る」のだろうか。
誰にとって報われるのか。むしろ、「広島・長崎」に至る前の早期の「降伏」こそが国民全体のためになっていたのではないか。日本は敗戦からは見事な復興を遂げた。だが、国民の最後の一人まで「抵抗」し、徹底的に戦っていたら、日本は滅亡していたはずである。
「世に倦む日々」氏の「抵抗賛美」の思想は、「特攻隊賛美」の思想とまったく同根であるように私には思われる。そもそも、戦争というものが一般庶民にとって最大の災厄以外のものではないのであり、戦争が始まれば、一刻も早くそれを終結させるより良いことは無い。「国家の名誉」も「愛国心」もクソもありはしない。国民の命を守らない国(本当は「国」ではなく「政府」が国民に戦争を命ずるのだが。)を愛するなどキチガイ沙汰である。おっと、そういえば、フクシマという事例が進行中であった。



(以下引用)

ガザの人たちは屈服しなかった。殺されても、殺されても、殺されても、イスラエルに対して降伏せず、抵抗することを止めなかった。立派だ。こうじゃなきゃいけない。殺されても、殺されても、屈服しなかったのは、最後に勝利する希望があり、そのための条件があるからだ。耐えなくてはいけないからだ。
ガザでようやく停戦が実現。2100人以上の犠牲を出しての平和の成果。イスラエルの根負けだ。不屈の精神で抵抗し抜いたガザの人々に拍手と賛辞を送りたい。この犠牲と辛苦と忍耐が、いつの日か必ず報われる日が来る。真の勝利者となる日が来る。各国政府はガザに支援を。インフラの復旧に援助を。

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