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最高の打者・最高の投手 6

前の計算式を打者指数、投手指数として、それぞれの選手の数値を出せば、選手の能力が客観的に把握できるという実用性もあると思うが、ただし、守備力を数値的に測る手段は存在しない。たとえば、失策率などは、難しい打球には手を出さないというずるい方法を取れば簡単に向上するのだから、守備力の目安にはならないし、守備機会数も、守るポジションと投手の個性(投球傾向)によって大きく変動するから、目安にはならない。まあ、取りあえずは、守備機会の多さと、失策率を併用するくらいしか考えられない。だから、普通、守備の名選手とは、印象で語るしかないのである。ついでに、守備ポジションによる守備機会について言おう。もっとも守備機会の多いのは、もちろん、もっともボールを受けるキャッチャーであり、次には一塁手である。(公式定義による守備機会がどうかは知らないが、私は、選手がボールに触れる機会を守備機会と言っている。キャッチャーの場合は、投手が投球するごとに、守備機会となるのである。もちろん、受け損ねればエラーだ。)以下、内野手と投手がほぼ同じで、外野は1試合に多くてもせいぜい4,5回くらいの守備機会だろう。したがって、守備機会が多いからといって、その選手の守備範囲が広いかどうかはわからない。守備の上手下手は、どうしても印象で判断するしか無いようだ。これは今後の野球批評・選手評価の研究課題だろう。
 以上書いてきたのは暇人の暇つぶしの考察ではあるが、選手の評価は(潜在的なものも含めて)チームの勝利への貢献度によるべきだという原則は正しいと私は思っている。そして、これまでの選手評価は、その点では著しく不備だったのではないだろうか。たとえば、長打力はあるが、走れない選手は、時にはチームの攻撃の障害になることもある。その選手がベーブ・ルース並の長打力を持っているのならともかく、出塁率または獲得塁率が著しく低い選手の長打力など、それほど高く評価はできないだろう。逆に、塁を進めるという点では、犠打成績はもっと高く評価すべきであって、私の考えでは、進塁打や犠打は0.5塁打と評価すればいいと思う。(なぜ0.5かと言えば、塁は進めたが自分はアウトになるからである。野球とは、相手のアウト数を増やし、こちらのアウト数を増やさないようにするゲームでもあるのだ。それが勝利への方程式なのである。)そうすれば、たとえば生涯打率が2割7,8分程度の選手でも、実は3割打者以上にチームに貢献していたということが判明するかもしれない。進塁打や犠打の多かった巨人の千葉茂あたりが川上以上のチーム貢献度だったという評価も出てくるのではないだろうか。もっとも、スター選手のスター性やカリスマ性はまた別の話である。それにしても、どの選手に人気があり、どの選手に人気がない、という評価は、球団の一部の人間の恣意的判断で決まっているのではないだろうか。それで給料が決められるとしたら、選手が可哀想だと私は思うのである。
 さて、話が球団経営まで進んでしまったが、選手評価についての私案はここで終わろう。私のこの一文が、選手評価についての、これまでの硬直的な思考に一石を投じることができれば幸いである。

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