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徽宗皇帝のブログ

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メモ日記「政治・社会」5
#105 少数者による多数者の支配

 「哲学的な目で人間社会を眺めたとき、もっとも驚くべくことは、少数者による多数者の支配が容易に行われていることである」というのは、デビッド・ヒュームの言葉らしいが、同じ疑問は多くの人が感じているだろう。たとえば、現代社会は、明らかに権力と癒着した大金持ちが、「合法的」ではあるが不正な手段を使って他企業を倒し、雇用者や消費者を搾取し、甘い汁を吸っているが、その状態を変えることができないのはなぜか。それは、権力に逆らえば、自らの生存が不可能になるという一般庶民の恐怖のためである。
 権力による支配の基本にあるのは暴力である。社会の初期の段階では、武器や軍隊といった暴力手段を握ることが権力への道であった。あるいは、神の懲罰を背景として、宗教で人々を支配することも行われた。後者は暴力ではないが、暴力を匂わせた威嚇である。その暴力の主体が人間ではなく、神であるというだけのことだ。
 暴力および、暴力を背景とした威嚇が権力の基本であり、やがてそれに法律とマスコミが加わってくる。法律とは、人民の権利を守る存在でもあるが、権力への反抗を封じ込める手段でもある。ほとんどの国で、警察や軍隊は、国民を守る存在ではなく、国民の反抗から権力者を守る存在である。そして、暴力行使の権利はすべて国家に握られ、国民が私的に暴力を行使すると、法律で処罰される。たとえば、高校生が決闘(ルールを決めて行う喧嘩)をしたということで警察に逮捕された事件があったが、これなどは、法の本質が国家(権力者)による暴力の独占であることを良く示した事件ではなかろうか。

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