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徽宗皇帝のブログ

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日本社会の風土病としての「抑圧の委譲」症候群
「ブロッギン・エッセイ」から転載。記事の所在は孔徳秋水氏のツィッターで知った。

私は「抑圧の委譲」という言葉には日本語としての不自然さを感じるが、そのことは前に書いた。(「委譲」というのは、「委ね、譲る」ことであり、概してプラスの行為に用い、しかも譲る側と譲られる側の同意があると私は思っている。「抑圧の委譲」は、この2点に反していると思う。「抑圧の連鎖」「抑圧の悪しき伝統」とでも言うべきではないか。)
しかし、とりあえず、簡便な言葉ではあるので、その言葉を用いるなら、「抑圧の委譲」は日本社会全体に蔓延する社会的病気であることは間違いなく、それを「抑圧の委譲」症候群とすることに賛成する。

まあ、簡単に言えば、日本が「タテ社会」である、ということが昔から今までまったく変わらず、しかも上の人間が下の人間を抑圧し、いじめ、搾取する、という構造があるわけだ。
なぜ上の者が下の者をいじめるのか、ということ自体を人々が不思議に思わないといけないはずだが、それを不思議に思う人間すらあまりいない、というのが現実ではないか。
ひどい場合には、単なるいじめを「下の者を教育し、成長させるために必要な行為だった」と擁護する者も現れるのだが、それはおそらくそういう人々自身、かつて下の人間を抑圧してきたからだろう。要するに、「抑圧行為(いじめ行為)の否定」自体、かつての自己の行為の否定であり、自己否定という不快な行為だから、いじめ肯定論を取るのだと思う。
運動部の部活などでも、なぜ先輩だというだけで、あれほど下の人間に「権力」をふるう資格があるのか、運動部経験のほとんど無い私にはまったく理解できないことだ。いや、文化部ですらそうなのではないか。
家庭においても、姑に抑圧されてきた嫁が、自分の息子の嫁を抑圧する話は枚挙にいとまがない。
日本社会のもっとも厭な部分が、この「抑圧の委譲」である。


(以下引用)





「このハゲーーーっ!」から見えてくる日本の暗部
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 豊田真由子議員のあの絶叫暴言は,今年の裏・流行語になることは間違いないにしても,笑ってばかりもいられない深刻な事態がそこには潜んでいるように私には思えるのだが,そのことを指摘する論評が見当たらないので,あえてここに書いてみることにした。単に豊田議員個人の資質や人格の問題として片づけることができない,戦前から続く根深い問題がそこにはあると思うのである。

 私は,密室車内での暴言・暴行の様子を録音したテープを聞いて,これは野間宏が描いた軍隊内務班の世界だなと即座に直感した。兵営内の兵士たちが起居する場である内務班には,ああいった理不尽な命令やいじめ,暴力,私刑(リンチ)がはびこっていた。すなわち,そこは人間が息することもできない「真空地帯」。そこでは,すべての人間が人間性を剥ぎ取られた兵士となる。

 たしかに兵営には空気がないのだ。それは強力な力によってとりさられている。いやそれは真空管というよりも,むしろ真空菅をこさえあげるところだ。真空地帯だ。ひとはそのなかで,ある一定の自然と社会とをうばいとられて,ついには兵隊になる。
 (野間宏『真空地帯』より)


 徹底した階級の上下関係だけが日常を支配している軍隊内務班に,人間的自然の発揚する余地はない。暴力が日常茶飯事に繰り返される。野間宏が描いたのは実際の戦場ではなく,その戦場に駆り出される前の兵営での軍隊生活であるが,実はそこで散見される腐敗や不条理,非人間性というのは,兵営内ばかりでなく,その外の一般社会にも通じる問題でもあったわけである。その意味で『真空地帯』は,日本社会全体の暗部を暴き出した小説と言える。そして,それが,今の今まで続いているということである。

 敗戦後に軍隊は解散されても,その旧日本軍的な体質(いじめ・体罰・しごき・リンチ・暴行・パワハラ・腐敗etc)は社会の至る所に依然としてはびこっているのである。自衛隊や警察・機動隊は言わずもがな,企業・学校・医療・スポーツ界・芸能界等々,社会のさまざまな場面で「真空地帯」が作られている。それぞれの閉鎖空間の中で,暴力をテコにして上下・服従関係が形成・維持され,個人が自由に考え振る舞う空気が奪われていく。個人の人格・人権なんてどうでもいい。上の命令がすべて,という全体主義的世界。

 そういう旧軍的な体質は国政レベルでも変わらないということが,今回明らかになったわけである。ある自民党幹部がいみじくも「あんな男の代議士なら,いっぱいいる」と言ったが,それが実態なのだろう。

 豊田真由子が女性だからといって,軍隊的な体質は何ら変わらない。むしろ,そこでの「抑圧の移譲」は先鋭的になっている。「抑圧の移譲」とは丸山真男が唱えた軍隊の論理だが,要は,上の者に抑圧された下の者がさらに下の者を抑圧していくこと。弱い者がさらに弱い者を叩く構図。そうすることで心理的・組織的なバランスが辛うじて保たれる。その構図が典型的に現れていたのが旧陸軍の内務班であった。

 ★「豊田真由子さんと私の関わり」

 豊田真由子の親友らしき人物が書いた上の弁護論を読んでも,私にはエリートさんの抱えるストレスや心の闇がよく理解できないのだが,唯一言えるのは,軍隊的な「抑圧の移譲」によって彼女も心理的なバランスを保っていたのだろうということである。すなわち,男性優位の社会で抑圧された生活を強いられてきた彼女は,同じ抑圧を年下の女性や立場の低い弱者に押しつける。そうすることで,自らが受けた抑圧の屈辱や鬱憤を晴らそうとする。そうしなければ心理的なバランスが保てず,アイデンティティが侵されると感じていたのだろう。実はこの論理は,日本会議や神道政治連盟に属する女性議員に共通するメンタリティにほかならない。

 小池百合子,稲田朋美,高市早苗,山谷えり子,片山さつき,佐藤ゆかり,そして豊田真由子!生活保護バッシングにしても電波停止にしても「自衛隊としてお願いしたい」という脅しにしても「このハゲーーーっ!」という暴言にしても,要するに弱い者いじめとしての「抑圧移譲」症候群だ。これこそが彼女たちの正体である。旧軍隊の体質を最もよく表しているのが,今では日本会議系女性議員と言っていい。こういう弱い者いじめ,「抑圧移譲」をこのまま許しておいていいのだろうか。こういった形で国づくりを進める人たちには即刻,政治の舞台から退場してほしいと私は切に願うのだが,読者諸賢はどう思われるだろうか。



 さて,小説『真空地帯』の登場人物で,リンチを受けた初年兵は次のような苦しみをノートに書き留めないではいられなかった。この苦しみは今も変わらない。今,日本の至る所が「真空地帯」だ。弱者は常に「蝉」である...。

 苦しいか,おい,苦しいか。苦しいといえ。
 心などもうなくなってしまった。自分をどうすることもできない。犬のようにたたきまわされても,なんともないし,ひとりでに手があがるだけ。
 自分がこんなになるとは思えなかった。胃袋が口のところまででてきている。
 靴は重いし服はだぶだぶ。ざらざらざら。おかあさん……また,今日も,せみです。

*「蝉」とは軍隊内での制裁の一つで,柱にのぼって蝉の鳴き声を真似ること。


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【第3弾】〈物事にはねえ!裏と表があんの!!〉さらなる壮絶な絶叫暴力

豊田議員:私が違うって言ったら違うんだよ!バーカ!
秘書男性:はい。。。


 

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