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徽宗皇帝のブログ

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革命者キリスト(1)
第一章 旧約聖書と新約聖書

まず、聖書をどう捉えるかだが、簡単に言えば、旧約聖書はユダヤ教の聖典であり、新約聖書だけがキリスト教(「キリスト教」すなわち、後の変質したキリスト教とは区別する。)の聖典である。ただし、キリスト自身は実は自分がキリスト教という新しい教えを教えているつもりはなく、腐敗したユダヤ教を改革しようという「宗派内改革者」のつもりであった。だから、彼の教えの中には旧約聖書からの引用が無数にある。
しかし、彼自身のそうした意識とは裏腹に、彼の教えは旧来のユダヤ教とは水と油ほどにも違っていた。その最大の点は、「神」の性格である。「旧約」の中の神には、キリスト教の神のような愛と寛容の性格は無い。狭量で、怒りっぽく、残酷で不合理な性格の神だ。一言で言えば、困った性格の神様だが、では、キリスト教の神が正しいかと言うと、これもキリストがそう空想しただけのことだからどちらが正しいとも言えない。
「旧約」の中には、果たしてこれは一神教かと疑わせる記述などもあるが、とりあえず、ここではユダヤ教もキリスト教も一神教だという前提で話を進めていく。

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