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徽宗皇帝のブログ

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茹で蛙計画
「つむじ風」ブログのここ十数回に亘るシリーズ「NWO(ニューワールドオーダー)のおぞましき実態!」が非常に興味深い内容なのだが、その内容があまりに豊富なので、ここではそのほんの一部を取り上げることしかできない。
私が特に興味を引かれるのは、長期に亘る大衆洗脳についてである。あまりに長期的な計画なので、我々はそれが人為的なものだとも気づかないうちに、いつのまにか洗脳されているのだ。
もちろん、これは「ユダヤプロトコル」でとうの昔に示されていた技術であり、計画であるのだが、それが実現していることは、「茹で蛙」である我々一般大衆には分からないわけである。
たとえば、エイズが人工的に作られた病気である、という認識を持っている人は多い。だが、それが「何のため」に作られたのかは理解していないだろう。医薬品会社の金儲けのため? そのためだけなら、もっと大々的にエイズを広め、金儲けをするだろう。下の記事で書かれている「真の理由」は「同性愛を広めるため」だそうである。
まさか、とたいていの人は思うだろう。エイズが同性愛者に多いという最初の「誤報」によって、むしろ同性愛者は差別され、不利益を受けたのではないか、というわけだ。だが、現実を見てみると、この半世紀の間に、いかに同性愛が市民権を得、同性愛者が増えたか。
要するに、「言葉ではなく、事実を見る」という原則にしっかりと立つならば、エイズによって性教育の低年齢化、学校教育への浸透が行われた、ということである。
結構な話だって? 
私はそうは思わない。だが、面倒臭いので、私自身で説明するよりも、下記記事を読んでもらおう。
なぜ同性愛、特にホモが奨励されるのか、と言えば、「世界人口50億人削減計画」にそれが叶うからである。

沖縄でウリミバエが絶滅された時の話をご存じだろうか。
その方法は、放射線を当てて生殖能力を失わせたハエを自然の中に放つ、というものである。すると、通常のハエは、その生殖不能ハエと交尾し、「やれやれ、俺は子孫繁栄の義務を果たしたワイ」と満足して死んでいく。ところが、あにはからんや、相手は子供など産まずに、三食昼寝付きではないが、遊び暮らしてそのまま死んでいくわけだ。
その結果、ウリミバエ一族はめでたく(人間の立場からはだが)絶滅した、という話だが、世界人口における貧民階級も、このウリミバエと同じように同性愛者を増加させることで自然消滅していく、という壮大、遠大な計画である。
まあ、私がちょっとアレンジしたが、だいたいそういう話だろう。

ならば、大多数の人間がべつに同性愛者にならなければいい、というだけの話だが、漫画界における「腐女子」諸君の存在を見れば分かるように、現代におけるホモの扱いが昔とは完全に様変わりしていることは事実である。そしてホモの親戚(などと言うと非難攻撃されるかもしれないが)であるオカマがテレビのブラウン管ならぬ液晶世界にのさばっている有様が目に余るのも、誰でも感じるだろう。
まさしく、「ソドムとゴモラ」の世界である。男色をソドミィと言うが、ソドムとゴモラの場合とは異なり、この世界は「選択的に」滅ぼされるのである。
まあ、女性が社会進出し、男と肩を並べて働けば、それだけで子供を産み育てる余裕などなくなるわけで、「フェミニズム」もそうしたNWOの計画の一部として実行されたという話である。(などと言うと、これもまた非難攻撃を受けそうだ。どうも差別を逆利用した支配計画のことは、本当に論じるのが難しい。)
なお、下記記事後半は「宗教を変質させることによる洗脳」「言葉を変質させることによる洗脳」の話で、こちらも実に興味深いのだが、話が長くなるので、ここまでとする。



(以下引用)



E:具体的な分野について話す前に、私はこのテープにたくさんためになることがあると思う。



一つは、相手が目的としていることについて、用いているテクニックについて、あなたが(それと異なる)いい考えを持ったとき、向き直り、ごまかしやそれに類することのすべてに抵抗を始めることができる。



私は、彼が何度も繰り返した、4つか5つの“テーマソング”があると思う。



例えば、これは大切なことだと私は思うのだが、人々は、見せかけの理由と、本当に理由の間の区別ができない、ことである。言い換えれば、もし誰かに何かをさせようとして、最初そうするのが、かれのモラルに反したり、彼の宗教的信念に反したりして急に変わったものなら、受け入れやすい別の理由に入れ替えなければならない。



