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徽宗皇帝のブログ

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結納の意味
別の場所に載せてある記事だが、ブログがいつ閉鎖されてもいいようにこちらにも載せておく。
下の記述は、現代の日本でもよく見られる風景であり、文化的習俗はなかなか変わらないものだと思わせる。特に、結納が「労働力購買」の代価であったというのは誰でも納得がいくだろうが、妻を労働力として購入するという意識が無くなったはずの現代日本でも結納の儀式はまったく廃れることがない。これは結婚する女性にとって侮辱的だと女性側は思わないのだろうか。



家内奴隷としての妻子

松本清張「清張通史1 邪馬台国」より転載。


倭国の大人(注:富裕者、支配層)は皆四、五婦、下戸(注:被支配層)も或いは二、三婦を持つという「倭人伝」の記載は、三世紀倭国が家父長の社会だったことを見せている。ここにいう多婦制は、いわゆるハーレム(後宮)的なものではなく、妻の奴隷化の意味である。
階級発生の基本的な形には、「妻子の奴隷化ーー家内奴隷ーー古典的奴隷」の線に沿って行き、また、一方では「農奴」型の進行があるという説がある。階級分化は共同体の間での闘争による被征服者が征服者の奴隷となって起こるだけではないというのである(早川二郎「奴隷所有者的構成の東洋的形態の問題」=『歴史科学体系』1)。
要するに、闘争に勝った共同体は負けた共同体の土地(耕作地)をうばい、その人々を奴隷としてその土地にしばりつけてはたらかせ、その貢ぎものを取る農奴的なかたちと、あるいは勝った共同体の奴隷とする奴婢的なかたちとがいっしょにおこなわれたであろう。後者の奴婢的な奴隷が首長など共同体の権力者に数多く配せられたであろうことはいうまでもない。
一夫多妻制は、のちには王侯貴族・富者のハーレム化したが、原始社会では「妻子は家内奴隷だった」という説はみとめてよい。
話は一足とびにとぶようだが、いまでも東洋だけに残り、とくに日本では強い婚姻習慣となっている結納の儀礼も、もともとは嫁取りすることによって先方の家内労働力(女子)を贖うという古代の習慣からきている。


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