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メモ日記トゥディ「刷毛の影もて」 10.5.7

インターネットの面白いところは、興味を引かれた記事からそれに関連した他の記事に飛び、新たな知見が次々に得られるところである。その意味では知見の広がり方がインターネット普及以前の数百倍のスピードになったと言える。
にも関わらず、自分に興味のある分野のブログしか見ない、自分の好きな書き手のブログしか見ない、という人間は、自分の知(という言い方はあまり好きではないが)のレベルを自分で低いままにとどめていて、もったいないことである。

で、問題は、そのように大量の情報が瞬時に手に入るようになった現代人は、無数の不確実な情報の洪水に溺れてしまう可能性が高いことである。何しろ、いちいち情報の正しさを調べる余裕など、ほとんど誰にも無いのだから、情報操作も含めた「情報の印象」ですべてが判断されるということになっていくだろう。
特に、裁判の話など、膨大な情報が、堅苦しいお役所言葉や法律用語などで延々と語られるのだから、誰も読んだりしないことが多い。たまたま「高知白バイ事件」などのように、有名ブログで取り上げられたために多くの人に知られた例もあるが、これも無数の冤罪事件の中の氷山の一角だろう。

私は沖縄の人間だが、大江健三郎と岩波書店が「沖縄ノート」の中の記述で名誉を傷つけられたとして集団自決事件当時の守備隊長などから訴訟を受けた事件についてはほとんど興味も無かった。
ところが、たまたま山崎行太郎という文芸評論家の「毒蛇山荘日記」というブログを知って、その中にこの訴訟が笑うべき茶番であることが明瞭に書かれていた。興味のある人間は「曽野綾子誤字誤読事件」と分類された過去ログを見ればいい。私もまだ全部は読んでいないが、日本の右翼(保守派言論人や官僚の大半も含まれる)がいかにして他人を陥れるのかがよくわかる。つまり、根拠の無い情報で相手を裁判に引っぱり出し、相手にダメージを与えた上で、適当なところで撤退するのである。そうすれば、相手には裁判の被告人となったという悪印象だけが残り、それはその後ずっと続くのである。(植草事件など、その代表例だ。)

つくづく、情報操作は怖いものだ、と思う。
我々は、あらゆる情報に対して、常に、

「我は刷毛の影もて馬の影を刷く御者の影を見たり」

と心で呟く必要がある。この言葉は、ドストエフスキーの小説のどこかに出てきた、私のお気に入りの言葉である。本来は地獄について述べた言葉だったと思うが、現代の情報とは、まさしくこのようなものではないか?

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