そして、それから彼がそれを受け入れたあと、引き返すことができない既成事実となる。



D:そのとおりだ。それに関連して、彼は“人々は正しい質問をしない”と言ったことだ。余りにも信用し過ぎる。このことは、思い起こせば、ほとんどのアメリカ人を指している。



彼は、ヨーロッパ人は、より疑い深く、知的に洗練されていると考えていたように感じた。アメリカ人はあまりに信用しすぎて、正しい質問をしない。



E:洞察力にほとんど欠けていることに関して、基本的に彼が何を言おうとしていたか推測できる。人々は簡単に騙されるか、余りにも信頼しすぎている、と。



すばやく、考えがよぎったのは、例えば、学校で、AIDS教育と呼ばれるものが、あれほど早く導入されたことだ。それには、ひどくびっくりした。というのは、1つのあるグループが、子供に男色の考えを導入したり、あるいは、性のことをより早く公的に教えたいと思ったことだ。



それがAIDS教育の理由ならば、ほとんどの親はたぶん、賛成しなかっただろうと思う。そうなると、彼らは別の理由を考えなければならない。もちろん、このAIDS教育と呼ばれるものは、子供をこの病気から防ぐためである。



しかし、それは、結局、ホモのネットワークの大きな利益になった。というのは、プロジェクト10のような様々なことを通じて、いまや、かれらはわれわれの子供に最若年からアクセスするようになった。



これらのプログラムはK-12(注:「幼稚園(KindergartenのK)から始まり高等学校を卒業するまでの13年間の教育期間」のこと)から続いている。



そして、私は、大学の中へ、そしてさらにその外へ(広がること)を想像する。そして、彼らは途方もないセグメントにたどり着こうとしている。子供について言えば、この話し手(Day)は、・・・かれは子供にポイントを当て続けた。老人たちは道端へ行こうとしている。そこで、NWOのコントローラーが重要視しているのは若者である。



D:その通り。そう、若者重視だ。このことを、明確に言っている。ある年齢を超えた人たち、彼らは彼らの道に定着する。彼らを変えようとはできない。彼らは価値感を持ち、それに執着しようとする。



しかし、彼らは彼らが若いときに若者に手をつける。彼らは柔軟だ。彼らは若者を行かせたいと思う方向に合わせる。これは正しい。



彼らは若者がターゲットだ。「あなたたちのように、年を取り時代遅れの頑固ものには、私たちの道は見えない。あなた方はどうせ死ぬか、それとも時が来れば、我々はあなた方を征服する。しかし、我々が望む考えに向けさせるのは若者だ」と彼らは思っている。



ホモに関して、さらに詳しく述べよう。オリジナル・テープにでていたとは思っていなかった。しかし、話していた。



まず最初に、



彼らは、“我々はホモを推進しようとしている。”



第2に、



“我々はそれが奇怪で異常な行動だと分かっている。しかし、これは無法地帯の法律のもう一つの要素である。というのは、これに従うバカな人間はこの惑星に住むのに適していないからだ。彼らは道端に行くだろう。”



私は、彼が言ったことを一字一句正確には言っていない。



しかし、病気を作り出しているという話は間違っていない。そして、私は1か所だけではなく他でも彼(Day)がそう言ったことを思い出せる。なので、私はAIDSは実験室で作られた病気だと確信している。



そして、それは「我々のホモ計画に従うバカな人間を始末するのに使うのが目的の1つだ」と思う。



今、その内どれだけ自信を持って思いだせるか、どれだけ私の純粋な推量なのかはっきりさせることは難しい。しかし、これらを総合してみると、これは、何が起こったかを考えたものだ。



“もし、あなた方が、我々がホモを振興することによって十分説得されるほどバカなら、その立場にいる価値はなく、遅かれ早かれ道端に落ちることになる。我々はあなた方を始末するだろう。我々は、選別するだろう。・・・生き残る人と言うのは、我々のプロパガンダに騙されないほど十分賢明な人だ。”



これでつじつまが合っているか?



