忍者ブログ

徽宗皇帝のブログ 徽宗皇帝のブログ

RSS TWITTER RssTwitter

西洋文明の精神と「リソースの一極集中」

西洋(「西欧」でも一応は「西洋」と同義で使えるようだが、「東欧・西欧」の「西欧」、つまり「西ヨーロッパ」と紛らわしい。)と東洋とどちらが優れていたか、という議論は、視座、あるいは視点の問題にすぎないのだが、ここでの問答が面白いのは、回答者の回答の中にある「リソースの一極集中」はまさに西洋文明の基本思想でありながら、あまり他の人が指摘していないことだからである。たとえば、一部の社員にとんでもない高給を払い、他の社員には軒並み低給与しか与えない、という西洋式の経営手法だ。(これは単に奴隷頭と奴隷の関係にすぎないから、例としては不適切なのだが、身近で分かりやすいかと思う。奴隷には貴族の生活など想像の外である。)これが「貴族による富と文化の独占」のバリエーションである、という視点はなかなか重要なのではないか。
もちろん、この手法は、1%の貴族と99%の奴隷という社会構成そのものであり、99%の不幸の上に、1%の人間の幸福が成立している。
こういう社会で生まれた民主主義が、やがて偽装民主主義に変化したのも当然だろう。
回答者の回答は江戸時代の日本を理想化しすぎていると思うが、西洋の歴史における庶民生活の悲惨さは、まさにここで言われたとおりであり、「精神文明」としては日本のほうがはるかに西洋より上位にあったことは確かだろう。
そして、今や日本は精神的に西洋化しつつある、つまり精神が退化しているのである。




(以下「ギャラリー酔いどれ」から引用)




◆http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1489492574
◎Yahoo!知恵袋


日本の江戸時代の教育水準は世界的に高くて、
庶民の識字率も高かったと東洋哲学の先生から聞きました。

しかし、それなのになぜ、日本はイギリス、フランスのように
産業革命や市民革命が起きなかったのでしょうか?

寺子屋が普及して庶民の教育水準が欧米より高い
といいっても科学教育や技術教育や研究では
やはり欧米の方が進んでいましたよね?

江戸時代の教育は儒学とか道徳とかの古臭くて時代遅れなことばかり
やっていたから欧米よりも技術革新や産業革命が遅れたのだと自分は思っています。

しかし、結果論から言えば江戸時代の日本が
欧米より軍事力や教養、自立精神で劣っているのは紛れもない事実ですよね?



ベストアンサーに選ばれた回答


「産業革命」や「市民革命」や「軍事力」が 「進んでいた証拠」
と言う前提を、疑ってみて下さい。

それらが無くても日本は、江戸時代から、世界の中で先進国でした。

正しく言うなら、イギリスやフランスは、
それらを「経験しなければ」先進国に「なれなかった国」なんです。


私の考えは、質問者さんとは逆です。

西欧の人達は「産業革命」や「市民革命」を起こさなければ、
日本の江戸と同等の「幸せ」を持てなかったの
です。

まず「市民革命」ですが、例えばフランス革命は「パンをよこせ」から始まって
「人間は全て平等である」と言う権利を勝ち取りました。

が、江戸の人達にとって、既に「そんなこと当たり前」でした。
既に日本では実現していたのです。だから江戸時代の人達は、
徳川幕府を倒す必要がなかったんです。

でも、フランスの庶民達は「王侯貴族を殺さねば、自分達は絶滅してしまう」
と本気で思ったから革命を起こしたのです。

確かに、江戸時代の日本に「人間は平等である」と言う「言葉」はありませんでした。
また表面的に見て、「身分社会」がありました。

しかし、江戸時代の日本人は「食うに困らず」、又、人権等についても、
ほぼ「今の私達と同じ感覚」で生きていました。


詳しく書くには紙幅が足りないので省略しますが、驚くほど、江戸時代は、
今の私達の暮らしと、さして違わなかったことが、近頃の研究で分かってきました。


質問者さんは、西洋は余程進んでいたのだろうと思われている様ですが、
そのイメージは全くの間違いですよ。

西欧の歴史は、日本人には想像も出来ない程の悲惨な歴史なんですよ。


例えば、日本の江戸時代中期頃まで、西欧では魔女狩りが盛んでした。
殺された人数は数万人とも数百万人とも言われています。

日本史にはそんなに大量に人間を殺した事件は一件もありません。
猫も悪魔の使いとして徹底的に虐殺され、それが為にペストが蔓延した、
とも言われています。

例えば、西欧では毎年飢饉で数万人が死んでいました。

日本では、数万人も死んだら「○○の大飢饉」として1ケタの人数まで
キチンと記録に残していますが、

西欧では、余りにも日常茶飯事な出来事なので、
数100万人単位の餓死者が出なければ「飢饉」として記録に残らない程でした
(麦は米に比べて圧倒的に生産力が低いのです)

また、江戸日本では、糞尿はもちろんトイレでやっていましたが、
西欧では糞尿は部屋の中の壺でして、夜に窓の外に投げ捨てていました。
(これは王侯貴族も同様)ですからコレラが大流行しました。

また西欧の庶民が自分の名前以上の文字を読み書きできるようになるのは、
日本の明治中期以降です。

これが日本の江戸時代の西欧の姿です。


では、なぜ、西欧の方が進んでいたように感じるのか?

と言うと、それは貴族社会が「異常に」豊かだった事と、
「その為に」自然科学が発達した事、その部分「だけ」を私達が習ったからです。

彼らは「貴族=特権階級」に、財(富)と技術(文化)を集中させることで、
文化的な生活と科学分野等を、なんとかかんとか発展させました。

が、その裏側で、人口8割以上の人の暮らしは上記の通りでした。


私は「産業革命」は、この、西欧を進歩させた「貴族社会方式」=
大多数の人間は飢えても、一部の特権階級に「財・技術」を
「一極集中させることで進歩してきた方式」を応用したものだ、と考えています。

つまり経験的に「財・技術を一極(王侯貴族又は資本家)に集めると
パワーになる(権力又は効率的な大量生産)」と分かっていたからこそ、
思いついたのだと思います。

しかし、これには前提があります。

つまり「富は一極に集中させた方が進歩する」と言う経験です。

でも、日本には、富が一極に集中した経験がありません。

為政者が、常に全体に分配するよう心がける政治をしてきたからです。

日本には、産業革命を思いつくような悲惨な過去がなかったのです



又、ありとあらゆる商品が溢れていて、庶民は、今の私達同様、
お買い物を楽しむ生活をしていました。

当時の江戸の人達にとって「大量生産の必要性」が無かったので、
こういう方法を思い付かなかったのだと思います。



「軍事力」もそうです。

軍事力が必要だったのは、西欧では、常々戦争だらけだったからです。

食糧不足が根本原因だと思います。

王政の時代は、一部の貴族だけが食べれれば良かった訳ですが、

庶民が権利を主張する時代に入ると、自分達の国で生産される食べ物だけでは
足りなくなって、次は外国へ食べ物を取りに出かけました。 植民地です。

もちろん軍事力が必要です。必要ですから、どんどん発達しました。


このように、江戸時代の日本に「必要性が無かったものは、生まれなかった」
と言うだけです。

どちらが「遅れている」か?「進んでいる」か?


私は人間が平安に暮らせる社会を実現していた日本の方が

「進んでいた」と思っているんです。(^-^)/



拍手

PR
Comment
name
title
color
mail
URL
comment
pass   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
コメントの修正にはpasswordが必要です。任意の英数字を入力して下さい。
Clear