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徽宗皇帝のブログ

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スポーツの危険性

些細なようだが、実は重要な問題を含む事件であるような気がする。
近代以前の世界には「スポーツ」という概念はなかった。これは人類史的には未だその功罪を検証されていない「新しい制度」なのである。制度というのは、人を意識的無意識的に支配する文化的枠組み全体を言う。
そしてスポーツは資本主義という大きな制度の中で「カネになる制度」として力を入れられて発達してきた。もちろん、それを後押ししたのが医学界である。スポーツは健康増進と健康維持に役立つ、という名目だ。
スポーツは大きな娯楽でもある。と同時に、スポーツは常に勝敗や優劣、順位というものをほとんど不可避的に内蔵しているため、「大衆を競争させることで支配的少数者がその競争の利益を得る」という資本主義の理念にもぴったり適合していたわけである。仕事で競争させ、余暇でスポーツを見たり体験したりすることで競争を疑わない心性を無意識の中に叩き込む。
もちろん、そうした操作が必ずしも意識的なものとは思わないが、スポーツが競争と不可分なものであることはほとんどの人が認めるだろう。それをパロディ化したようなのが、小学校の徒競走で「みんな並んで一緒にゴールイン」というものだ。実際にそんなのをやった学校があったのか、一種の現代の神話なのか知らないが、見た人はあまりの馬鹿馬鹿しさに絶句しただろう。それはもはや「徒競走」ではない。「競走」とは「競争」と同様に「競う」ものなのである。競う以上、順位がつけられ、優劣が白日のもとにさらされ、ビリの子は屈辱で一生のトラウマを植え付けられる。だからと言って、「みんな並んでゴールイン」は最適な回答か、と言えば、そんなお遊戯を見て面白いと言う奴はいないだろう。プロスポーツでは、無数の観客の目の前で明白な勝者と敗者が分かれる。カネを貰っているのだからそれでいいのである。だが、小学校にそもそも運動会が必要なのか。
まあ、優劣がさらされるのは学習でも同じだが、テストの順位発表で最下位を公表する学校は無いだろう。悪趣味な教師がたまに小テストなどで最下位をさらす程度だろうし、そんな馬鹿教師自体あまりいないだろう。つまり、「勉強ができない」ことは、実は明確な形で人目にさらされることはあまりないのである。

話が長くなったが、下の記事と何の関係があるのかと言えば、市民マラソンなどやめてしまえ、ということだ。税金を使って一部の人間だけに利益を与えるような事業をすること自体、おかしいのではないか。
そして、マラソンも競争である以上、出場者の「素人たち」が異常に頑張りすぎて体を危険にさらす、ということになる。大人のスポーツは、本来プロ選手という「専門家」のためのものである。素人のための大会など有害無益だ、というのが私の乱暴な主張である。健康のためなら自分だけで近所を走っていればいい。


(以下引用)


マラソン16人搬送 市長「心からおわび」 重症男性はICUに





 22日に群馬県で開かれた第5回前橋・渋川シティマラソンで熱中症とみられる症状で男女16人が搬送された問題で、前橋市は23日、入院した重症患者2人のうち、10キロ部門に出場した吉岡町の20代男性が集中治療室(ICU)で治療を受けていると明らかにした。実行委員会の会長を務めた山本龍市長は「心からおわびを申し上げる」と陳謝した。


 当日の前橋市内の最高気温は30・5度に上った。大会前から高温の予報が出ており、実行委は16日に公式ホーページで注意を呼び掛けるメッセージを掲載。経口補水液を新たに取り入れ、給水所のスポンジや飲み物を増やすなど対策も講じた。事前の会議で中止は検討されなかったといい、市の担当者は「結果的に準備が足らなかった。反省と検証をしたい。来年以降は中止も含めてさまざまな判断が必要となる」とした。












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