E: もちろん、つじつまが合っている。そして、私は性への早い手ほどきは、全体にわたる目的を持っている。後ほど深く考察したいと思う。



しかし、人の性欲化については・・・彼の言ったことをテープで言っているが、基本的に“なんでもあり”であり、これが私たちがいま見ていることだと思う。



それ(ホモ)は、そんなに多くはないが、言ってみれば、彼自身ホモとならなくても、プロパガンダの結果、彼はその種のことにもっと慣れるだろう、と言うことだ。それが「鈍感になる」ということだ。ホモにならなくてもそれを受け入れる。



D:プロパガンダの力で、敢えて、ホモに反対しなくなる。でなければ、同性愛恐怖症のラベルが貼られる。



女性に対するプログラムに反対しなくなる。でなければ男性優位論者のブタになる。それは反ユダヤ主義のようなものだ。



もし、このラベルが文化のなかに十分広がれば、人々はそれからぞっとするほど逃げられなくなる。黙っているのがより易しくなる。



E:もう一つのテーマは“変化”についての業務(business)だ。そして、宗教と家族に関する変化について話してほしい。



このテープを聞いていた時期に、ミサに行くと、そこで私は、祭壇で踊っている少女たちに、たまたま出合った。(D:ほーという(驚きと笑い?)



私が座ってテープを少し聞くチャンスを持った時、私は一人のカトリック信者として、・・・あなたが効果的な変化について話したが、それはたぶん最も難しくこと困難なことだが、私たちカトリックが長い間実行し、信じられてきたこと伝統的なミサを見に行くことである。



この講演が行われた1969年ごろ、全てがひっくり返り始めた。多くの人が今や、教会に入ると、そこに新秩序(Novus Ordo)があるのを感じていると私は思う。あなたは、ほとんど気になっていると思う。というのは、あなたは確信していない・・・。



D: (教会に行ったとしたら)私は今何に出会うだろうか?



E:あなたは小さな歌集を見る;もちろんそれは、徹底的に変えられている。そして、信者の代わりに、人たちを見る;あるいは、今や“テーブル”になった祭壇で何か変わったことが起きているのを見るかもしれない。



D:永遠のものとしての神の概念と、永遠のものとしてのイエスキリストの教え、そして、だから永遠のものとしての教会の教えは、神の権威に依存している。そして、神は神のやり方で変化をもたらす。要約すると、彼らがが言うのは、以下のことである。



「いや、私たちは神の場所を取る;変化するものと、変化しないものを確立する。それで、もし、我々が同性愛とかそういうものは、今日のモラルであると言う、昨日はそうではなかったが。しかし、それは今日なのだ。我々がそう言うからには、それはモラルなのだ。我々は明日に変えることができる。我々はそれを明日は再び不道徳にすることができる」と。



そして、「召使である普通の人たちが信じていると考えられている」と定義される神の役割を彼らは横領するのである。



もし、誰もが変化に慣れてしまったら、大部分の人は「変化したことを誰が決めたのか?そして、どうやって変化させたのか?」と聞こうとしないだろう。ほとんどの人は、ハメルンの笛吹や靴のスタイルやそのようなもののように、それについていく。



なので、それは神のルールの権利侵害である。そして、もし、あなたが“ヒューマニスト宣言”を読み、それの導入部分のどこかで、彼らは〝人間の知性は最も高い徳である”という。そう、どんな人間にとっても、最も高い徳は、あなたの神である。



これらの人にとっては、最も高い徳である人間の知性が神である。そして、どこに人間の知性はあるのか?そう、一人か二人の人間の脳の中だ。なので、これらの人たちは、実質的に、・・・私は、彼らがそう言うほど率直だということは知らないし、思わない。



しかし、かれらがそれを知っていても、知っていなくても、彼らが言っているのは、「私は神であり、我々は神であり、だから何がモラルであり、何が明日のモラルであり、来年のモラルはこうなるだろう。我々は変化を決定する」ということである。



E:そのとおりだ。そして、もちろん、要するに、あなたは人間の将来、新世代、私たちが見た新しい密議的な運動のすべてを説明した。



しかし、変化については、彼(Day)はこの変化をブロックする伝統的な2つの実態があり、人々を(NWOによる)不断の操作に抵抗させていることを認めているように見える。



もちろんもう一つの実態とは家族であり、そこには祖父、祖母、私たちの民族的背景などを含み、彼が、それが、経済であれ、音楽であれ、彼が言及したと思われるすべてのものは、家族を消し、国の権力を強める全体的な効果を持っている、という印象を私は持った。



それは恒常的なテーマであり、だから私たちが物事を評価するとき、私たちが一般的に私たち自身に言うべきことの1つは、”それはどんな影響を家族の命と家族に持っているか?”だと私は思う。



