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徽宗皇帝のブログ

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マルキシズム批判(5)
7)と8)を検討してみる。

7)マルクスは共産主義社会を分配の原則から低い段階と高い段階に区別し、低い段階では「能力に応じて働き、労働に応じて受け取る(英語版)」、高い段階では「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という基準が実現するという見解を述べた

「労働に応じて受け取る」と「必要に応じて受け取る」を麗々しく区別する意義があるとすれば、共産主義社会の低い段階では、生産力が低いので、全体の生活を維持する能力がなく、「働かざるもの食うべからず」となる、ということだろう。と言うことは、老人や児童や、場合によっては病人や障害者も労働に駆り出され、それさえできない人間は遺棄される、と解釈するしかないのではないか。もっとも、これは資本主義社会だろうが社会主義(共産主義)社会だろうが同じことであり、わざわざ言う必要があったのかどうか。まあ、「共産主義は天国だと言うわけじゃないよ」と釘を刺す意味くらいはあったのかもしれない。どうでもいい難癖をつけるなら、「能力はあるが働かない人間」は、どうなるのだろうか。資本主義社会には実に無数の収入の道があり、ヤクザや売春婦や詐欺師でも生活手段は持っているわけだが、共産主義はどうなのか。また芸術家の「仕事」は評価されるのか。どのように評価されるのか。


8)資本主義社会から社会主義社会への過渡期における国家をプロレタリアート独裁とした

「プロレタリアート独裁」という言葉が資本主義国家の上級国民だけでなく下級国民にまで共産主義嫌悪の元になっている、ということは何度も書いてきた。論評の必要は無いだろう。なぜ、わざわざ「独裁」などという、嫌悪感しか与えない言葉を使うのか。

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