ふと、人権思想はどのようにして発生したのか、あるいは誰が最初に唱えたのかという疑問を感じたので、調べてみた。調べる前に考えたのは、「革命という『事実』が人権思想に優先し、人権思想は革命を正当化するために考え出されたのではないか」ということだった。
革命以前には「王侯貴族の権利」はあっても「平民の権利」は無かったと思う。もちろん貴族や武士でもやたらと平民を殺したりはしなかっただろうが、それは「良識」や「人情」や「打算」によるもので、平民の権利、つまり人間にはすべて生まれながらの権利、人権があるとはまったく思っていなかったのではないか。ところが、革命が起こると、総体的な「権力」を手に入れた民衆は、その権力を正当化する思想として「人権」という思想を発明したのではないか、というのが私の考えだったのだが、公式には下の引用文のように記述されている。
もちろん、「マグナカルタ」が人権思想の出発点だったと言ってもいいだろうが、では、他の国ではそれ以前には人権思想はまったく発生しなかったのだろうか。私の勘では、「人権」として普遍化こそしなかったが、革命を起こした者たちはほとんどが「自分たちと王侯貴族は同じ『人間』であり、つまり同じ権利を持っているはずだ」と考えたと思う。これが「無意識の人権思想」だ、と私は推定する。つまり、「王侯将相いずくんぞ種あらんや」という言葉こそが最初期の「人権思想」だったと私は思う。
(以下引用)
革命以前には「王侯貴族の権利」はあっても「平民の権利」は無かったと思う。もちろん貴族や武士でもやたらと平民を殺したりはしなかっただろうが、それは「良識」や「人情」や「打算」によるもので、平民の権利、つまり人間にはすべて生まれながらの権利、人権があるとはまったく思っていなかったのではないか。ところが、革命が起こると、総体的な「権力」を手に入れた民衆は、その権力を正当化する思想として「人権」という思想を発明したのではないか、というのが私の考えだったのだが、公式には下の引用文のように記述されている。
もちろん、「マグナカルタ」が人権思想の出発点だったと言ってもいいだろうが、では、他の国ではそれ以前には人権思想はまったく発生しなかったのだろうか。私の勘では、「人権」として普遍化こそしなかったが、革命を起こした者たちはほとんどが「自分たちと王侯貴族は同じ『人間』であり、つまり同じ権利を持っているはずだ」と考えたと思う。これが「無意識の人権思想」だ、と私は推定する。つまり、「王侯将相いずくんぞ種あらんや」という言葉こそが最初期の「人権思想」だったと私は思う。
(以下引用)
1.人権思想のおこりと発達 | |||||||
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2.いろいろな人権 | |||||||
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