(以下引用)
・米朝開戦すれば 日本は自動的に交戦国に
僕は2017年夏、韓国ソウルで開かれたPACC(太平洋地域陸軍参謀総長等会議)に呼ばれた。米中央陸軍総司令部(ハワイ)が2年ごとに、同盟国32カ国の陸軍参謀総長だけを集めてやる会議であり、この年の開催地であるソウルに米軍から直々に呼ばれた。
そのとき米軍の案内で、朝鮮戦争の休戦ラインである38度線付近の共同防護地区に赴いた。そこに立つ石碑には、この共同防護地区に兵を置く国々の名前が刻まれているが、そこに日本はない【写真参照】。一番重要なことは、この在韓米軍は国連軍だということだ。だがこの朝鮮国連軍は、現在の国連軍とは違い、参加するのはここに刻まれた17カ国だけだ。これは1950年に決議されたもので、実態は「休戦監視団」なのだ。
だからこの国連軍は、現在の国連本部(ニューヨーク)には管理できない。1994年、国連のガリ事務総長は、朝鮮国連軍は「安保理の権限が及ぶ下部組織として発動されたものではない」「朝鮮国連軍の解散は、安保理を含む国連のいかなる組織の責任でもなく、すべてはアメリカ合衆国の一存でおこなわれるべきもの」とする書簡を出している。なぜなら、ここで彼らが対峙しているのは北朝鮮であり、その背後には中国がいる。国連常任理事国である中国と国連軍が敵対できるわけがない。戦後の混乱期にできたものあり、もはや「歴史の遺物」といわれ、国連自身が忘れたい軍事組織になっている。
だがこの朝鮮国連軍が死滅化しているのかといえば、そうではない。数年前、トランプ大統領が「米朝開戦する」とツイッターで発信し、日本では机の下に潜り込む訓練がさかんにおこなわれた。このとき、オーストラリアの軍用機が、日本政府に通告もせずに嘉手納基地に降り立った。それを報道したメディアは沖縄2紙だけだ。その後、横田基地にも同じように日本政府には無通告でアメリカの同盟国の軍隊が入った。つまり、この指揮系統は、米大統領の発言一つでまだ動くのだ。アメリカは北朝鮮と中国に対峙するのは、自国ではなく「国連」であるという休戦の構図を維持したいわけだ。
世の中で唯一、この「冷戦期の遺物」である朝鮮国連軍と地位協定を結んでいる変な国がある。それが日本だ。先ほどの石碑には日本の国旗はない。つまり国連軍のなかに日本は入っていないのに、その国連軍と地位協定を結んでいる。
この朝鮮国連軍地位協定は、日米地位協定とほとんど同じだ。さらに両者は連動しており、横田を中心とする9つの在日米軍基地を、国連軍基地の後方支援基地と定めている。それでも足りない場合は、在日米軍基地をすべて使えるとまで書いている。だから日本に無通告でオーストラリア軍が入ってくるのだ。
これはどういうことかといえば、米朝開戦によって、日本は自動的に国際法上の「交戦国」になるということだ。戦争をするのならば、自分もその意志決定に加わるべきだが、日本だけには決定権がない、入れてもらえないのに地位協定を結んでいる。
戦争が始まってしまうと日本は後方支援国になる。「後方支援だからいいじゃないか」と思うかもしれないが、国際法には中立法規という原則があり、厳密に守られている。オトモダチが始めた戦争から中立であるためには条件がある。簡単にいえば3つ。「基地をつくらせない」「通過させない」「カネを出さない」だ。これらを全部やっているのが日本だ。敵から見たら日本は国際法上、正当な攻撃目標になる。自衛隊が撃たなくても、われわれは攻撃目標になるし、それに対して文句をいえない。
互恵性=「自由なき駐留」が世界標準になる。アメリカ軍がいても自由はない。日本はどうか? 同じアメリカの同盟国である緩衝国家であっても、韓国にも、ノルウェーにも、アイスランドにも“意志”がある。
緩衝国は、地理的な宿命だから変えられない。ロシアや中国に「あっちいけ」といえないし、アメリカは1万㌔離れた海の向こうにある。典型的なアメリカの緩衝国家であっても、普通は意志を持つ。でも日本にはそれがない。僕が日本を「緩衝“材”国家」と呼ぶ由縁だ。
・国防のための完全非武装 ノルウェーに学ぶ
最後にノルウェーの話をしたい。ノルウェーは北極海に面し、北部ではロシアと国境が接している。そこにあるのがキルケネス市だ。スウェーデンとフィンランドは中立国だが、ノルウェーは冷戦期においてはNATO加盟国で唯一ロシアと国境を接する国だった。
キルケネスの市役所前広場には、赤軍兵士の勇猛さを讃える碑が立っている。ノルウェー北部では、とくに年配者世代にとってロシア(ソ連)は「解放者」という側面があるからだ。ナチスドイツから解放してくれたという歴史的事実だ。だから国境を挟んで向かい合うロシアのニケル市との友好関係を歴史的に築いてきた。このような地域を「ボーダーランド」(辺境地)という。
まさに宮古島が日本にとってのボーダーランドだ。沖縄全体がそうだ。北海道も対ロシアのボーダーランドだ。このボーダーランドを武装化して、敵国に対して槍を向けることが果たして国防にとって有意義か否か。そこが問題だ。
