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経済童子問(1)富と貨幣

私は経済に興味があるが、その初歩さえあまり理解していない。その無知さを正直に白状しながら、経済的な諸問題について考えてみたい。いわば、私の『幼稚園児的資本論』だ。題して、『経済童子問』である。『童子問』は、中江藤樹だか誰かが書いた著作だったと思うが、タイトルだけ借用した。

第一の問いは、「富」とは何か、という問題だ。
第二の問いは、「金(カネ)」、つまり「貨幣」とは何か、という問題だ。これは併行して考えたい。

富(とみ)とは、有益な何かが十分に存在する意味だ、というように定義してみる。金持ちとは、カネという有益なものを豊富に所有していることだろう。そして、地主なども、土地という有益なものを豊富に所有しているわけだ。だが、貴族などは、それだけでは富を所有しているとは言えない。貴族の所有するのは称号や位階であり、それは無形の存在であるからだ。その称号や位階を利用してカネや土地、いわゆる財産の所有者になって初めて富の所有者だと言える。事業者は、その事業に成功して財産を得た時に、富の所有者だとなる。

では、カネ(貨幣)とは何か。それは「購買権利の証明」だと定義しておこう。その物体が紙であれ金属であれ、カネである限りは、その表面に記載された数字だけの品物を購買できる、そういう「証書」がカネなのである。金属貨幣(硬貨)とは、その使用材料が金属であるだけで、機能的には「証書」なのである。さらに言えば、その材料は紙でも金属でなくてもいいし、表面に数字が記載されていなくても、「それを使用して何かが購買できる」ならそれはカネである。ただ、それは生(ナマ)ものではないほうが都合がいい。人間や家畜を貨幣代わりにして何かを購買することもできるが、その貨幣代わりの人間や家畜が頓死すると取引はワヤクチャになるからだ。
物と物を物々交換するのは、交換形態としては現代ではあまり使われないが、もちろんいつでも可能ではある。ただ、その場合には、カネという介在が無いわけだ。従って、「貯蓄」もしにくいが、その「物」に耐久性があれば話は別である。「貯蓄」や「保存」の問題は、また別に論じるかもしれない。
なお、カネ(貨幣)が「購買権利の証明」であるなら、その証明者(保証者)は誰かと言えば、当然、政府(昔なら統治者とその政治機構)だとなる。とすれば、日本銀行券は日本銀行という民間銀行の発行であるのに、なぜ通用するのか、という疑問が生じてくる。貨幣の保障をするのが政府であるなら、その貨幣は当然、政府発行のものでなければおかしいのではないか。まるで、他人の描いた絵を、自作の絵だとして売り付けるような話に思えるのだが、中央銀行制度についてはまた別に論じる予定である。

なお、私が疑問に思うのは、国家や政府の衰退や滅亡が、しばしば経済的困窮から来ていることだ。経済的に困窮したなら、貨幣を大量に発行すればいいだけの話ではないか。もちろん、インフレが起こるからそれはダメだ、というのがお決まりの答えだろうが、はたして本当にそうなのか。これが私が常々疑問に思っていることで、実はこの小論も、その疑問の答えを見つけたいからなのである。
貨幣改鋳(改悪)が政府財政をかえって悪化させる、という話も、私は疑わしく思っている。と言うのは、カネというのは、材質が何であれ、それがカネだと社会が認めたなら、貝殻だろうが石だろうが、カネとして通用してきた歴史が古代や原始社会にはあるからだ。では、なぜ古代以降にはそれが通用しなくなったのか。そこに大きな欺瞞や錯覚があるような気がしてならないのである。



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