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徽宗皇帝のブログ

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拝金主義、新自由主義、安倍主義、麻生主義の使徒
「世に倦む日々」から転載。
いい記事である。
私は別記事でこの事件の犯人をキチガイだ、と書いたが、彼の思想は「経済合理主義」の点から言えば、合理的そのものだろう。
「経済価値の無い存在は社会に不要だ」という考えであり、それこそがまさに今の日本社会を、いや、世界全体を覆っている呪いの思想であるのだが、「経済的価値」を最優先するなら、そうなるしかないに決まっているのである。

さあ、あなたはこの犯人と同類なのか、それとも違うのか、自問してみるといい。

そして、あなたは、経済価値が無いと分かれば、自分の家族や恋人を殺していいと同意するのかどうか。


(以下引用)



重度障害者を19人も非道に殺害した動機 - 7月26日夜のテレビと皇居
c0315619_15111023.jpg相模原の福祉施設で重度障害者19人が殺害された事件。犯行の動機は何かとテレビの人間は言いつつ、動機とは無関係な、子どもの頃は明るかったという近所の者の証言や、教師をめざして教育実習をしたなどという経歴をしつこく繰り返し報告している。「動機は何だったのでしょうか」という問いのフレーズは、視聴者に答えの説明を期待させて番組に繋ぎ止める巧妙な口上で、要するに視聴率を稼ぐための釣りの毛鉤だ。昨夜(7/26)のテレビ報道を見て、犯人の動機が番組からよく解説されたと納得した者は少ないだろう。テレビで喋る者たちは、目的とする視聴率稼ぎを果たした後で、ペロッと舌を出すように、「警察による動機の解明が待たれます」などと言ってCMに逃げていた。いつもの詐欺的な手口に呆れ果てる。テレビや新聞が、どこかの心理学者や専門家を引っ張ってきて見当外れな駄弁を弄させなくても、犯人の動機は十分に説明されている。本人が大島理森に提出した手紙が、動機の核心を記した告白文書そのものだ。犯行の目的と方法が綴られ、犯行を正当化する身勝手な「大義」が書かれ、ほとんど完全な犯行予告となっている。これ以上、動機解明の証拠となるものはなく、動機の報道についてマスコミも警察も回り道をする必要はない。



c0315619_15112346.jpg事件の動機で不明な点はない。一次資料がストレートに真相を示している。犯人はこう書いている。「私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です」、「障害者は不幸を作ることしかできません」、「戦争で未来ある人間が殺されるのはとても悲しく、多くの憎しみを生みますが、障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます」、「理由は世界経済の活性化(略)です」。障害者は抹殺するべきだというのがこの男の信念であり、障害者を施設に入れて介護するのは無駄であり、支援は悪であるというのがこの男の思想だ。この手書き文書の文面は、昨夜(7/26)の報ステとNEWS23でパネルにして紹介され、両番組とも同じように女子アナが読み上げた。ナチスの優生思想と障害者安楽死政策を想起させるこの文言が、生放送のスタジオで読み上げられたとき、私は何とも気持ちが悪かった。番組は、この考え方を非難し糾弾する意図で、ありのまま文言を紹介したに違いないが、テレビは中立の媒体であり、それが一つの思想として客観報道の処理を配慮され、公共空間に生の姿をあらわすと一体どういうことになるか。

c0315619_15113638.jpgテレビを見ている世帯には、身体障害者や知的障害者の子どもを抱えた家庭も多くある。子どもと一緒にテレビを見ている。この事件は本当に深刻で、凄絶で、心が残酷に傷つけられるもので、彼らがニュースに食い入る真剣さはわれわれの比ではないだろう。障害者を抱えた家族だけでなく、介護の必要な高齢者を抱えた家族も多い。その高齢者もテレビを見ている。介護を受けながら生を繋いでいる弱者の立場の者は、家族に迷惑をかけているという負い目を持ち、肩身の狭い思いで、心細く、小さく小さくなって生きている存在だ。そしてまた、そういう境遇を強いられている家庭というのは、この国の中で、生活に余裕を持って暮らしている者は少ない。彼らの前に、この文書の主張がそのまま露骨に表出されたとき、まるで一つの主義主張として公的地位を認められたような感覚で公然と突きつけられたとき、彼らの心の中はどれほど辛く苦しい状態になるだろう。そういう想像力が、報ステとNEWS23のスタッフにどこまで働いただろうか。この猛毒の主張をテレビで報道するときは、それを許されざる社会悪として、邪悪きわまる公共敵として、断固として否定し断罪する強い態度と演出が必要だったと私は思う。

