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徽宗皇帝のブログ

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明日のために その6 (第一段階ラスト)
「阿修羅」記事のコメントから転載。
この40.のコメントに出てくる甥や姪の印象は、私がかつて職場の同僚などから受けた印象、あるいは私の近くで高校生や浪人生がたまに政治を話題にする時に受けた印象と同じである。つまり、完全に表マスコミに洗脳されている、ということだ。
現在はネットというものがあり、彼らもネットは利用するが、まず政治的サイトは見ない。見るのはスポーツ、芸能、エロサイト、趣味的記事だけであり、政治サイトを見るとしても「阿修羅」のようなサイトは「陰謀系サイト」と見做して敬遠する。一般に「政治を変えよう」という立場のサイトやコラムは十把ひとからげに「左翼系」か「偏執狂的偏向サイト」と見られる。
要するに、ネットの中でもB層が見るサイトやブログとA層(という言い方が適切かどうかは知らないが)が見るサイトやブログは、完全に「水と油」状態なのであり、交わっていないのである。これがネット上の良識派が選挙で無力な理由だ。
したがって、何度か言っているように、ネット上の良識的意見を表マスコミ、つまり紙の媒体やテレビやラジオに繋いでいくことが、これからは大事だろう。そのような「新マスコミ」を作る必要がある。
しかし、岩上安身氏のような信頼できるフリージャーナリストを起用して、そのような紙媒体の新マスコミを作っても、かつての「朝日ジャーナル」や「週刊金曜日」のような高踏的なものであると、それは絶対にB層を呼び込むことはできない。新マスコミは良心的知識人たちのマスターベーション的言論機関であってはならず、何よりもそれはB層をも引き付ける「楽しいもの」でなければならないのである。
雑誌よりは新聞のほうがいいと思うが、たとえば雑誌を作るなら、私は大嫌いだが、AKB48を表紙にするくらいの戦略が必要だ。もっともべつにAKBのような電通アイドルなど使わなくとも、魅力的な女性はたくさんいるし、また伊藤のいじのような萌え絵イラストレイターを使うという手段もある。まあ、そのあたりは私のような爺ィが考えるより、若くてセンスのいい編集者を起用すればいい。
そして、前回引用した岡山博氏提案の「政治的談話を楽しむサークル」を全国的に広げていくことをそれと並行して行う。
実は、この両者は、民主主義発祥の地イギリスで、民主主義が発生し始めた初期に同時に起こった現象なのである。
イギリスにコーヒーが広まった頃、コーヒー店がロンドンに幾つかでき、そのコーヒー店では政治論議を人々が楽しんだ。そうした政治論議がやがて新聞の創刊に結びついたのである。それが「スペクテイター」などである。
まあ、全部いい加減な記憶で書いているので、正確さは保証しないが、マスコミの発生と床屋政談、民主主義は同時に起こったものだ、と捉えていいと思う。
ならば、我々が、民主主義の滅亡という危機を前にして、新しい民主主義を誕生させるためには、民主主義の発生時を参考にするのも一案だろうと思う。

とりあえず、「明日のために」シリーズはここまでで第一段階を終わることにする。
後は、これまで集めた資料、自分で書いたことを総括する仕事があるが、何しろ私は「努力アレルギー」なので(笑)、その仕事をいつ始めるかは未定である。
なお、努力アレルギーの先人には横井小楠という人物がある。彼は明治維新の頃、一種の政治アドバイザー的存在だったが、一日に一人に対面すると、もう疲れたとか言って、残りの時間は芸者や太鼓持ち(幇間)と酒を飲んで遊んで暮らしたそうだ。



(以下引用)


40. 2012年12月18日 18:57:10 : 15T8opxwPk

丁度、選挙の日の昼、甥、姪と話す機会があり、絶句しました。
そして、この結果を予想しました。
甥は放射能はそんなに悪くないといいい、
姪は、空気が少しばかり汚れても電気代が上がり経済の打撃の方が心配だと言いました。
彼らはiPadも持ち、一応、三流ですが大学も行き、家はマズマズの暮らしの町工場。
兄は、やっぱり自民の方が景気がよく成る、と言っていました。
株をやっていて相当痛い目にあっているので。
私の小沢さん大好きを知っているので、嫌味っぽく小沢、可哀想に、とつぶやいていました彼らは新聞大好きな人達です。
聞いていると新聞が喋っているみたいでした。産経と日経です。
放射能に色が付いていたら、臭いがしたら、まさかこんなに呑気にはならないでしょうに。
誰かが山本太郎は福島で嫌われているって、歩く風評被害やと。
みんな事故は落ち着いた思いたいんです。
私が喋ると、不安になると不快がられるんです。
マスコミは罪深い。







(追記)「afternoon cafe」から、今回の趣旨に少し関連する記事を引用しておく。文中、「床屋談義」が否定的な語として使われているが、これはもちろん、そちらの方が一般的用法なのであり、私が「床屋政談」を肯定的用語として使うのは、私が主張しているだけである。だが、知的な人々の政治議論は、どうも自分自身は愚民でもB層でもない、というプライドが高く、B層を味方にしていくという戦略性がゼロであるように感じる。いわゆる「上から目線」という奴だ。「床屋談義」への軽蔑的ニュアンスに私はそれを感じてしまうわけだ。

ここに書かれたアイデアは、素晴らしいアイデアだが、おそらく実現可能性は低い、と私には思われる。というのは、愚民政策(現代では、子供の、現実からの隔離がそれだ)は、明治以来、いや、江戸以来の官僚の伝統的手法であり、彼らがこの伝家の宝刀を手放すはずはないからである。(今、読み返すと、「でも、お上が邪魔するんですよね」と書いてあった。書き手自身が自覚しているようだ。)
だが、参考にはなる案だから、ここに引用しておくことにする。



