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徽宗皇帝のブログ

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独裁政権だからこそできる「天下万民のための政策」
「シンジの”ほにゃらら”賛歌」というブログから転載。
このブログからはかなり前に引用した記憶もあるが、久しぶりに読んで、やはり面白い記事が多いブログだと思った。特に映画関係の記事が面白いが、今日はそちらではなく、「秀吉の経済政策」の話である。
私自身は過去の時代の経済政策には疎いので、秀吉の経済政策はこの記事で初めて知ったが、実に優れたものだと感じる。そして、それを優れたものだと見抜いたシンジ氏の慧眼に感心する。
現代でも、大企業や富裕層や銀行がカネを溜め込んでいるために、庶民にカネが行き渡らない、という問題は大きい問題だが、ここで優れた政治家が「奈良貸し」のような政策を採れば、この問題は解決するのではないか。だが、与党野党どちらを見ても、経済に強そうな政治家はいない。
秀吉の経済政策は、ヒトラーの経済政策を連想させる。どちらも独裁政権だが、独裁政権こそが、強権的に実効性のある政策を採れる、とも言えるだろう。
だが、現在の日本の独裁政権は「万民のため」の経済政策を採れるだろうかwww




(以下引用)


2016年04月13日

秀吉の経済政策はまっとうです「落日の豊臣政権」に書いていないこと

秀吉の経済政策はまっとうです「落日の豊臣政権」に書いていないこと

河内将芳著「落日の豊臣政権・秀吉の憂鬱 不穏な京都」の意図はタイトルにもあるように、秀吉の政策がいかにひどくて、人心の離反を招いたか、にあるわけだが、そこで指摘されている秀吉の失敗したとされる経済政策を見てみると・・・あれ?秀吉の経済政策全部まともじゃね?という感想が浮かび上がってくるのは私だけでしょうか。

ここで批判的に書かれる秀吉の経済政策は三つ。「公共事業」、「金くばり」、「ならかし」である。

「公共事業」についてはいうまでもないが、秀吉の「普請好き」は有名だ。京都に聚楽第を建設すると、当然その周りに大名や奉公人たちの屋敷や家々が建築され、彼らにともなって人と経済の大移動が始まり、京都は一大都市へと発展していく。

聚楽第建築以前の京都は人口8千人程度の小さな町にすぎなかったが、聚楽第以後はその10倍以上の大都市になっていくのである。

こうした公共事業による経済成長により、当時の人々に何が起こるか。かって北条氏政に仕えたこともある随筆家三浦浄心はこう書いている。

浄心が若い頃は金など見ることはなく、わずかな金五枚、三枚をもっているものでさえ長者、有徳者とよばれていたものだが、今は民百姓でさえ金を五両、拾両、富豪にいたっては五百両、六百両ももっている。(P21)


すさまじいまでの経済成長と貨幣経済の浸透が見られるようになるのである。

次の秀吉の「金くばり」政策とは、その名のとおり、大名や公家や奉公人に見返りなしで金銀をくばる=配布するだけの政策である。

京都聚楽にて、関白殿より金銀諸大名衆へくださる、近江中納言(豊臣秀次)御屋形の御門前より東へ二町ほどにおいて三通りにならぶ、金銀台に積む、諸大名衆三百人ばかり、赤衣装束にて御使いの役者なり、希代の見物、古今あるべからざることなり、耳目をおどろかすー蓮成院記録天正十七年五月二十七日(p24)


これはミルトン・フリードマンのいう「ヘリコプターマネー」である。

作者はこれを不均衡な経済政策というが、この金くばりを大名や公家ではなく、民衆にたいして行うと、確実にインフレーションが起きる。よって大名や公家にばらまいて、大名や公家の経済活動=消費などによって下々へと経済活動が伝播していくようにしたほうが、インフレは最小限に抑えられる。上流階級にだけばらまくのは理にかなっているのである。

そして秀吉の経済政策で最大の愚策とされる「ならかし」。ならかしとは「奈良貸し」つまり秀吉(秀長)が奈良の商人に高利で金を貸しつけ、その利息をはぎとる政策のこと。この政策により奈良の商人たちは苦しみ、利息を払えなかったものは夜逃げしたり、自宅を売ったりするほどで、耐えられずに秀吉に直訴にまでおよんだという。

なるほど、文面を読んでるだけなら、ひどい政策だと私も思ったことだろう。でもいままでこの本を読んできて、多少は経済学を齧ったことのある人ならこの「ならかし」がどんな意図を持って行われたのか気づいた人もたくさんいるのではないか。

秀吉の経済政策「公共事業」と「金くばり」により、いまだかってないほどのすさまじい経済成長と貨幣経済の浸透に到達した社会。そこではみんなが豊かになるだけではなく、

今は民百姓でさえ金を五両、拾両、富豪にいたっては五百両、六百両ももっている。ー三浦浄心


つまり民百姓と富豪とのあいだに経済格差が生じてきている。この経済格差を解消するにはどうすればよいか?商人たちが溜め込んでいる金銀を市場に吐き出させる必要があるのである。

秀吉(秀長)の愚策と思われた「ならかし」はあきらかに、商人たちの溜め込んだ金銀を吐き出させるための政策に他ならない。秀長によって高利で貸し付けられた金を返すためには、商人たちはこの借りた金を投資するなり、民に貸し付けたりして市場に放出せざるえなくなる。こうして商人たちが溜め込んだ金銀は市場に循環していくのである。

「民間、特に企業部門の構造的な貯蓄過剰が政府を赤字財政に向かわせて債務が膨らんでいる」(日本経済新聞電子版2016年1月12日付け)


いうまでもなく金銀、貨幣は使用されてはじめてその価値が生じるものだ。経済を理解してない人は金銀や貨幣自体を「財産」だと思っているが、金銀や貨幣はそれを保持しているだけ、溜め込んでいるだけでは、何の価値もないゴミクズ同然のものにすぎない。それもゴミクズだけならまだしも、使われずに溜め込まれただけの金銀貨幣は経済活動を阻害し、社会の損失ともなるのである。使われて=市場に出回り循環することではじめて経済活動が始まり、社会は豊かになっていくのである。

羽柴秀長の「ならかし」はそうした金銀貨幣の真の価値を理解した、斬新な「格差是正」政策に他ならない。

こうして秀吉の経済政策「公共事業」、「金くばり」、「ならかし」を見てきたが、どれも理にかなった経済政策でこれをもって秀吉の経済政策は失敗したとするのはどうにも違和感がある。

私が考えるすぐれた「為政者」の条件は、「民」の「安全」を守り、「民」の「財産」を守ること。究極的にはこの二つだろう。

秀吉は日本全土に「平和」(惣無事)をもたらし、日本の歴史上かってないほどの経済成長を成し遂げた。率直に言って秀吉は為政者として見事に仕事をしてのけたといえる。

ではなぜ秀吉はこうまで悪し様に罵られるようになったのか。秀吉政権下では秀次切腹事件のあと、大きな被害のあった文禄大地震(1596年)が起きている。この「落日の豊臣政権」によれば、当時は「天災」、自然災害は為政者の政=まつりごとが悪いから起きるのだという考えが一般的だったのだという。当時の民衆はこの自然災害を秀吉のまつりごとと結びつけて考えるようになる。

つまり秀吉は急激な経済成長による民衆のとまどいや自然災害は為政者のせいという迷信により、求心力を失っていったということになる。別に秀吉をかばうわけではないが、あんまりではないか。

秀吉の経済政策については歴史家ではなく、経済学者による正しい評価を待ちたい。



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