このような国は、アメリカの同盟国でありながら、それをやらない。いまだにキルケネスでこの銅像がとり壊されたというニュースは確認されていない。そしてノルウェー軍は、このキルケネス周辺に沖縄のような大規模な常駐はしていない。ただ、2014年のクリミア併合以後、ロシアに接する国境線で軍事的な睨み合いが強化され、軍事演習などの動きが次第に顕著になっており、その傾向を懸念する学者や専門家、住民たちとの間で盛んに論議がおこなわれている。僕は、あえて日本は2014年以前のノルウェー外交に学ぶべきだと訴えたい。今のノルウェーのためにも。
こういうことをいうと「お前は平和ボケだ」といわれるが、そうではない。国防のためにこそ、日本が緩衝国家であるという事実をちゃんと認め、われわれが生き延びるために、ボーダーランドを非武装化するというのは国防の選択の一つだ。これは敵国に屈することではない。ノルウェーは平和と人権を重んじる国であり、ロシアで人権侵害が起きれば真っ先に糾弾する国だ。でも軍事的には刺激しない。東西両陣営のはざまにある緩衝国家としてのアイデンティティを確立し、それを内外に誇示することによって国防の要とする。そういう立ち位置があって当然だ。このアイデンティティがあるからこそロシアも二国間交渉に応じる。なぜ日本がそのような国になれないのか。
人権感覚の話をすると、また日本人が頭を抱えたくなるような状況がある。実は日本は、ジェノサイド条約を批准していない世界でごく少数の国の一つであることをご存じだろうか? ジェノサイド条約は、その名の通り大量殺戮を防止する重要な条約だ。北朝鮮、中国、ロシア、ウクライナ、アメリカ……ほとんどの国が批准している。
1世紀前、東京で井戸に毒をもったという根拠のない噂で朝鮮人虐殺事件が起きたが、今同じ事が起きたら、世界はジェノサイドとして日本を断罪するだろう。当時それを煽った主謀者は誰一人捕まっていない。日本には、このような扇動をする政治家、違法行為を命じた上官を裁く法がない。その一連の日本の無法さの象徴が、ジェノサイド条約を批准さえしていないという現実だ。
だからノルウェーには遠く及ばないが、まず日本が典型的な緩衝国家であることを認め、そのなかで、国防の観点からボーダーランドの武装をどう考えるかが重要だ。それはアメリカ軍だけでなく自国軍(自衛隊)も含めてだ。
大国同士の戦争が始まったら真っ先に戦場になる運命の緩衝国家だからこそ、そのボーダーランドを敢えて完全非武装化し、戦争回避のための信頼醸成の要になることを国防戦略にする道がある。逆に、今完全にバルト3国のトリップワイヤー化を先んじてやってしまっているのが、ここ(沖縄)だ。
そんなことを主張するお前は何をやっているのか、と思われた方は、ぜひ『非戦の安全保障論』(集英社新書)をお読みいただきたい。僕を含めた4人の著者は、全員が防衛省関係者だ。柳澤協二氏は防衛庁時代のトップ、加藤朗氏は防衛研究所の元主任研究官、林吉永氏は元空将補だ。そして僕は現役だが、陸海空の精鋭だけを教える防衛省統合幕僚学校で15年間教官をし、そこでも今回のような話をしている。司令官レベルで僕の主張を知らない人間はいない。
こんな話をする「伊勢崎は外せ」と、ネトウヨ的な自民党や維新の政治家から圧力を受けながら、とくに自衛隊制服組の人たちが僕の講座を死守している。そういう側面も自衛隊にはあるということを頭に入れておいてほしい。
みなさんから見たら僕は「あちら側」の人間だが、それでも現状に対する問題意識をもっている。ウクライナ戦争に乗じて、さらに軍備増強、日米同盟の強化が唱えられ、もしかしたら北海道にも米軍基地がつくられてしまうかもしれない。それを何とか止めたい。そのためには内側からも外側からも運動していくことが必要だと思っている。
今日は、護憲派の批判もしたが、ウクライナ戦争をめぐる動きは、これからもっとひどくなるだろう。なんとか平常心を保とう。欧州では、日本以上にロシア排除がものすごい。研究者の交流すらできない。世界は分断から分断へと、分断だけが強化され、それでもうけるのは武器産業であり、防衛族であり、そして「いつかきた道」がくり返されるだけだ。それに抗うために、この問題提起が役立つことを願っている。
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いせざき・けんじ 1957年、東京都生まれ。東京外国語大学教授、同大学院教授(紛争予防と平和構築講座)。インド留学中、現地スラム街の居住権をめぐる住民運動にかかわる。国際NGO 職員として、内戦初期のシエラレオネを皮切りにアフリカ3カ国で10年間、開発援助に従事。2000年から国連職員として、インドネシアからの独立運動が起きていた東ティモールに赴き、国連PKO暫定行政府の県知事を務める。2001年からシエラレオネで国連派遣団の武装解除部長を担い、内戦終結に貢献。2003年からは日本政府特別代表としてアフガニスタンの武装解除を担当。著書に『武装解除 紛争屋が見た世界』(講談社現代新書)、『本当の戦争の話をしよう 世界の「対立」を仕切る』(朝日出版社)、『主権なき平和国家 地位協定の国際比較からみる日本の姿』(共著、集英社クリエイティブ)など多数。
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