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メモ日記トゥディ「小沢一郎という人間をどう見るか」6.2

鳩山総理が辞意を表明したらしい。しかも小沢幹事長に幹事長辞任を迫っての抱き合い心中のようだ。
田中芳樹の「マヴァール年代記」か「アルスラーン戦記」かに、最弱の帝王が最強の帝王を道連れに塔から飛び降りて死ぬという場面があったが、それを思わせる皮肉な結末だ。
官僚たちや日米安保マフィアたちがもっとも怖れていた最強の政治家小沢は、こうして除去されたというわけだが、小説とは違って、小沢はまだ死んではいない。

小沢という政治家の一番の弱点は、実は世間の評価とは180度違って、彼が権勢欲からもっとも遠い人間であるという点にあるのではないだろうか。彼は常に権力の中心にあって権力を眺め、権力の空しさを熟知しているだけに、権力の座に固執することがない。それが彼が「壊し屋」と言われるゆえんである。小泉が「自民党をぶっこわす」と大嘘をついて、自民党ではなく日本という国を破壊したのとは異なり、小沢は自民党の出でありながら、本当に自民党を倒した。彼の力なら、総理になろうと思えば、簡単になれたはずだ。またキングメーカーの座が欲しいなら、それを永続的に続けることもできるだろう。しかし、彼は言わないが、彼には「美学」があるように見える。政治の上で公明正大に敵と戦うことはやっても、汚い行為をしてまで権力にしがみつくという醜い行為はできない。彼にはそういうところがあるように見える。
つまり、言い換えれば、彼は「他人が自分をどう見ているか」を案外と気にするタイプであり、こういうのは、実は「二枚目意識」なのだ。「二枚目意識」とは美意識でもあり、道徳性の根源の一つでもある。検察の横暴な取調べに、一言の弁論も検察批判もせずに唯々諾々と従ってきたのも、彼の美意識のためだろう。
要するに、彼は見かけとは異なり、精神的には大変な「二枚目」なのである。美意識の有無は、人間としての品格を定めるものだ。「エレファントマン」という戯曲では、ジョン・メリック(だったと記憶しているが)という醜い外貌を持ちながら、高貴な精神を持った主人公を表現するのに、デビッド・ボウィという美男子(もちろん、あのデビッド・ボウィだ)を役者として用い、彼が周囲から受けている嘲笑や迫害と、彼の精神との対比を視覚的に鮮やかに描き出したが、もしも精神が目に見えるなら、小沢一郎という人間はどのように見えるだろうか。
もちろん、これは私の妄想にすぎない。小沢という政治家をあまりにロマンチックに美化しているとは思う。しかし、彼を「権力欲の塊」と言う見方もまた違うという気がする。小沢自身の中に、ある種のロマンチシズムと美学があるように、私には思えるのである。
それが、最弱の帝王鳩山のために最強の帝王小沢がこれまで積み上げたすべてを投げ出すという事態を招いたのではないだろうか。

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