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徽宗皇帝のブログ

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競争と評価

幸徳秋水さんのツィッターから転載。
私は競争というものが大嫌いで、他人からじろじろ見られて評価されるのも(その結果がたとえ良い評価でも)大嫌いだから、競争社会(資本主義社会)というものが大嫌いなのかと思う。
競争というのは、結局は「評価する側」の一存で評価されるのであり、スポーツの中ですらたとえばフィギュアスケートなどには「芸術点」などという訳の分からないものがあり、評価する側の主観で判断されてしまう。昨今話題のデザイン界など、「大御所」の一存で評価などすべて決まってしまうのではないか。建築デザインにしても、ザハのデザインなど、斬新かもしれないが、グロテスクだと思う一般人も多いかと思う。
いずれにしても、「評価」という奴には必ず「外部の者には伺い知れない」部分がつきものだから、たとえば大学入試にしても、司法試験にしても、内部でどのような「採点」が行われているか分かったものではない。同様に、選挙にしても、その選挙過程が完全に透明でないと、その結果など信頼できるものではないだろう。まあ、選挙は「評価」というよりは「誰がどのように管理するか」の問題だが。
ということで、「競争」は「評価」と表裏一体の関係にあり、我々は評価のために競争するわけである。その評価も競争も嫌いな人間が、競争と評価を社会原理とする資本主義社会を居心地悪く思うのも当然だろう。まあ、好き嫌いだけで物事を判断してはいけないし、好き嫌いはただの個人的感情だが、はたして世間の多くの人は、この「競争と評価」の社会を居心地良く思っているのだろうか。私が知りたいのはそこだ。案外、精神的ストレスで死にそうになっている人が多いのではないか。学生など、特にそうだろう。
はたして、「一人の勝者と残りすべての敗者」(まあ極端に言えば、だが)を作り出し、「敗者には何もやるな」という、この社会システムが楽しい、面白い、愉快だ、という人はどれほどの割合でいるのだろうか。スポーツの世界なら、もともとが競争がスポーツの原理だから仕方がないし、競争の否定はスポーツの否定だから、競争を否定する人はいないだろう。だが、社会全体が競争原理で動くことを、果たして多くの人が心から受け入れているのだろうか。
これを数学的に、「極限」の考えを使って考えてみよう。
「上級国民」以外の一般国民全員に殺し合いをさせ、その勝ち残りのたった一人に10億円くらいの賞金を与える。その他はもちろん、皆、死ぬのである。そういうゲームにあなたは参加したいか、ということだ。自分の子供を参加させたいと思うか、ということだ。
競争を当然視するならば、極端に言えば、そういうゲームにでも参加する、参加させる、ということになる。これはもちろん極論だが、「極限」の話をしているのだから当たり前だ。そういう極限の話をすることで見えるものがあるのではないか、ということである。
さて、社会は、はたして競争を必要としているか、と言えば、それは当然だ、とほとんどの人は言うだろう。競争が無ければ、誰も真剣に働かなくなる、と。
はたしてそうか。
私の今の職場にはほとんど競争は無い。賃金も最低レベルである。だが、仕事を怠ける人間は一人もいない。上司の目を恐れる、という点も無いではないが、最低賃金だから、クビになってもさほどの痛痒は無いのだから、それだけの問題ではないのは確かだ。要するに、「仕事は仕事」で、仕事があれば真面目に働く、というのがほとんどの日本人だ、というのが私の考えだ。
では、それは世界的にはどうか、なぜ日本ではそうなのか、という考察は、話が長くなったのでまた今度にする。

なお、オリンピックもノーベル賞も、「世界中の人間を雀の涙程度の報酬で競争させ、その果実は『評価する側』が得る」というシステムであり、そういう世界的な「評価組織」はたいていユダヤ人(というか、欧米支配層)が作っている。


(以下引用)



[9/6 16:49] 社会主義で「はたらかなくていい」というのは、「人を怠け者にする」というが、「怠け者」の定義に問題がある。一方、資本主義、自由競争主義では「競争力」はつかないかもしれないが(徽宗注:「競争力はつくかもしれないが」の誤りだろう。)、「国力がつく」とはかぎらない。”国民のこころ”は「競争」でズタズタに分断され、そこにつけ込まれてしまう。


  [9/6 16:45] 「どっちがいい」とは簡単には言えない…計画的な生産調整は、働かなくても喰っていけるのだが、グローバル競争に負けるおそれがある。が、自由競争では、いくら努力したところで、ごく少数の勝者以外の努力は報われないから、かなり理不尽な世の中をつくってしまう。


[9/6 16:41] 「経済成長」は、供給過剰に至って「経済の停滞」を必然的にもたらす。もったいなくても捨てたり、ムダなものを作ったり、作った物を破壊したりしなくてはならなくなる…そんなときに「計画的に生産を調整する」のが社会主義。「競争させて弱者を潰してしまう」のが資本主義。

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