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徽宗皇帝のブログ

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「えらい」存在への敬意と懐疑
秦恒平の「京のわる口」というエッセイ集が、名前が面白いので図書館で借りてみたが、予想とは違って、京都に対する悪口ではなく、「京言葉による悪口」の考察であった。
まあ、京都にはいいところも悪いところも当然あるわけで、たとえば「よそ者からうまくカネを搾り取ろう」という気風は都会(観光地)ならどこでもあるし、あるいは商売ならどこでも当然の話だろう。その反面、老人が堂々と暮らしているところ、日常生活に無駄に華美な贅沢をしないところなどは、精神的にはヨーロッパの都会風ではないかと思う。東京はまさに資本主義の巣窟で、ニューヨークなどの感じに見える。つまり、若者文化であり、華美と虚飾の世界だ。京都はパリ、大阪はイタリアの二番手くらいの都市、といったイメージだ。(ローマに近いのは奈良だろう。)
さて、最初に書いた「京のわる口」の中に、我が意を得たり、という部分がある。これこそが京都人の最良の精神性ではないか。
日本全体にこうした精神があったら、安部総理の長期政権やモリカケ問題など、最初から生まれていなかったのではないだろうか。偉くもなんともない存在を過度に畏怖する国民の卑屈で低俗な精神が官僚支配や自民党支配やマスコミ支配を作ってきた、ということだ。



(以下引用)色字は徽宗による。



京都といえば、「えらい」お人が大勢居た。そういう意味でも一の都であった。首都であった。一等「えらい」のが、建前では天皇さんであった。時には藤原氏や源氏平家の方がよっぽど「えらそに」してはいたけれど。
半分は冗談、半分は本気でよく私は思うのである。人は、そういう藤原や源平なみの「しょうのない」手合いが出現して、人の世を我がもの顔に威張り出した時に、さぞ唇を曲げ白い目をして、「えらいこっちゃ……」とソシったんだろな、と。
(中略)
「えらい目にあいました……」
「えらいモンじゃ」
「えらい人出や……」
「えらいこっちゃ……」
こんなのはもう偉大の偉人のとは無縁の「えらい」である。
つまり、こういう事なのだ。京都の人はほんとうに「えらい」と言える事も人も、ハナから信じていない。「えらそぅ」なニセものばっかり、はびこりよると感じて来たのである。この眼力、「えらい」ものだと思うのだが……。













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