(引用2)



r-uesugi @hetyapaiya えっ 自民って原発推進なの? えっ 消費増税なの? 全然知らなかった えっ 自民党って憲法変えちゃって軍隊創るってホント? そんなの知らなかったよ  えっ 維新ってもっとすごいの? 徴兵制にするの? 核武装も? まさかでしょ? 嘘だよね だってそんなこと テレビ言わなかったよ 
2012年12月17日 返信リツイートお気に入りに登録


例えば
「やっぱ、これからは橋下さんでしょ。何か新しいことをやってくれそうだもの」
というよくある意見ですが、
じゃあ橋下氏が政治家になってからこの4年間、具体的にどんな実績を残し、大阪府民、大阪市民の暮らしはどうよくなったのでしょうか?と尋ねると答えられないのです。
せいぜい公務員をいじめてくれて胸がスッとしたってことぐらいでしょう(笑)

規制緩和がなされ社会保障も削減されて弱者が切り捨てられたでしょ?と言っても
お金がないんだからしかたがない、橋下さん(あるいは小泉さん)でなくてもそうしただろう
あの人達が無能で悪い人達ならこんなにテレビに出るわけがないよ
お偉い方々に任せておけばいつかはよくなるだろう、それまでのがまんだ

あるいは逆に
上の方でどんな政治しようと、自分の生活はよくなりっこないし何も変わらない、自分には関係ない
中には「憲法が変わったって私達には関係ない」なんてお気楽に構えてる人もいるかもしれませんね

「よくわかんないけど、なにかやってくれそうでいいんじゃない?なんとなく」
という漠然としたイメージで投票することを俗に「ふわっとした民意」「お任せ民主主義」と言うのですが、、自分たちで自分たちのことを決めていく自治が実現できてる真の意味での民主主義国からしたら、こういう回答は実に驚くべきものだと思います。

どうしてこうなるのでしょう。
それは私たちが政治について政策を問う、という主権者としての作業の訓練を受けてきていないからだと思います。

Tatsuhei Morozumi @tppay 今スウェーデン人の人に日本の投票率の低さについて話してたら、なんで学校に政党をよんで議論させないのって?それができなければ民主主義じゃないって一蹴された
2012年12月16日 返信リツイートお気に入りに登録


以前北欧の民主主義教育について書いたことがあります。
(参考記事:http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-407.html)
政治とは自分たちで自分たちのことを話し合って決めていくことです。北欧では早くから子供達を実際に政治に触れさせ学ばせます。
学校に政治家を呼んで話を聞き、その政策はどういうメリットがあるのか、こういう点はおかしいのではないか、などと子供達は自分の頭で考え討論もします。

しかし日本の学校で各政党の政治家を呼んで議論させる、なんておよそありえないことです。授業でだって消費税増税の是非について、TPP参加について、憲法改正について、国旗国歌強制について、歯に衣着せず討論する、なんてことがあるでしょうか?

日本の学校では子供達に生きた現実の政治に触れさせることはタブー視されます。
「子供達に偏った政治思想を植え付ける危険を避ける」というのが表向きの理由です。
日本の子供達は社会に出るまで政治について考える訓練を一切受けません。厳に退けられ「政治的無菌室」に隔離されて育てられるのです。

子供達は民主主義や人権について基礎的な正確な知識を学ぶ機会がありません。
だから大人になっても民主主義=単なる多数決、多数に少数が従うこと、人権=社会的弱者と呼ばれる「特権階級」の「既得権」だと勘違いしてたりします。
もちろんこれらは思わず笑ってしまうくらいの基礎的な間違いなんですが、橋下氏や猪瀬氏といった有名政治家がこういう大嘘を平気で言い、マスコミもそれに突っ込んだり訂正したりしないんですから、笑えません。
例えば最近ではこちらの報道なんかそうですね。
●猪瀬さん、さっそく議会けん制「僕が民意代弁」
(当ブログにもこういう大間違いをおかしてるトンデモコメントがドヤ顔で来ることがありますが、それを見ると私は日本の教育の欠陥を嘆かずにはいられません)

大人の間でも「和を乱したくなかったら政治と宗教の話は避けろ」という風潮があります。せいぜい床屋談義程度でしょうか。
おまけに情報源であるマスコミ(特にテレビ)では不公平に偏ったヨイショ報道、くだらない政局報道しかしません
そういう偏った報道に対するメディアリテラシーの教育も日本の学校では行われません。
選挙期間中も「お願いします」と名前の連呼のみの街宣車が日本の選挙の奇異な名物です

これで成人して、いきなり選挙権を与えられて、さあ、政治について自分で考えろ、と言っても無理です。
政治家の人物イメージだけで投票したりお任せ民主主義になるのも当然でしょう。

子供達に偏った政治思想を植え付けないため、と言うのなら、問答無用に国旗国歌を押しつけ、それについて話し合うことすらも許さないことこそ、政治的に非常に偏った教育に他なりません。とんだダブスタです。

子供達を「無菌室」に隔離し、民主主義の訓練を受けさせないのは自分の頭で考える自主性のある民主主義的な人間を育てたくないからでしょう、そういう人間はお上に逆らいますから。

学校で子供達に生きた政治に直に触れさせ自分の頭で考えさせることは民主主義の教育の一環、主権者としての訓練なのです。
これを次の世代に行ってこそ、民主主義は発展継承されていきます。そうでなければ民主主義はたちまちただの衆愚政に成り下がるでしょう。

この努力が憲法12条が国民に求める「不断の努力」の一例だと思います。
『憲法12条(前段) この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。』
でも努力しようと試みてもお上が邪魔するんですよね。それが日本の戦後政治です。











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