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徽宗皇帝のブログ

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of the people,by the people, for the people,
「こういう授業」というのが何を指しているのかはっきりとは分からないが、こういう板書の仕方というのは、予備校の同僚の授業で見て、驚いた記憶がある。何だか、高等なことをやっている、という印象を与える板書法だとは思うが、英語がそれで理解できるようになるのかどうかは知らない。何だか、言葉がすべて分解されてしまっている感じだ。ソーセージやハムを集めて、生きた豚や牛になるのだろうか。
確かに、分析(分解)は、問題の本質をつかむ、ほとんど唯一の方法(もちろん、「直観」という方法もあるが)ではあるだろうが、「語学」を学ぶのに最適な方法かどうか、考え直す必要があるのではないか。かえって、昔の寺小屋式の「漢文素読」みたいな方法のほうが、語学には向いている気がする。まあ、分かりやすい英語で書かれた名文を暗唱できるようにするとか。あるいは、英語のことわざや格言、戯曲や映画の名セリフを暗唱するとか。
小芝居を授業に取り入れるのも面白そうだ。あるいは「glee!」のようにミュージカルや合唱をするとか。


ところで、私は英語は苦手なのだが、下の板書の中の

This book is read by people all over the world.


の「by people」って必要な言葉なんだろうか。世界中で読まれているなら、それは人々に読まれているに決まっているのだから。
by peppleを入れると、私には何だか、「馬から落馬する」、とか、「頭痛が痛い」、みたいに聞こえる。

This book is read all over the world.

で十分だと思うのだが。




(以下引用)


k takahashi | 高橋一也 @kz8_takahashi 9月19日

日本の英語教育が良くならないのは、こういう授業が「スタンダード」だからです。もうお願いだからやめてくれ。


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