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徽宗皇帝のブログ

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メモ日記「政治・社会」9
#118 少年よ「大志」を抱け?

 「少年よ大志を抱け」とは、言うまでも無く、札幌農学校の校長であった明治政府のお雇い外国人クラークが生徒たちに言った言葉だが、元の言葉とはニュアンスがやや違う。元の言葉は、「ボーイズ・ビ・アンビシャス」つまり、「少年たちよ、野心的であれ」であり、訳語の「大志」が、東洋的な人道主義的理想を感じさせるのに対し、「アンビシャス」には、世俗の金力や権力を目指す生臭い欲望への肯定が感じられる。もちろん、クラークもそのつもりで言ったのだろう。西欧人の彼から見れば、日本人には他人を蹴倒してでも自らの欲望を達成しようとする野心が欠けているように思われたのだと思われる。そのクラークの言葉は現代の日本において実現した。つまり、クラークは資本主義的先進国の尖兵として、日本人に野心、つまり「欲望の肯定」を教えたわけである。
 それまでの日本人に野心が無かったわけではない。だが、封建社会においての野心とは、社会の上位層にしか縁の無い言葉であった。固定された身分制度のもとでは社会の下位層の者が野心を抱ける余地はなかったのだ。だが、現代はどうか。誰でも努力次第でどこまでも上に行けるという幻想が、資本主義社会を成り立たせる幻想である。その幻想によって人々は馬車馬のように努力するわけだ。しかし、それで成功するのは一握りの人間であり、しかもその大半は親からの遺産であらかじめ成功が約束された人間である。そうした社会で、過度の野心はその人の人生を常に焦燥感と不如意感・失敗感で満たすだろう。人にはそれぞれ生まれ持った器量や運命がある、という封建社会的諦念ははたして退嬰的なだけのものなのかどうか、考えてみる必要がある。

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