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大混乱に陥っているドイツ 総選挙 を2週間後に控えたドイツ が大混乱に陥っている。2月2日の日曜日、ベルリン市はブランデンブルク門付近に16万人が繰り出し、「民主主義を守れ!」「極右勢力の台頭を許すな!」と叫んで練り歩いていた。
ことの始まりはこうだ。
1月22日の午前中、バイエルン州のアシャッフェンブルクという町の公園を、保母さんに連れられた子供たちが散歩していた。小さな子供たちは、何人かが乗れる柵付きの台車に乗っていたという。
そこに難民 のアフガニスタン人(28歳)がやってきて、いきなり台車の上にいた2歳の男の子の帽子とマフラーを剥ぎ取ると、刃渡り34センチの台所用の包丁で、首と肩を何度も刺して殺した。通りかかったドイツ 人の男性が子供を助けようと割って入ったが、やはり刺され、亡くなった。他にも女児や保母さんらが怪我をした。
警察は、このアフガニスタン人の過去の複数の暴力行為を知っていたという。
しかし、今のドイツ では、よほどの重罪でない限り、国外退去の対象者の拘束さえもしていない。それどころか多くの重罪人は、脚にセンサーをくっつけて普通に街を歩いている。
ドイツ で相次ぐ殺傷事件の背景昨年12月20日には、旧東独のザクセン=アンハルト州の州都マクデブルクで、サウジアラビア人が市の中心で開かれていたクリスマスマーケットに車で突入し、数百メートルを暴走。6人が死亡、200人以上が重軽傷を負った。死亡した6人のうちの1人は9歳の子供だった。
このサウジアラビア人も、さまざまな奇異な言動にもかかわらず、医者として働いていたというから、ドイツ 当局は難民 管理はおろか、治安の維持もできていない。
また、昨年8月23日には、ノートライン=ヴェストファーレン州のゾーリンゲンで、市政650年を記念する野外でのイベント中に、26歳のシリア人がナイフで3人を殺害し、8人に重軽傷を負わせた。男は「イスラム国」のテロリストとの情報。
まだある。やはり昨年5月31日、バーデン=ヴュルテンベルク州のマンハイムで、アフガニスタン人が、集会の準備をしていた保守の活動家にナイフで襲い掛かり、割って入った26歳の警官が2日後に亡くなった。
これ以外にも、すぐに忘れられてしまう殺人が山ほどあり、ティーンネイジャーの子供を難民 (申請者)に殺された300組もの夫婦が、すでに互助会を結成している。彼らは、悲劇が2度と繰り返されないようにと政治に働きかけているが、政治家らは聞く耳を持たない。
犠牲が出るたびに「深い悲しみの意」を表し、「遺族の方々と心を一つにし」、「今後、こういう悲劇の起こらないよう最大の努力をする」と決まり文句を言うだけだ。
それどころか今回の2歳児の殺害の後、社民党の厚生相は、「難民 は過去のトラウマで精神にダメージを受けているのに、彼らに手厚い心療テラピーを施せないドイツ 側にも責任がある」というような言い方をした。しかし、現実問題として、医療の現場は移民難民 の増加で、今でさえすでに崩壊しかかっている。
それにしても、これだけ問題が山積しているのに、なぜ、この状態が放置されたままになっているのか? それは、難民 問題に本気で対処していたのが、AfD(ドイツ のための選択肢)だけであったからだ(AfDとは、極右だ、ナチだと誹謗中傷されている保守党)。
ついに国民の堪忍袋の緒が切れた! ドイツ の全ての党は、AfDとは何があっても協力しない(ドイツ ではこれを防火壁と呼んでいる)ということを天命のように守り続けているため、AfDがどんな動議を出そうが絶対に通らない。
それどころか、提出された法案や動議にAfDが賛成しそうだとわかると、それらが取り下げられるのが常だった。あるいは、AfDが賛成できないような文言を最初からわざと織り込むとか。
つまり、ドイツ の議会における重要度は、提出されている動議や法案の中身の是非ではなく、AfDがそれに賛成するか否かであった。これが7年間も続いてきたのだから、難民 問題は一向に改善されず、さらには、ドイツ の政治自体が機能不全になっていたのは、ある意味、当然だった。そして、この悪政に苦しんでいるのが、言うまでもなく国民である。
