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私の家の裏庭以外なら設置していいよ

「長周新聞」より転載。
この前の部分には原発事故避難者の生活を伝えた部分があるが、割愛した。

下記記事にある「原発は麻薬である」という言葉は切実だ。
こうした「NIMBY (not in my backyard)」と呼ばれる存在(迷惑施設)は、それを引き受けさせるために地元に巨額の金が投下されるため、それを見込んで誘致する地方自治体やその関係者が後を断たない。普天間基地移設問題でも、辺野古がだめならうちにどうかという村(地区)もある。もちろん、そういう連中は地元全員の合意を得ているわけではない。
そして、下記記事にあるように、迷惑施設推進のための金は、基本的に箱モノにしか使えないから、地元建設業者はその設置を切望するわけである。だが、だいたいの場合はその仕事も大手建設企業が請負い、地元には金の一部しか渡らない。しかも、箱モノの維持費など出ないから、その箱モノは不良資産となり、維持費に毎年無駄な金が出て行く。
こうして、国から投下された金で潤うのも一時的なものとして終わり、後は迷惑施設が文字通り迷惑な存在として残るだけである。金を得た連中はまだいいが、その他の住民は迷惑しか受けない。そして、今回の原発事故のようなことが起こると、地元住民全員が「お前たちのせいで日本全体が迷惑している」と言わんばかりの扱いを受けることになる。
だからこそ「原発を作るなら東京に作れ」「米軍基地が必要なら、それが一番に守るべき東京の側に置け」と言うのである。
これはもちろん東京の住民自体の責任ではないが、そういう意識は持っていてほしいと思う。
ついでに言えば、私はよく冗談で、「米軍に日本を守ってもらってばかりでは申し訳ないから、米国を守るためにワシントンに自衛隊基地を作らせてもらったらどうか」と提案している。まあ、日米安保条約が双務的なものだとすれば、そうあって当然だろう。国内に他国の軍隊が常駐している気分をぜひ米国にも味わってもらいたい。


(以下引用)

双葉町の住民たちに上関原発計画のことや山口県にとっても今回の事故が決して他人事ではないことを伝えると、「俺たちみたいになるぞ。止めるべきだ」「原発は麻薬だ。40年の夢が覚めたら、家も生活もすべて失ってしまった。叩き出されてからでは遅い。こんなことは二度と繰り返してはいけない」と親身になって語っていた。

 箱物ばかりで地元経済疲弊 潤わなかった立地町

 立地にいたるまでの経緯を老人たちに聞くと、原発ができた場所は、戦中は旧陸軍が所有する飛行場だった。戦後になって、西武グループのドンとして鳴らし、自民党大物代議士でもあった堤康次郎の関係企業に払い下げされ、塩田として開発したもののうまくいかず、もてあましていた土地だった。敷地面積の3分の1をまとまった形で企業が所有していたため、用地交渉はすんなりと進み、昭和38~39年という短期間で終わったこと、一般の地権者300人弱のなかには開拓農民が多く含まれ、その用地交渉は福島県当局や誘致に熱を上げていた町役場が、東電になりかわって進めたことを、当時の経緯を交えながら話していた。
 「浜通は昔から住む人が少なかった。産業といえば農業しかなく、水田のほかに蚕を育てて糸を紡いだり、酪農を細細とやっていた。大熊町や双葉町の辺は“海のチベット”と呼ばれるほどで、男たちはみな東京方面に出稼ぎに行って、家族が揃うのは盆正月くらいだった。そんな過疎の町にハイテク産業の誘致が持ち上がってわいたんだ…。世界に誇れるハイテク産業を支えているというのが町民の誇りだった」と80代の男性住民は振り返っていた。
 ところが双葉町、大熊町の同じ原発立地町でも原発財源には差があった。原発のおかげで町財政は潤沢だったかというと、潤ったのは電源三法交付金が入る建設段階と、その後、運転開始にともなって固定資産税が入り始めた時期だけで、減価償却が進むとその額も減って首が回らなくなっていた。
 とくに双葉町は2009年に「早期健全団体」に指定され、町長は無報酬になるなど厳しい状況を過ごしてきた。町民税や保険料を滞納すると町からの取り立てが厳しくなり、町民が楽しみにしていた盆踊り大会もやらなくなった。かつて農業を生業にしていた歴史から伝統の神楽も部落ごとに7種類あったが、そのお披露目も町からの補助金が10万円から5万円に下がるなどし、財政悪化の影響で参加団体が減少するなどの事態にもなっていた。そして7、8号機の増設を要望する事態になっていた。
 騎西高校に避難していた男性住民たちは「麻薬中毒といっしょだ」「にわか成金みたいなもんだ」と口口に語っていた。温泉施設ができ、歴史資料館ができ、草野球場までできた。電源三法交付金はデラックスな箱物に使途が限定されていたため、次次と建物が建ったが、維持コストがかさむようになり、固定資産税が減ってくると逆に首を絞める存在になっていた。「草野球場をつくったはいいが、利用する者はほとんどいなかった。いい夢を見させてもらったが、はかないものだった」といった。
 近年では東京電力のコスト削減策が徹底され、設備投資も切り詰められていた。定期点検の期間も短縮され、そのことによって地元企業の生活の糧が失われ、原発の下請や孫請で生計を成り立たせていた企業や従業員たちのなかで反発が強まっていた。物品調達も地元商店を飛ばして町外からするようになり、大熊町には大型店が出店して地元経済が寂れるなどの事態にもなっていた。
 住民の1人は、「原発の孫請が増えたけれど、社長本人が現場で働かなければもうけにつながらないほど余裕はなかった。原発の仕事は7次下請や8次下請はザラで、上部のもうける連中だけはピンハネしてもうかる構造だった。地元から東電に採用されるのは町議や県議の息子や娘たちばかりで、優秀な子が振るい落とされたりして随分話題になったときもあった。コネのある人間だけ地方採用の形で雇われていた。初めの頃は、原発構内でドライバーを持って一日中ウロウロしていただけで日当をもらえた時期もあった。交付金にせよ、すべてが麻薬だったんだ。上関の人たちに伝えて欲しい。私たちのような目に二度とあわせたくないから、原発に町の運命を委ねるべきじゃない。運命共同体で飲み込まれて何もかも失うんだ」と真剣な表情で語っていた。

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