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徽宗皇帝のブログ

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日本の経済成長は可能か(補遺1)
「日本の経済成長は可能か」については前回で結論まで書いたが、補足的な考察をしておく。
「経済成長」を、単にパイの大きさを拡大することだと考えたら、経済成長は無い。しかし、パイの中味を充実させ、味を良くすることはできる。
これからの日本は、そういうように、「量的拡大」ではなく「質的向上」を経済の成長とするべきである。それは日本人の生活の質自体の向上を経済全体の目標とする、ということだ。たとえば、現在の教育内容に満足している人はいない。しかし、延々と「受験のための教育」体制が続き、子供たちを不幸にし、教師たちを不幸にし、父兄を不幸にしている。そのような理不尽さをひとつひとつ洗い出し、変えていく、というようなことが「生活の質の向上」である。

さて、個々の産業の中から、私は下に挙げた産業を成長可能産業と見た。
これはほとんど直感的に評価付けしたものだが、それを検討してみる。


Ⅰ(内需型成長可能産業)

1 10点:農業・林業、公務
2 9点:卸売・小売業、生活関連サービス業、娯楽業
3 8点:建設業、運輸・通信業、不動産業、物品賃貸業、宿泊業、飲食サービス業
4 7点:電気・ガス・熱供給・水道業、学術研究・専門技術サービス、医療・福祉


Ⅱ(外需型成長可能産業)

1 11点:建設業、宿泊業・飲食サービス業、生活関連サービス業・娯楽業
2 10点:なし


Ⅰ-1ーa:農業・林業

農業と林業は分けて論じるべきだし、林業については従事者が少なく、産業規模が小さいと思うので論じない。問題とすべきなのは農業である。
日本の最大の潜在力は「水資源」である。季節風によって毎年台風が大雨をもたらし、冬には雪が降って春には雪解け水がふもとを潤す。さまざまな形で、膨大な降水量を日本は得ているし、それはおそらく永久的に続くのである。この水資源を利用することで農業は大きなアドバンテージを得ている。もちろん、水害は大きいが、それは為政者や住民の無為無策の結果である。毎年のように訪れる台風や長雨、大雨、大雪に対して、毎年被害があるというのは無為無策以外の何物でもないだろう。
アメリカなどでは、あの広大な土地にも関わらず、水不足や水質汚染が深刻化し、農業に影響が出ている、と聞いている。つまり、土地の有無よりも水資源の不足のほうが農業には本質的な欠陥となるのであり、日本はその点、最初から比類の無い「資源大国」なのである。
しかし、土地が無ければ農業はできない、と言われるだろうが、土地の概念を自然の土地とだけ考えるからそう思うのである。たとえばビルの屋上も土を入れれば土地なのだ。海を埋め立てても土地は作れるのだ。山を切り開き、谷を埋めても土地は作れるのだ。(それらをやることによるマイナスもあるから、それをやれ、と言っているわけではない。ただ、現代の土木工事機械を使えば、土地を作ることは容易だ、と言っているだけだ。)
台風などによる農作物の被害が心配なら、頑丈な壁や屋根で田畑を囲えばいい。屋根は開閉式にして日光を適宜入れればいい。そうした「オートメーション農場」「農業工場」を作れば、農作業は楽になるだろう。つまり、初期投資をやるかどうかの問題なのである。銀行は今や融資先が無くて瀕死の状態だが、こうした野心的な計画に出資すればいいのである。
要するに、田中角栄の「日本改造計画」ではないが、今こそ新しい「国土改造計画」を国家的プロジェクトとしてやるべきなのである。別の言い方をすれば、日本は農業国として再生するのがいい、ということである。農業のような労働集約的産業ならば、高度な学問は不要だから、「受験勉強」からドロップアウトした多くの「普通の若者」の就職の場にもなる。自然を相手の仕事だからストレスも少ない。ということで、農業には大きな可能性がある、と私は考えている。

Ⅰ-1-b:公務

公務員を減らせ、公務員を殺せ、というのは良く聞かれる言葉だが、むしろ公務員の数は少なすぎるくらいだ、と私は考えている。
政府から直接にカネを貰っている仕事を公務員と言うのなら、生活保護受給者も年金生活者も公務員である。ただ、仕事をしないだけだ。仕事をしないのはできないような理由があるからだ。また、公務でありながら、その仕事をボランティア的組織に押し付けていることもある。つまり、一部の人間の犠牲によって「公務」がなされているのである。たとえば自治会の仕事はそうだろうし、PTAの仕事もそうだろう。障害や病気や老齢のために働けない人間が生活保護や年金を受けていることに憤りを感じる「健常者」は(特にネトウヨに)多いようだが、彼らは自治会やPTAの「無償労働」には怒りを見せない。要するに、他人が少しでも自分より「いい目」を見ているのは我慢ができない、というだけのことだ。
どうも話がまとまらないが、要するに、「公務」の範囲を広げ、労働には正当な報酬や給与を支払うようにすれば、「公務員」の数は現在より大幅に増えるだろうが、それによって生活環境は良くなり、最底辺の貧困問題も改善されるだろう、というのが私の考えだ。
たとえば定年退職したサラリーマンなどを「準公務員」として雇って、警察や病院や学校などの補助的な仕事をさせたらいいと思う。持病のある人には、持病があってもできる仕事をやらせればいい。そういうアレンジの仕事こそが、厚生労働省の役目だろう。
ただカネだけを払い、「働いたら生活保護は支給しません」では生活保護ヘイトは収まらないだろうし、受給者のためにもならないだろう。
たとえば、学校に用務員や施設管理者、警備員を置くことで、学校の運動場を市民が休日に利用できるようになる。生徒は休日の部活動は休ませることで異常な部活動が正常化される。ほかにもいろいろあるだろうが、「公務」の範囲を大きく広げることで、新しい「職」が増え、労働者数も増えるのである。その給与は税金から払うにしても、彼らもまたそこから所得税は払うわけだ。つまり、労働がある限り、カネの循環が起こるのである。




















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