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徽宗皇帝のブログ

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日本を救うには
「日本の貧困化の問題」

貧困化からいかにして日本を救うか、という問題を考えてみる。
この問題を解決することは自分の未来を救うこと、自分の子供やその子供の未来を救うことでもある。
ただし、具体的な解決方法については、ずっと前に幾つかの文章の中で述べているので、ここでは原理的な面や全体としての方向性を中心に考えてみる。
念のためにおさらいしておくと、「貧困産業に金を流すこと」、言葉を変えれば、「虚業ではなく実業に金が払われる社会の構築を目指すこと」が日本を貧困から救うための私の解決案であった。ただし、ここで言う「虚業」の代表が銀行とマスコミであり、銀行を尊重する世間の常識と私の考えは大きく隔たっている。

トルストイの「イワンの馬鹿」の中で、悪魔が「私は頭で金を稼いでみせる」と言って、詐欺師的な金稼ぎの方法をあれこれ演説するのだが、百姓たちは何一つ理解できす、悪魔は喋り疲れて目を回し、演説台から転げ落ちるという話がある。要するに、現代社会での金稼ぎの多くは、この悪魔のようなものだ、ということだ。我々が素朴な百姓のように、汗を流して実際に働くことだけが報酬を得る道である、と考えれば、日本の貧困化は止まる、と私は考えているのである。生存のための労働を、職業の最上位に置くことが、日本人の常識になった時に、日本人の社会生活は健全なものになるだろう。(まるで、安藤昌益みたいなことを、私は言っているが、聖人・賢人こそが国賊である、という安藤昌益の言葉は、今ならば知識人階級や学者連中、そして不労所得を貪る連中が国賊だということだ。)

もちろん、私は頭脳労働の存在は認める。投資行為を禁じることも、現段階では難しいだろう。しかし、段階的にでもいいから、実業を虚業の上に置く思想を社会の土台にしない限り、世界は金融家の手の上で踊り続けることになるのである。

改革の第一段階は、貨幣発行権を国家の手に取り戻すことである。
改革の第二段階は、すべての国民に平等に生業資金を国家が貸し付けることである。
改革の第三段階は、所得と財産の上限を設けることである。

第三の改革によって第二の改革のための資本が生まれることになる。どのような境遇にある人間でも、義務教育は無料で受けられ、中学卒業までの生活費は支給される。つまり、全国民がこの期間は生活保護を受けるわけだ。
中学卒業の時点で、一人一人の国民は、その後の人生をどういうコースで生きるかという最初の判断を下すことになる。上級学校に進むか、専門学校に進むか、あるいはそのまま就職するか、である。ただし、医者や法律家などになるのは、専門学校コースである。公務員も同様。上級学校とは、学者になる連中だけが行くところで、人口の5%以内しか行かないものとする。つまり、現在の高校・大学のほとんどは専門学校、つまり職業訓練学校になる。
中学卒業が、いわば成人式となる。この時に、すべての国民に一律に500万円支給される。その金を使って上の学校に行くのもよいし、貯金して将来の開業資金にしてもよい。ただし、ここからは「生活保護」は無くなり、税金を納める立場になる。いわば、この500万円は、将来納める税金の一部還付の先払いである。これが改革第二段の「生業資金の貸付」だ。
いったん就職した後で、気が変わって専門学校に行くのももちろん良い。

公務員になるには、他の職業の経験が5年以上必要とする。政治家の場合は、10年以上の社会経験が必要とする。また、公務員の給与は民間平均を超えないこと、政治家はボランティアの職、つまり実費以外には支給されないものとする。つまり、真に社会の幸福を求めるという意図の者以外は政治家になるものはいないようにする。政治家に与えられるのは名誉のみである。

身寄りのない障害者、老人、病人などの面倒は国家が見る。生存に必要な住居・食料・最低限のエネルギー費用などは国家の支出とする。

中学を卒業して特に希望する職業が無い場合は、原則として農業要員となる。というのは、農作業のほとんどは、もともと労働集約的な作業であり、人力で代用できるからである。健康な身体を持った若者のやる仕事として、農業ほど良いものはない。もちろん、漁業や林業も同様だ。現在のように機械化された農業や、農薬漬けの農業の方が異常なのである。
若者人口のうち3割から5割程度が農業要員になれば、日本の食料自給問題は、ほぼ解決するだろう。そして、それと同時に雇用問題も解決するわけである。もともと、若者の3割から5割は、頭を使うよりも体を使う方が得意なのである。それに、頭を使う方が高級な生き方だということもない。問題は、「カッコ悪い」「カッコいい」というだけの判断で仕事や生き方を決めているという馬鹿馬鹿しさなのである。

第一次産業への人口シフトをこのように行ったら、今度はエネルギー問題である。
地球全体の化石燃料は、今世紀中に無くなるだろう。その後は、当然自然エネルギーの利用の出番である。今は、石油利権を握っている連中の策謀で自然エネルギーは「割に合わない」という定評が作られているが、割に合おうが合うまいが、化石燃料は必ず無くなるのだから、自然エネルギーに移行せざるを得ないのは当然だ。今から、その準備を進めるのも当然だ。

石油の枯渇によって、全世界の軍事バランスには大きな変化が生じる。アメリカはその巨大な軍事力を維持できなくなるだろう。石油を使わない軍艦、戦車、飛行機は考えにくいからだ。原子力飛行機? まさか、である。原子炉の危険性を考えれば、原子力空母や原子力戦艦も、相当無理がある、と見るべきだろう。つまり、石油が無くなれば、アメリカの軍事的優位性はなくなる、ということだ。
つまり、アメリカとくっつくことによる軍事的政治的経済的メリットは、日本には無くなるのである。言うまでもなく、そのデメリットは無数にある。何よりもアメリカ自体が、日本を巨大な財布としか見ていないからである。

テレビは放送時間を各局8時間に制限し、その内容の4分の1はニュース・報道、4分の1は教養とすることを義務づける。放送時間は朝6時から8時までと、夕方6時から12時までとし、昼間の番組と深夜番組は認めない。NHKも同様である。これによって膨大なエネルギーの無駄と国民の白痴化を防ぐ。

マスコミによる洗脳、教育による洗脳は、以上の改革で実現できる。高等教育なるものを受けるために日本人が高校大学という無駄な7年間を過ごす膨大なエネルギーの無駄遣いをやめるだけでも、巨大な人的資源を生み出すことができる。今の高校の学習内容は、そのほとんどが大学受験のための勉強で、大学での勉強は、実社会とはほとんど無関係な、「学者による、学者を作るための勉強」である。つまり、日本人は、その貴重な青春の7年間を、遊ぶことと、無駄な学問の習得にのみ使っているのである。そして、その「高等教育」から落ちこぼれる無数の若者たちは、社会への不平不満を解消するために、犯罪者的行動に走る。また、貧しさのために高校や大学に行けず、その結果、有利な就職もできず、一生を社会の底辺で生きることを運命づけられた若者たちがいる。

このような社会を変えるためにできることを少しでもすることは、すべての日本人の義務である、と私は考えている。

追記:「自由貿易」は国際金融家とアングロサクソンの利益のための手段の一つであると私は考えている。上記の方策を読んで、「世界の中の日本」という視点が欠けている、という人には、「国際化」によって不幸になった無数の国々の存在を指摘しておこう。特にアフリカはそうである。極端に言えば、私は「鎖国」も考えていいと思っているのだ。

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