「自由貿易とは経済戦争だ」という言葉は自由貿易の本質を端的に示している。そして、その戦争で国民自体は、価格競争のために労働者として給与低減を強いられ、生活が悪化していき、要するに戦争のための犠牲とされることは、本物の戦争と変わることはない。国民は兵士としても労働者としても、常にexpendables(消耗品、犠牲に供しうる兵員、捨て石)なのである。
民主主義国家においては、国民は主権者とされている。では、消耗品や捨て石としての国民は、自ら主権者として、自分たちがそうなることを意図的に選択するのだろうか。そして、してきたのだろうか。
Generals who regarded the lives of soldiers as expendables( Longman active study dictionaryのexpendablesの例文)
このGeneralsも、大企業経営者も官僚も政治家も、大半は同じ性格だろう。国民は彼ら上級国民にとって常に消耗品、捨て石なのだ。
はたして、日本国民はこの先、本当の主権者になれるのか。前途遼遠である。だが、アメリカでは、トランプを選ぶことで、国民はマスコミや上級国民に「ノー」を突きつけた。同じことが日本でできる可能性もまったくないことはないだろう。(トランプの「裏切り」の可能性の問題は、今はさておく。彼が公約どおりTPPを廃棄したことだけで、彼は大きな使命をすでに果たした、ということは前に書いているとおりだ。この後はただアメリカ国民とトランプとの間の問題である。)
(以下引用)
トッド先生はすでに1998年に自由貿易が格差の拡大だけではなく、世界経済を縮小させることを指摘しており、プラグマティックな保護主義の導入を主張している。
自由貿易の絶対視は一つのイデオロギー。それは、「何もしなければすべてうまくいく、規制の存在しない市場がすばらしい」という考え方です。ただ、すべての国が保護主義的な政策を採用すべきだと主張しているわけではありません。欧州の解決策にはプラグマティックなアプローチとして、保護主義が必要。それには世界各国間での協調体制が前提です。
現在の自由貿易とは何かという点から話しましょう。自由貿易という言葉はとても美しいが、今の自由貿易の真実は経済戦争です。あらゆる経済領域での衝突です。安い商品を作り、給与を押し下げ、国家間での絶え間ない競争をもたらします。
一方、協調的な保護主義は話し合いです。協調的な保護主義の下では、政府がいかに需要を浮揚させるかが優先課題。保護主義の目的は内需の再拡大にあり、各国の利害が内需の刺激策に結び付いています。保護主義経済圏を形成することが(安い生産コストの商品輸入を抑制させ)給与水準の上昇につながる。
一方、トッドはこのインタビューで、エリートを手厳しく批判し、独裁国家の不可避性にも言及している。
保護主義の世界では、民主主義システムの政権担当者は、生活水準と中産階級が大変重要だと考えます。一方、現在の民主主義の危機は自由貿易の危機です。エリートは人々の生活水準に関心を持とうとしません。現在の民主主義は、ウルトラ・リベラルな民主主義であり、エリートが人々の生活水準の低下をもたらしているように見えます。
フランスは英米と並び、民主主義発祥の国です。しかし今や、支配者階級は自由貿易以外の体制を検討することを拒んでいます。不平等が広がるにつれて、多くの人々の生活水準は下がり始めています。もし、支配者階級が生活水準の低下を促し続けるなら、民主主義は政治的にも経済的にも生き残れない。独裁国家になるのは避けられないでしょう。
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