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徽宗皇帝のブログ

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日米関係の「可能な選択」を考える
少し前の(昨日のだったか?)記事で書いた「敵の本丸を突け!」について、考えてみる。
これはなかなかの難問なので、最初にその問題提起を再確認しておく。

1)反安倍(反「戦争法案」)ではなく、反米闘争こそが有効である。
2)「戦争法案違憲論」よりも先に「自衛隊違憲論」を強く主張すべきである。

このうち、2)については、

*「自衛隊違憲論」を今持ち出すことで、果たして国民の心を動かせるか。
*「自衛隊違憲論」を言うなら、その先に何を考えているのか。「完全非武装論」か。それとも、「安保条約で米国に守ってもらい、日本自体は非武装でいる」のか。

という2点の疑問がまず生じるだろう。この2点目の中の「その先の考え」のうち後者は、言うまでもなく1)と対立する考えである。もちろん、1)と2)は別の人間の論であるから、対立自体は問題は無い。

つまり、日本が選択しうる道は、

A:反米、安保解消、自衛隊の完全軍隊化(米国との集団自衛権否認)
B:反米、安保解消、完全非武装
C:日米(安保)同盟堅持、自衛隊の完全軍隊化(米国との集団自衛権容認)
D:日米(安保)同盟堅持、完全非武装(米国への軍事的完全依存)
E:日米友好関係維持、安保に代わる非集団自衛権的な新日米協定締結、自衛隊の非軍隊化

などが考えられると思うが、私はこの最後のEがもっとも現実的で日本国民にとって利益が大きいものではないか(これは考え方次第だが)、と今のところは考えている。「自衛隊の非軍隊化」というのは、自衛隊を「災害救助隊」とするということだ。ただし、その形態についての考えは熟しておらず、武装と軍事訓練はある程度可能にしておき、いざという場合には軍隊に転用できる形態でもいいか、とも考えているが、完全非武装でもいいとも思う。世界的に機が熟すれば、完全非武装にするわけだ。
上記のBとEは、米国との関係が正反対だが、防衛問題に関してはほぼ同じとも言える。
なぜAやBなどでの「反米」が必要か、というのはここで説くまでもなく、誰でもうすうすは分かっているだろう。つまり、日本が米国の属国であることが、日本の政治と経済のほぼあらゆる問題の根底に横たわっているからである。(だから、Eを日本国民にとって利益が大きい、と書いたのは、考え方次第であるわけだ。)だが、即座に、では「反米」で行くべきだ、と断定できないのは、それほど日米関係が密接なものであること、そして米国の力の強大さが、日本の「独立」を許すかどうか、あまりにこころもとないからである。いざとなれば日米開戦、とまで覚悟して「独立」できるのか、ということだ。
もちろん、日本が属国であるなどと政権党も官僚も認めたことは無い。だから、米国に対して、いくらでも反論し、その言うことなど聞かなくてもいいのである。(これが、Eが含意する新しい日米関係だ。)世界のどんな小さな国でもそれはやっていることだ。一か十まで米国の言うことを聞き入れ、相手の言わないことまで忖度して従うという徹底的奴隷国は日本くらいのものである。
要するに日本の為政者が、独立国の気概を見せれば、それですべては済む話なのである。
まあ、以上は、議論点を明確にするための叩き台のようなものだ。現実政治はこれほど簡単なものではないだろうが、逆に、問題点を明確にせずに議論をしても、何の現実的な答えも出ず、議論が紛糾するだけだろう。
なお、現在の政権がやろうとしているのは上記のCへの移行であることは言うまでもない。「完全軍隊化」とは自衛隊を(憲法9条に縛られない)「(海外まで出ての、要するに侵略的な)戦争のできる軍隊」にしよう、ということである。

今見直すと、現在の自衛隊の状況を入れた選択肢が欠けているようだから、それを入れておく。

F:日米(安保)同盟堅持、現自衛隊のまま(米国指揮下にあるが、海外での戦争は不可)


私はEがお勧めだが、それが駄目ならFも悪くはない。つまり、「現状維持で何が悪い」ということだ。「憲法9条下の自衛隊」というのは、ある意味、最高の軍隊なのである。これこそが世界で尊敬される「平和国家日本」の象徴だろう。自衛隊が日本国民に受けている評価も、戦争によるものではなく、災害救助での活躍によるものなのである。







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