ところが、今回は少し様子が違った。何の抵抗もできなかった2歳の男児が、白昼、公園で刺殺されたインパクトは大きく、ついに国民の堪忍袋の緒が切れた。
おりしもドイツ は選挙戦のまっ最中。国民の動揺を見たCDUのメルツ党首は、AfDが賛成するとわかっていたにもかかわらず、難民 対策の厳格化を目指す動議を国会に提出した。つまり、「防火壁」を破ったわけだ。そして、「正しい動議は、たとえ間違った党がそれに賛成したとしても、正しさは変わらない」というヘンテコな理屈で、その行動を弁護した。
1月29日、この動議が、自民党、BSW、そしてもちろんAfDの賛成票を得て、採択された。ところがその途端、緑の党と社民党が、CDUへの攻撃を開始した。CDUが「防火壁」を壊し、極右のAfDと組んだとして、激しく非難した。
これにより、難民 問題はあっという間にどこかにすっ飛んで(緑の党も社民党も元々、難民 法を厳しくしたいなどとは思っていない)、テーマはナチ撲滅、および民主主義の防衛に切り替わった。
さらに、過激な左翼活動家が突然、どこからか湧き出し、“民主主義の敵”であるCDUの事務所などを包囲したり、攻撃したりし始めた。これにより、ようやく混沌としていた情勢が安定するかと期待していた多くの国民は、再び裏切られたのである。
では、CDUはどんな法律を作ろうとしていたのか?
いまドイツ 国民が感じている「限界」 「現在、暫定的に行われている国境での監視を持続化させる」とか、「身分証明のない人間には入国を許可しない」とか、「難民 審査に落ちた人の母国送還を徹底する」とか、「国外退去の対象者で逃亡の恐れのある人は拘束できるようにする」など、当たり前のことばかりだ。
しかも、これは多くの国民が希望していることでもある。増え過ぎた難民 のおかげで、治安が悪化し、住宅が不足し、学校も医療も機能しない。皆、難民 をこれ以上、無制限に受け入れることには、限界を感じている。
ところが、この明くる日、驚くべきことが起こった。突然、メルケル 元首相が浮上し、「AfDとの協働は良くない」というコメントを発信したのだ。メルケル 氏はCDUの党員であり、かつては党首だった。それなのに、総選挙 で首相府を取り戻そうと頑張っているメルツ党首の背中を、冷酷にも後ろから撃ったのである。
そもそも、なぜ、今、難民 問題がドイツ の国難となっているかといえば、メルケル 氏が2015年9月、国会も通さず、他のEUの国々と相談もせず、独断でドイツ の国境を開いてしまったからだ。それ以後、ドイツ は巨大なブラックホールのように中東やアフリカの難民 を吸い込み続け、EUは次々と起こるテロ事件で未曾有の混乱に陥り、いまだにその後始末に追われている。
それにもかかわらず、メルケル 氏は涼しい顔で、自分の“難民 ようこそ政策”の継続を推奨している。難民 の暴力で倒れた人たちのことも、国民の苦渋も完全に無視して、難民 政策の改正を断固拒否する緑の党と社民党を力強く支援したのだ。
その背景には、メルツ氏とメルケル 氏が、20年来、犬猿の仲であるという事実も関係しているだろう。メルケル 氏の真の目的は、メルツ降ろしだったのではないかと、私は勘ぐっている。詳しくは、拙著『メルケル 仮面の裏側』(PHP新書)をお読みいただきたい。
誰から民主主義を守ろうとしているのか メルケル 介入の翌日の31日、国会でCDU法案の賛否を問う投票が行われた。しかし、この日、メルツ党首はすでに弱っていた。結局、この法案に一致団結して賛成票を投じたのはAfDのみで、なんと、肝心のCDUからも、そして自民党からも脱落者が出て、法案はあっけなく潰れた。防火壁は綻びながらも倒れなかったのだ。
しかし、CDUとAfDに対する攻撃はその後もやまず、2月1日、2日はドイツ のあちこちの都市で大掛かりな反極右のデモが開かれ、CDUとAfDが槍玉に上げられた。
ちなみに1月9日、米国テスラのイーロン・マスク氏は、X上でAfDのヴァイデル共同党首と対談した際、次のように述べていた。
「他人の言論の自由を抑圧すれば、必ず、それが将来、自分にも跳ね返ってくる」
CDUがナチだと誹謗されている姿を見て、私はそれを思い出し、マスク氏の予言が早くも現実になったことに驚愕した。些細なことで、民衆の矛先は変わるのだ。
