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徽宗皇帝のブログ

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20万人にはその背後に数百倍の人数がいる
祝「総理官邸前デモ大成功」!
いやあ、日本の庶民も3.11以降、日本の政治と経済の現実について学び始め、自分から主体的に(これは畳語だが、まあ強調だ)政治に参加しなくてはならないと思うようになってきたようだ。自分たちが政治に無関心で無責任な態度を取り続けた結果が原発事故であったと言ってもいい。原発を推し進めた連中だけが悪いのではなく、それを黙認し、あるいはそれに無知だった人間すべての責任なのである。
まあそういう「一億総懺悔」みたいな発想は、私は本来は嫌いなのだが、太平洋戦争とは異なり、原発に関してはそう言うしかない。
とにかく、今の大人たちは全員、自分たちの子供や孫に、そしてすべての子孫たちに、「このような日本」を残してしまったという責任がある。
そして、それはこれまでのすべての選挙での無責任で無知な投票行動の結果なのだ。
もちろん、それは一つの原因であり、もう一つ大事な原因がある。

それは「民主主義の形骸化」あるいは「間接民主主義の欠陥」という問題だ。
我々が選挙で選んだ人間が恣意的にすべてを決めてしまうなら、それは「民意」を表すものではありえない。そして民主主義とは民意を政治に反映させるのが根本義のはずなのだ。
「間接民主主義」つまり「代議制」とは、実は本質的に民主主義の理念を裏切る可能性を持った制度なのである。これは夙にルソーが述べているものだ。
だが、代議制に代わる適切な手段が無いために代議制がまるで民主主義そのものであるかのように扱われてきた、というのがこれまでの政治であった。
「間接民主主義」が成り立つための最低条件が、選挙で選ばれた代議士が「公約(マニフェストでもいい)」を守ることである、というのは言うまでもないだろう。
したがって、現民主党執行部がマニフェストによって選挙民に誓った内容を破棄するなら、彼らは選挙民を裏切る行為をしたことになり、代議士としての存在意義はゼロ以下になる。彼らには民主党員を名乗る資格は無いのである。同様に、民主党に対しマニフェストの撤回を迫るという阿呆な行為をした谷垣自民党総裁は中学生以下の政治理解力しかないことになる。

そこで、昨夜のデモの話に戻る。
デモとは、直接民主主義的な民意の表明である。20万人の人間はその100倍、あるいは数100倍の人間を代表していると考えていい。もしそうでないと言うなら、原発推進派で20万人のデモを起こしてみればよい(笑)。それができたならば、日本国民は原発に関して反対賛成同数の民意を持っていると認めよう。
数の操作がされているに決まっている幽霊的な政治アンケート調査とは異なり、デモに集まった20万人には実体があるのである。この「モノ」の強さにはマスコミもかなわないだろう。いざとなれば、それは国会をも経団連をもあるいはマスコミをも軍隊をも警官隊をも踏みつぶす可能性を持った「数」なのだ。
もう一度言う。昨夜の20万人の背後には、それに参加したくても参加できなかった数百倍の民衆がいるのである。
もはや情報や制度や習慣や地域共同体的支配構造による脅しだけでは制御できない民衆、新しい「市民」が生まれつつある。

蛇足だが、政治に無関心な人間、政治に無知な人間は市民たる資格はない。そういうのは愚民という。




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