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徽宗皇帝のブログ

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「損得勘定」の政治www
「阿修羅」から転載。隠居爺氏も言うように、緑タヌキの勝利は最初から確定されての選挙だろうから、こういう記事を転載しても、べつに問題は無いだろう。
私は古谷経衡(何と読むのか。私は「衛生」の「衛」だと勘違いして「つねえ」と読んでいたが、「平衡」の「衡」だった。この字の訓読みが分からない。)という人物の顔やファッションが大嫌いなのだが、ここに書かれたことは的確だと思う。一番の問題は、石丸氏は問題を損得勘定だけで判断すると自著に堂々と書いているらしいことだ。とすると、すべてを「自分の損得」で判断するのも明らかであり、都民の利益は無視するだろう。特に、福祉関係は無視するだろう。政治は、基本的に人道性を重視すべきものであって、「損得勘定」で計算すれば、冷酷そのものの政治になるのは明白だ。
ついでに言えば、人相的にも石丸氏は薄っぺらな利己主義者の顔である。

(以下引用)


石丸伸二から感じる耐えがたい危うさ 古谷経衡 猫と保守と憂国
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/356711
2024/06/26 日刊ゲンダイ ※後段文字起こし



古谷経衡氏(提供写真)


 東京都知事選挙に立候補している広島県安芸高田市前市長の石丸伸二氏が話題だ。私は石丸氏から耐えがたい危うさを感じる。立候補前、討論会、街頭演説などでの言動など、その全てから危険な何か、を感じる。あふれ出る自意識、旺盛な功名心や宣伝姿勢の割に、少ない語彙と具体性のなさ。典型的な「意識高い系」である。意識高い系とは「有名になりたい、目立ちたいと強く願うが、中身がなく、ゆえに実力や教養が伴っていない人間」を指す。


「危険な何か」の正体を確かめたくて石丸氏の著書「覚悟の論理」(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を読んだ。今年5月の出版だから、書いているときにはすでに都知事選挙への出馬を決めていたのだろうか。


 結論として驚くほど薄っぺらい、手あかのついた自己啓発本の一種で、この原稿を書くという目的がなければ絶対に読まない種類の本であった。


 内容としては市長就任から約4年間で石丸氏が具体的に実行した政策、の記述があるのかと思いきや、そこは概略のみで、ほとんどは精神論だった。「なりたい自分(人生)や幸福の実現のためには、戦略・作戦・戦術が重要」「常に損得を考え、損ならやらない、得ならやるという姿勢が大切」「対立や自己主張を恐れてはいけない」「意識を改革するべき」みたいなことが書かれていた。15分もあれば読める内容だった。「人生をハッピーにする法則」みたいな内容なら、ブログやnoteでちょうどよいと思う。


 石丸氏は街頭演説で、銀行員としてニューヨーク駐在員だった海外経験を売りにしているが、肝心の駐在員時代の具体的な逸話はほとんどなく、ブラジルやアルゼンチンに行った、という数行の記述のみ。こんなスカスカの内容でよく本にできたなと思う。


 石丸氏は前述のような戦略眼をかわぐちかいじ氏の漫画「沈黙の艦隊」で学んだというが、それがクラウゼビッツでないところに危うさが漂う。他にも漫画作品のセリフが頻出するが、「鬼滅の刃」「キングダム」「銀河英雄伝説」(ただし、藤崎竜作画のもの)など、列挙された作品はすべて最近の流行であり、古典に触れた形跡がない。私が一番嫌いなタイプの「なんちゃって漫画ファン」である。


 そういえば参政党代表の神谷宗幣氏も、ことあるごとに「ワンピースのような政治をしよう」という意味不明のフレーズを叫んでいた。石丸氏と神谷氏は「中身がない」という部分で相似的である。ちなみに神谷氏が経営する会社の法人名は「イシキカイカク」。名は体を表すのか。


 ひとつわかったことは石丸氏の世界観の重要な核が「合理性と損得勘定」であるということだ。だが政治は合理と損得から最も遠い。マックス・ウェーバーの名著「職業としての政治」も読んでいないのではないか。彼にとって都知事選出馬は結果はどうあれ「得」なのだろう。歪んだ新自由主義者の側面が色濃い。このような人物が、私と同い年というのだから悪い意味で驚きしかない。

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