ただ、わからないのは、この大掛かりなデモの参加者たちは、一体、誰の手から民主主義を守ろうとしているのかということだ。CDUとAfDが共に難民 法の改正を望んだからといって、ドイツ に再びナチ台頭の脅威が増すという論理は、いくら何でも無理があった。
つまり、どう見てもこれは、総選挙 に向けての緑の党と社民党のための官製デモに他ならない。デモの参加者らは、知ってか知らずかそれに乗っかり、「メルツよ、恥を知れ!」などといった過激なプラカードを掲げて高揚していた。
それどころかニュースの画面には、嬉々としてデモに参加し、民主主義の守護者を演じている緑の党や社民党の政治家の姿まであった。それを見ながら私は、ドイツ 人はイランでこういうデモがあればバカにするくせに、自分たちは今、まさに同じことをしているではないかという思いを打ち消すことができなかった。
すり替えられた難民 問題 婦女暴行や、ナイフでの傷害事件の犯人のうち、中東難民 の占める割合が異常に高いことは、すでに昨年、連邦検察庁が発表していた。CDUの法案は、それら犯罪者の流入を予防し、治安を回復し、少しでも犠牲者を減らすためのものだった。だからこそ、AfDも賛成したのだ。
しかし、難民 問題は見事にすり替えられ、デモの参加者は、極右打倒と叫んでいた。
ただ、彼らはおそらく、AfDの主張のどこが極右なのかと聞かれれば、答えられないに違いない。実際にはAfDの政策は、他のどの党よりも一番筋が通っており、しかも、決してぶれなかった。
ただ、メディアは常にAfDを締め出し、「とんでもない党だ」、「彼らが政権に入ればドイツ は再びナチ独裁になる」などという情報だけを流した。だからこそ、それを信じた人たちが、存在しない敵に向かって拳を振り上げているのだ。多くの独立系のメディアも同じ考えだったようで、今回のデモを「幻の敵を倒すためのデモ」と評していた。
一方、CDUのメルツ氏はブレまくり、今や、「我々は絶対にAfDと協働することはない」と必死で弁明。しかし、そうなると、第1党になっても社民党と緑の党以外、連立相手はいない(ドイツ では得票率が5%以下の政党は、国会で議席を持てない)。
ナチが台頭していた1930年代、批判者は口をつぐんだ。そして、口を開いた少数の人たちは迫害され、強制収容所に送られ、あるいは処刑された。ドイツ 人は後になってそんな彼らのことを、勇気あった人々として称賛している。自分もその時代に生きていたなら、勇気ある人の一人だったと言わんばかりだ。
そして、その彼らが今、デモに集結し、AfDを潰さなければならないと息巻いている。しかし、私の目には、弾圧されているAfDの政治家の姿の方が、当時、ナチに弾圧されていた勇気ある人たちの姿と重なる。
ドイツ の官製メディアの主張を垂れ流す日本そもそもAfDは、民主国家ドイツ で許可された党で、議員は当然、普通選挙で選ばれている。しかも、それを、何百万人もの有権者が支持しているのである。それなのに、AfDを潰すことが民主主義だという主張は、一体どんな理論によって支えられているのか。
当時、ナチに抵抗していた人たちは、膨大な大衆の力で潰されてしまった。今回もまた、デモの大衆の方が間違っているという可能性はないのか。
しかし、日本のメディアはそこに何のメスも入れないまま、ドイツ の官製メディアの主張を丸ごと書き写している。
デモ隊の人たちで、ティアガルテンが埋め尽くされていた夜、ベルリンのお臍ともいえる場所に立つ戦勝記念塔(高さ67m)には、「全ベルリンがCDU(キリスト教民主同盟)を憎んでいる」という字幕がライトアップで流れされた。憎むこと(ヘイト)は悪だと言っていたのは、一体どこの誰だったのか?
現在、ドイツ で起こっていることは、私には理解不能なことが多すぎる。デモの参加者はマジョリティなのか、それとも、他に静かなマジョリティーが存在するのか。23日の総選挙 が待たれる。
【つづきを読む】 『「無知で傲慢な大金持ち」と猛批判…!いまドイツ の政治家と国民が「最も忌み嫌っている」二人の名前』
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