忍者ブログ

徽宗皇帝のブログ

徽宗皇帝のブログ

マルキシズム批判(6)
これで最後だが、少し長い内容だ。


9)彼(マルクス)は唯物論的歴史観を次のように説明した。
生産力の発展段階に対応する生産関係の総体が社会の土台である。
この土台の上に法律的・政治的上部構造が立つ。土台が上部構造を制約する。
生産力が発展すると、ある段階で古い生産関係は発展の桎梏(しっこく)に変わる。そのとき社会革命の時期が始まり、上部構造が変革される。
生産関係の歴史的段階にはアジア的、古代的、封建的、近代ブルジョワ的生産関係がある。
近代ブルジョワ的生産関係は最後の敵対的生産関係である。発展する生産力は敵対を解決する諸条件をつくりだす。それゆえ、資本主義社会をもって人間社会の前史は終わる。


ア)生産力の発展段階に対応する生産関係の総体が社会の土台である。

まあ、
経済学的視点からはこう言えるだろう。

イ)この土台の上に法律的・政治的上部構造が立つ。土台が上部構造を制約する。

さあ、どうだろうか。「制約」の解釈しだいだろう。生産関係を無視した政治行動や法律は多いだろうが、それが問題視されるまでタイムラグが長い気がする。

ウ)生産力が発展すると、ある段階で古い生産関係は発展の桎梏(しっこく)に変わる。そのとき社会革命の時期が始まり、上部構造が変革される。

ここが一番の問題だろう。古い生産関係が発展の桎梏になるのは事実だろうが、それが「社会革命」の原因になった事例があるのかどうか。私は、ほとんど無いと思う。もちろん、社会の貧困と下層階級の抑圧がソ連や中国やキューバの革命の一因ではあっただろうが、それは「古い生産関係」の問題ではなく、単に「富の配分」の問題だったと思う。


エ)生産関係の歴史的段階にはアジア的、古代的、封建的、近代ブルジョワ的生産関係がある。

まあ、このあたりは「学者的」分類でしかないと思う。詳細は知らないが、その分類にさほど意味があるとは思えない。

オ)近代ブルジョワ的生産関係は最後の敵対的生産関係である。発展する生産力は敵対を解決する諸条件をつくりだす。それゆえ、資本主義社会をもって人間社会の前史は終わる。

ここでも、「敵対的」という、資本家と労働者を対立させる言葉使いがある。そして、「発展する生産力は敵対を解決する諸条件をつくりだす」というのが不明瞭だが、「発展する生産力によってプロレタリアートにも生産の恩恵が行き渡るようになり、特に資本家を敵と見なさなくても生活水準に満足できるようになる」ということなら、これは非常に慧眼だが、そうすると、「資本主義が消滅し、プロレタリアート独裁社会になる」という主張とは正反対になる。これはどういうことなのか。

以上で「マルキシズム批判」を終わる。日本共産党は、「マルクス党」なのか、否か、そして「マルクス党」でないなら、「共産主義」をどのように定義しているのか、不学にして私は知らないが、私程度のレベルの人間にも分かるような「日本共産党の共産主義とは何か」の説明を望みたい。それが、日本共産党への私の期待である。
言うまでもなく、私は個々の党員に対しては非常に尊敬しているのである。共産党員であるだけで受ける無数の不利益を甘受しながら生きているというだけで、凄い精神力であり、日本に稀な理想主義だと思っているのだ。



拍手

PR

コメント

コメントを書く