そして、私はどの下院議員や上院議員がその質問をしたなら、私たちはたぶん、連邦議会まで行動しないだろう、というのは、現れるすべてのことは、責任を認めず、家族の命を傷つけ、政府の権力を広げる効果をもっているからである。



D:それは、表向きの目的をもち、それから、真の目的を持っている。



E:はい。援助専門職と言われるものとして、そのように言うあなたの能力は、とても興味がある。他の要素は宗教のこの全体的要素である。かれはドグマ(教条)なしの宗教について基本的に話している。



宗教は他のすべての伝統的宗教から少し(ドグマを?)持っているので、誰も心地よくなくはない。そして、彼は言う。わざと腰を低くして、ある人たちはこれが必要だといい、そして、もし彼らがそれが必要なら、我々は彼らが必要とする何かを作るだろう。



しかし、もちろんそれは、道徳的な絶対不変の性質(moralabsolutes)と自然法である何かを宣言するようなものであるはずがない。この管理者たちのグループの主なターゲットは、もちろん、ローマン・カトリック教会であったし、今もそうである。そしてローマンカトリック教会に特に言及している。



D:宗教が重要なのはそれが永遠だからだ。そして、私たち、教会に従っていく人たちは、変化についてのルールを受け入れない。



しかし、もし私たちが私たち自身の宗教を作ったら、もし私たちが宗教とは何かと定義したら、それが私たちを満足させるように変えることができる。そうです。ローマンカトリック教会。私はここにカトリック教徒として少し喜んで座っている。教会が1つの障害であると指摘したのを聞いて。彼は、障害とは“我々はそれを変えなければならない。そして一旦、ローマンカトリック教会が落ちたら、他のキリスト教は容易に落ちる”と言ったことである。



E:会話が進むにつれて、彼が言ったことを思い出す。「いま、教会は邪魔になって立っているとあなた方は思うかもしれない。しかし、私は、彼らは我々を助けるだろう、と言いたい」。そして、彼ら、ローマンカトリック教会以外のすべてが、我々を助けるだろうとは彼は言わなかった。彼は、「彼らは我々を助けるだろう」と。残念ながら・・・・



D:彼は正しかった。



E:かれはこのことを明確には言わなかった。しかし、再び、それははっきりしたこれらテーマの1つである。・・・彼は明らかに「言葉の使用」が真に重要だと考えていた。というのは、彼は、このことを多くのことに関して、例えば聖書について、言及している。



精神科医・ミラルが “もしあなた方が人々を管理したかったら、最初に、言語を管理しなさい”のように 言っていると全く同じで、言葉は武器なのだ。



彼(Day)は明らかにそのことを大変よく知っていて、全体としての管理者もこのことを良く知っていると思う。もちろん、それは、作戦の一部だが。

しかし、言葉に関して“言葉は変わるだろう”ということは、少ししか言っていない。それを聞いた時、私は思った「ミサに関して、“祭壇”という代わりに、“机”といい、“いけにえ”と言う代わりに、“食事”といいなさい」と、そして人々は「そんなことは重要ではない」と言うだろう、と。



もちろん、彼らはこれが非常に重要なことを知っている。そうでなければ、どうして彼らはそれを変えることを気にするのか? また、そうでなければ、それが大切でないなら、どうしてその話をするのか?それは彼らにとって明らかに重要だからである。というのは、彼らは、言葉を変えることは、考えを変えることだと知っているからである。



D:彼らは、努力し時間をかけそれを変えようとしている、そして重要でないことには努力しない。



そう、彼らは完全に正しい。



聖職者はもはや、ある場合にはかつての聖職者が持っていた役割を持たない。というのは、言葉は意味を伝える。辞書の定義がある。ある言葉には、言葉に入れるのが少し難しい意味を含んでいる、・・・しかし、その言葉は意味を伝えている、ということを私たちは知っている。



そう、言語を管理する・・・あなたはあなたの言葉で、すなわち、英語だったりスペイン語だったり、あなたが親しんでいる言葉で考えている。しかし、あなたが考えたり、自分自身に話したり、ちょうど他の人に対して話すように言葉で話したりする。



そして、もしあなたが言語を管理することができ、その言語である人が自分自身に話したり、あるいは他の人に話したら、その人が考えることができることをコントロールするのにあなたは成功したことになる。そして、それ(言葉?)に、包含的、および排他的な両方の構成要素をもっている。


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