c0315619_15115745.jpgだが、星浩にはそれがなく、後藤健次にもそれがなかった。キャスターの表情や口調には、テレビの前の障害者への配慮が微塵もなかった。そのとき私が思ったのは、障害者の団体は、どうしてメッセージを発信しないのだろう、どうしてメッセージをテレビ局に伝えて放送させないのだろうということだった。その問題提起をブログの記事にしようと考えていたら、今朝(7/27)の朝日の朝刊の一面に、知的障害団体が「残忍、許せぬ」と声明を発表した件が載っていた。団体のHPに昨夜(7/26)公表したとある。注文をつけられる立場ではないが、マスコミ報道の影響を考えると、もう少し早く動いて欲しかった。この団体の関係者はテレビで障害者と家族の声を代弁するべきで、テレビ局は障害者団体の代表者こそを事件報道のコメンテーターとして起用するべきだ。昨夜、テレビを見ながら思ったことのもう一つは、皇居の両陛下はどんな気持ちで報道を見ていただろうかということだ。このことを書くと、また左翼方面から汚い誹謗中傷が飛ぶので憂鬱になるが、こんな視点を提供するのは私だけであり、独自の意味ある議論なので私は止めない。私がテレビのコメンテーターであれば、このことに注意を向ける。両陛下は、激務の中、実に頻繁に障害者の施設を訪問している。

c0315619_15121099.jpg即位以来ずっと、否、皇太子夫妻時代から、全国、訪れていない福祉施設はないのではあるまいかと思うほど、津々浦々の施設を訪問している。今回の事件の衝撃はいかばかりだろうと推察する。おそらく、10月の皇后誕生日か12月の天皇誕生日の機会に、この事件に触れるだろう。両陛下は、この国の障害者とその家族の心の支えになってきた。ネットの情報を見ると、現天皇は皇太子時代の1964年に東京五輪後に行われたパラリンピックの名誉総裁を務めており、その際、「このような大会を、国内でも毎年行なってもらいたいと思います」と述べ、この言葉がきっかけになって1965年より国体に合わせて身障者スポーツ大会が開催されるようになったとある。この人は本当に弱者にやさしい。若いときから弱者へのやさしい眼差しが一貫している。日本身体障害者団体連合会会長の小川榮一は、「両陛下のおかげで障害者福祉が大きく前進したといっても過言ではありません」と言っているが、この言葉に納得する。両陛下は、おそらく、皇居のテレビで後藤謙次と星浩の無内容なコメントを聞き、危機感をつのらせたことだろう。襲われても抵抗できない、社会的に最弱者である障害者を狙った大量殺戮。その犯行を正当化する絶対悪の優生思想。それに対してあまりに怒りの質量のない、倫理的な対抗力のない、悪に対して釣り合いが取れない無味乾燥なキャスターの言葉。

c0315619_1512215.jpgこの事件を語るマスコミの言葉の中で、欠落していたと思われるのは「非道」という単語だ。昨夜(7/26)、戦後最悪の大量殺人事件があり、犠牲者の規模の上では帝銀事件を凌ぎ、横溝正史の『八つ墓村』のモデルになった戦前の津山事件にまで遡る前代未聞の凶悪事件があったというのに、NHKの7時のニュースでは時間を延長した報道をせず、何やら、米国で民主党大会が行われて大統領候補が正式指名されただの、谷垣禎一の自転車事故は本当は重傷で頸椎損傷だっただの、この事件以外のニュースに割かれた時間がやたら多かった。事件の重大性に正しく向き合う姿勢にマスコミがなっておらず、事件に震撼した様子が報道のどこにも見られない。安倍晋三がゴルフをするのは戦略的に意味があるなどという特集をやっているテレビ局もあった。NHKは、安倍晋三が何か官邸で夜7時に合わせて演説をセットしたときは、嬉々としてだらだら生中継し、放送時間を延長し、安倍晋三の情婦ではないかと一部で噂された岩田明子に長々とヨイショ解説をさせる。昨夜、NHKと民放のキャスターたちが、「それでは次のニュースを」と平気な顔で言えるのが不思議で仕方なかった。人間の正常な倫理観が失われていて、生放送の表現や所作で、あって当然の反応が出ない。国民を代弁する言葉や表情が出ない。非道という言葉は一度も出ず、渾身の怒りが噴出する場面は一度もなかった。

昨日(7/26)午後、テレビで映るやまゆり園の映像は、半日前、45人が襲撃されて19人が残虐に殺されたとは思えぬほど、静かで瀟洒なたたずまいを見せていた。だが、あの中には、難を逃れることのできた100人ほどの重度障害者がそのまま生活している。二つの棟の三つのフロアが襲撃されているため、つまりは120人が犯人と遭遇している。生き残った者も、どれほど恐ろしかったことだろう。彼らは、声を上げることもできず、その場所から離れることもできず、外からマスコミのカメラで捕捉されながら、じっと息をひそめて暮らしている。という、見落としてはいけない大事なことを、障害者に内在した視点からのやまゆり園の真実を、テレビで視聴者に訴えた者はいなかった。今もそこで100人の生活が続いているという、その想像力を視聴者に伝えた者はいなかった。まるで、事件の後、あの建物の中が空っぽになったような報道だった。マスコミ報道は、コンパッションを欠いている。


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